悪夢

「はい?ああ、紅葉さん……何処か具合でも……そうですか……じゃあ、帰りに寄ります……いえ、全然。寧ろ今傍に居てやれないのが苦しいぐらいですよ。では、宜しく伝えてください」
家を出る直前に掛かってきた電話。卯羅の母親から、今日は休むという内容だった。昨日登校する時は、雲の重い空を見ながら、雪が降らないか頻りに訊いてきた。昼休みは一緒に弁当を食べ、放課後は苺パフェを食べに喫茶店へ寄って、特に変わったような様子は無かった。パフェを平らげた後に、パンケーキを注文しようとしていたから、制止をかけた程には元気だった。
となると、きっと彼方の方だ。
怖い夢を見ると云われたのが、一年程前。それから少しずつ彼女は体調を崩すようになった。
どんな夢かは判っている。
私はそれを記憶として保持しているから。
昼休みに手洗い場の鏡を覗くと、ほら居た。砂色のトレンチコートを着たループタイを身に付けている私。以前より顔の険しさが増している。
「卯羅には手を出すなと云ったろ」
「知っておくべきだよ、彼女も。君が何者であるか」
「彼女はあのままで佳い。あれが彼女の本来の姿だ。あの無邪気さを奪ったのは君だろ?」
念話のような事をしてしまった。鏡の中の男と。顔を逸らせば自然と消えた。
クッキーでも買っていってやろう。放課後、配布物と今日分の授業内容のノートを持って、卯羅のお見舞い。
インターホンを鳴らすと、出てきたのは紅葉さん。「卯羅は大丈夫ですか?」
「今は寝ておる」
そのまま上がり、彼女の部屋へ。ぬいぐるみが沢山座ったベッドの真ん中にまあるいお山。
「やあ君たち。卯羅を見守ってくれてありがとう」
ぬいぐるみ達に声を掛けて、ベッドに座る。沈んだ動きで起きたのか、掛け布団が僅かに動いた。
「卯羅、会いに来たよ」
「おたむ……おたむくん!」
出てきたと思ったら、びーびー泣いて私に抱きつく。剰りに大きな声で泣くものだから、慌てて紅葉さんがやってきた。「ずっとこの調子でのう。卯羅や、太宰が驚いておるぞ」
「大丈夫ですよ。卯羅、寂しかった?」
「どこ……もっ、いぁない、れっ!おたむ、ぐっ、いて……ぇっ!」
「居るよ。此処に居るよ。怖い夢は人に話すと佳いそうだ。私にも教えて?」
サイドテーブルにりんごジュースを2つ置くと、紅葉さんは部屋を出た。
「ドシュくんと、おたむくん、喧嘩して……っ、ドシュくんおぼれて、でもおたむく……」そこまで説明すると、またワッと泣き出した。
夢も終盤に差し掛かっているのだろう。エレベーターに注ぎ込まれる重水に覚えがある。
「卯羅、私は無事だよ」正面から抱き締めるように姿勢を変える。それだけでも涙が溢れている。「沢山泣いて?私が無事であることに泣いて欲しい。私もドストエフスキーも無事だよ」
泣きすぎるから咳までして。背を擦ると、また嗚咽。何をしても泣き続けるだろう。
笑っていて欲しい。
ただ、笑顔でいて欲しい。
そう願っているのに、君は泣いてしまう。





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