夜の執務室に一人。所謂、お残りさん。帳簿とにらめっこして、資金繰りの確認と、今日の計上金額の再計算。明日の行程の確認も。
太宰さんは、新しい部下の子を連れて、何処へやら。会う度にその子の怪我が増えてるから心配だけど。とはいえ、私に口を出す権限は無い。だからこうして帰りを待って、話を聞く他無い。今日は一段と遅いけど。熱が入っているだけなら善いのだけど。あ、帰ってきた。独特の咳。上司の足音は聞こえないから……真逆、直帰したのかしら。
「芥川くん」扉を開けて声を掛けると、何故かぎょっとした顔をした。「おかえりなさい」
何も云うでもなく、ただ、頭を下げて去ろうとした。大方、太宰に放置されて、此処に彼が居ると踏んだのだろう。
「お疲れのところ悪いけど、一寸来て」
そうでも云わなきゃ、この子は来てくれない。一礼して足を踏み入れる。普段は戸口で済まされてるから、緊張してるのかしら。
「そこの長椅子に座って待ってて」
「しかし此れは太宰さんの」
「善いの。どうか、楽にしていてね」
お茶を入れて、いつもの図嚢を持って。確か、焙じ茶が好きだったかしら。お腹も空いてるでしょうから、お菓子しか無いけど。
「お待たせ。こんな時間まで、よく頑張ってるわね」
「僕の努力など……あの人の期待に答えねばならぬ。それ以外は凡て愚行の極み」
出したお茶に手も付けず、膝の上でぎゅっと拳を握った。私は隣に座って、ただ、話を聞いた。
「こんなに怪我して……太宰に悪気は無いの。苛烈過ぎるのは認めるけど。でも、一つだけ教えてあげる。太宰の思考を推し量っては駄目。彼、今している事と、現状が噛み合って無くて、今じゃない、もっと先の何かに備えている事が有るから。ほら、怪我してる所、診せて」
「手当など、不要。この程度、野良犬に集られた時分よりも、軽い」
この子も、自分を大切にしない子。何故此処にはそういう人ばかり集まるのかしら。
「怪我一つで、死んでしまう事も有るのだから、芥川くんは運が善いわ。さ、少し滲みるからね」
頬の傷、鼻血の痕、切れた口角、擦り剥けた四肢。次に擦り剥けでもしたら、骨が露出してしまいそう。
「もっと食べて、お肉と筋肉を付けないとね」
頬に貼ったガァゼを異物のように触って確かめている。「怪我したら、何時でも来て。手当も私の仕事だから」
「貴女手を煩わせるなど、太宰さんは望まぬ」
「でも、私がしたいことだ、って解れば、彼は許してくれるわ。宿舎へは送って行こうかしらね。太宰が帰ってるなら、そろそろ戻らないと」
お菓子を包んで、外套に忍ばせた。妹の銀ちゃんと一緒に食べてくれるかな。
太宰さんに帰ることを連絡し、車に乗り込む。芥川くんの宿舎に寄って、自宅へ。
治さんが何を考えてるかなんて、解らないし、気にもしないけれど、流石に少しは話をした方が善いかしら。鉄は熱いうちに打て。そう云っても、限度が有る。再起不能に成ってからでは遅い。とはいえ、芥川くんも過酷な環境で育った所為か、反骨精神が抜きん出ている。
それが凡て、巧い方向へ行くと善いのだけど。