Sebastian side

 珍しい所にいるものだと声を掛けてきた彼女は、僕がティタニア・ノックスを待っていると言うと一瞬目を見張った。

「どういった要件?」

 そう尋ねる声色はあからさまでは無かったが此方を訝しんでいるようにも思う。五年生になって転入してくるような奴相手ならともかく、ノックスとは一年生から一緒にも関わらず不自然な程関わりが無かった。僕本人にその自覚があるのだから、周りが僕達を結び付けられないのは尚更当然のことだろう。

「昨日初めてちゃんと話して意外と気が合うって知ったんだけどさ、それで、彼女がDADAについて分からないところがあるっていうから参考になりそうな本を持ってきたんだ」

 それらしい理由と一緒に丁度暇潰しにと持ってきていた本を掲げて見せると、彼女はそれをちらと一瞥してから頷いた。

「確か彼女体調が優れないって聞いたから取り敢えず様子を見てくるよ。少し待っててくれる?」
「ああ助かるよ。ここで待ってるって伝えてくれるか」

 黒髪をひとつに纏めた後ろ姿が螺旋階段を登っていく。僕はそれを見送って、再びベンチに腰を下ろしページを開いた。
 そうして本のページも残り十数といったところで、扉が開く重量感のある音、少ししてコツコツと軽い足音が聞こえてくる。
 顔を上げると僕の予想通りの人物が俯きがちに螺旋階段を降りて来ている最中だった。胸元で揺れる髪は黒く艶やかで、緩くウェーブを描いている。白いシャツに黒地のスカート、青いネクタイと、ローブを羽織っていないだけで服装は普段とあまり変わりがない。

「ちょっと良いか?」

 恐らくサマンサ・デールからの伝言で僕が彼女を待っている事は知っていたはずだが、声を掛けると彼女は肩をぴくりと跳ねさせ、弾かれたように顔を上げた。そして此方へ一歩踏み出そうとする姿勢のまま固まって動かなくなってしまう。

(嗚呼、彼女の瞳は昼間でも一際明るいんだな)

 僕の姿を捉えた瞳は昨晩のような赤色ではなかった。あの暗闇で静かに燃えていた熱色を名残惜しく思いながらも、僕はその輝きに目を奪われてしまう。
 僕が彼女の方へ一歩踏み出すたびに、彼女は眉間の皺を深くさせるだけで微動だにしない。きっとその効き過ぎる鼻の所為だろう。自分で言うのも恥ずかしいが、彼女にとって僕はコットンキャンディやチョコレートの様に甘くてとても良い香りがするらしい。だからこの四年間近寄り難がったとも。
 ただこのままでは埒が明かないと、もっと風通しの良い場所へ移動するつもりで彼女の手を取ると、ひゅっと息を飲み込んだきり胸の上下も止まった。そして溜め息の一つさえ吐き出さなくなってしまう。吸血鬼は呼吸すら必要ないのだろうか。
 後ろを歩く彼女の苦しそうな表情を気に掛けながら、その小さな手を引いて塔の階段を急ぎ足で降って行く。黒い湖に裸足を突っ込んだ時の様なひやりとした感触となめらかさに、陶器でできた人形と手を繋いでいる様な心地さえした。
 階段の一番端っこに辿り着き、目の前の扉を押し開けるとびゅうっと風が通り過ぎて行く。そのお陰か僕の手のひらに収まっていた小さな拳も少し緩んだ。肩越しに返り見た表情も明らかにほっとして、緊張も幾らか解けたように見える。
 もう大丈夫だろうと足を止めて身体ごと彼女に向かい合った。

「あの、ありがとう。今までこんなこと無かったんだけど、その、本当に昨日はごめんなさい」

 眉を八の字に下げ不安げに揺れる瞳に、泣きながら退学を申し出た時の彼女の姿を思い出す。
 あの時は彼女が離れて無事で済んだことが大きいかもしれないが、退学は流石に大袈裟過ぎるんじゃないかと思った。あれくらいの痛みはフリぺンドやデパルソで壁に激突させられる痛みと大差ないからだ。しかしそれほど彼女は今まで気を付けていたという事だろう。

「言っただろ?貸しひとつだって」

 僕は彼女に昨晩と同じ言葉を繰り返し掛けてやった。
ヴィーラは男を魅了すると言われているが、吸血鬼とのハーフである彼女にもそれに似た能力が備わっているのだろうか。
だから、彼女を見ていると特別優しくしてあげたい、でも少し揶揄ってもやりたいという相反する気持ちが同時に湧いてくるのだろうか。

「───なっ、貴方って命知らずなの!?」

 初めての人間の血を吸った感想を、とわざと耳元に顔を近付けて求めれば、彼女は一際声を張り上げて僕の胸を押し返した。僕はそれに大した抵抗もせず、すっと距離を開けた。
 見下ろせば彼女の青白かった頬や耳までもが、今や林檎のように赤く染っている。けれどそれがどこか人間離れしていた存在の彼女も自分とあまり変わらないヒトなのだと感じさせてくれるのだ。
 同い歳の女の子にしては随分と初心過ぎる反応だと思うけれど。それが返って、彼女がもしまた僕の血を吸いたい衝動に駆られてしまっても、きっと止めることが出来る手掛かりになるだろう。それを確かめる為に彼女の突き出された両手を掴み、更なる追い討ちをかける。

「どうだ、試してみるか?」

 少しの期待を滲ませ此方をじっと見つめるその表情が、僕に正反対の二つの感情を抱かせている事に彼女は気づきもしないだろう。








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