跡形もなし
「コンフリンゴ!」
握る杖先から伸びた光線が目前に迫っていたうちの一人の亡者の胸を貫くと、ボン、と破裂音がしてその姿形を跡形もなく消し去った。飛び散った肉片がまだ辺りを囲う他の亡者達に掛かるも、しかし彼らはそんなものお構いなしといった様子で辺りを囲うようにしながらじりじりと近付いてくる。
そんな緊迫とした最中にも関わらず、まるで獣の唸り声のような可愛さの欠片もない音が突如己の腹から響き渡った。じわじわと顔に熱が集まってくるのが分かる。もし今の音が彼の方にまで聞こえてしまっていたらどうしよう。その一瞬の気の緩みが戦闘においては命取りになると分かっていたはずなのに、叫ぶような声が己の名を呼んでいると気付いた時には既に目前に血飛沫が広がっていた。熱く焼けるような鋭い痛みが右頬を襲う。受けた衝撃でよろけた身体は背中から落ちるように地面へと倒れ、口からは蛙がひしゃげたような短い呻き声が漏れる。幸い頭は打たなかったが、餌に群がるハイエナのように亡者が次々と上にのしかかってきて身体を思うように動かせない。亡者の影になり見えない杖腕も肘を曲げることすら叶わなさそうである。これでは呪文を唱えても当たるかどうか。先ほどの熱さもすっかり忘れ、顔を顰める他ない。ただ今はどうにかして致命傷を避けつつ隙が生まれるのを待つべく、出来る限りの力を振り絞って抵抗し続ける。大きく振り上げられた亡者の腕の干からびて木の枝のようになった指先に伸びる爪から鮮やかな赤い液体が滴り落ちる。生温かなその雫が頬に垂れると、それがいくら自分自身のものであったとはいえ不快感で身体中の毛が逆立つ様な心地がした。未だ腕は不自由なまま。次の痛みを覚悟して咄嗟に瞼を降ろす。
「フリペンド!」
けれど聞き馴染みのある力強い声とともに何かのぶつかるような音がすると、身体は軽くなり想定していたような痛みが訪れることはなかった。目を開ければ己に群がっていた亡者達は一人残らず宙を舞っており、さらに先ほどと同じ声が唱えた爆発の呪文によりそのまま燃えて塵と化していく。
「おい、大丈夫か!」
これ以上隙を与えてはいけないと急いで立ち上がれば、少し離れた所で自分と同じように亡者と闘っていたセバスチャンが焦りの色を浮かべて此方を見ていた。彼には随分と間抜けな姿を晒してしまったようだ。これ以上心配させないよう彼の方に満面の笑みを見せつける。
「おかげさまで!」
そして気合いを入れ直すように再び亡者達の方へと向き直り、ふ、と短く息を吐く。それから思い切り息を吸い込むと早口で一つの呪文を唱えれば、固く握った杖先からは赤い火花のようなものが飛び散り轟々と燃え盛る炎が周囲の亡者達を包み込むように手を伸ばしていく。続けざまにもう一つ呪文を唱えるとそれらは文字通り爆発して四方へ飛び、今度こそ動かぬただの死体に成り果てた。
「一時はどうなることかとひやひやしたけど……流石だな、今のは一段と凄かった」
「そっちこそ」
後ろを振り返ると緩慢な手付きでローブの埃を叩くセバスチャンと目が合う。彼の方も今しがた片付いたようで、その背後には同じように真っ黒焦げになってピクリとも動かない亡者達が転がっている。
「君に負けてばかりはいられないからな」
彼は口角を持ち上げて気取った笑みを浮かべる。しかしふと何かに気が付いたように眉を歪めたかと思えば、足元の燃え殻を避けながら此方へ駆け寄って来た。
「それでもさっきのは危なかったぜ」
彼は左手に握った杖先を私の鼻先で掲げると、そのまま先程の戦闘で出来たばかりの頬傷のすぐ傍をするりとなぞるようにゆっくり滑らせていく。その度にぴりぴりと鋭くも緩やかな痛みが頬に滲んでいく。痛みの程度から幸いにも傷は浅いらしいが、だからといって生傷を態々触るほどの自虐性を持ち合わせていない。何故このような仕打ちを受けているのだろう。彼には出会った頃からなにかと親切にしてもらってはいるものの、決闘で自分を負かした転入生が調子に乗って怪我をしたから此処ぞとばかりに茶化してやろうという魂胆でもあるのかという疑念が湧いてくる。私が幾ら「痛い」「離して」と抗議の声と共に未だ目の前に掲げられている彼の杖腕をやんわりと掴んでも、セバスチャンは腕を離すどころかさらにもう片方の手まで重ねてくる始末だ。驚きのあまり思わずその手を凝視してしまう。
「ねえ、ちょっと」
「オリヴィア」
流石に悪戯が過ぎるだろうと文句を言ってやるために口を開くと、それを遮るようにして名前を呼ばれる。導かれるように自分よりも頭ひとつ分ほど上にある彼の顔を見上げれば、今にも眉毛がぴたりと繋がってしまいそうなほど寄せられた眉間の皺が目に入った。そこからは先ほどの余裕綽々とした表情はすっかり消え失せている。
「これに懲りたらもう少し気を付けてくれ」
その声の響きがあまりにも切ないものだったから私はすっかり言い返すタイミングを逃してしまった。まるでシレンシオでも掛けられたかのように言葉が紡げなくなり、そのまま大人しく閉じざるを得ない。代わりに首を縦にひとつ頷けば彼の眉間の皺も幾分か解けていく。きっとはじめからそこに揶揄いや嘲りなどなかったのだ。柔らかな眼差しが己に向けられていたことに気がつくと、段々と居た堪れなくなってくる。
「……心配掛けてごめんね」
「分かってくれたなら良いさ……エピスキー」
まるで星に囁きかけるような落ち着いた声が己の鼓膜を揺さぶった。間もなく彼の持つ杖先から淡い黄緑色の光がするすると溢れ出すと、それらは頬の傷を包み込みひりひりとした痛みも薄れていく。
しかし綿菓子に包まれているような心地で御礼を述べようとした途端、再びあの地を這うような獣の唸り声が聞こえてきた。弛んでいた口元も一瞬で引き攣る。彼は虚を突かれたように瞳をまんまるく見開くと、ひと呼吸置いて吹き出した。獣の声はどうやら彼の耳にばっちりと聞こえてしまったらしい。
「はあ、まったく、あんな戦闘を繰り広げておきながら随分と可愛らしい食欲だな」
ここに居るのが亡者だけだったならどれほど良かったか。彼がいたからこそ大きな怪我も負わずに済んだものの、目尻に薄らと涙を浮かべながら先ほどと一変して自分を揶揄ってくりその姿を前にしてはそう願わずにいられなかった。寧ろあれだけ動くから腹が減るのだというなんとか絞り出した声で述べる最もらしい言い訳も、羞恥心が上回って声量が上がらずまともに彼の耳に届いたかどうかすら怪しい。
「取り敢えず三本の箒でも行くか?」
未だにやついた笑みを浮かべながらそう問い掛けてくるセバスチャンに、ここで断っても強がるなとさらに笑われることになるだけだと悟る。もはや諦めて素直に頷くしか選択肢は残されていなかった。