黄色い薔薇

いつもの酒場に行くと、既に友人が居た。相変わらず詰まらなそうに、硝子杯に浮かんだ氷を突つきながら、伏している。俺は彼の隣に座り「先に来ていたのか」と無難に声を掛けた。
「やあ、織田作」
「織田作さん、お先にやっていますよ」
「安吾も居たのか。今日は何の会だ?」
「太宰くんを慰める会です」
「軟派でも失敗したか」
「違う」
否定はしたが、顔を起こす様子はない。俺は安吾と、太宰を跨ぐように視線を交わした。幹部様の恋煩い。今回は大分傷心のようだ。
「織田作、今日泊めてよ」
「帰れば善いだろう」
「帰ったら、居るもん」
「尾崎だろう?」
「そう卯羅。でもね、今は会いたくない」
何をしたんだ。尾崎と激しい喧嘩をする太宰は見たことが無い。顔を合わせたくない程に激しかったのか。大袈裟に溜息を吐く太宰に、何と言葉を掛けるか考えていたら、俺の携帯が音を立てた。
「何だ。嗚呼、居るぞ。代わるか?そうか。で、どうするんだ?……解った。じゃあな」
「なあに、卯羅から?」
地獄耳か。
電話を切ると、すぐに反応して、電話口を云い当てた。
「何だ、寂しいのか」
「そうじゃない」
「本当は既に、卯羅さんが恋しいのでしょう?」
「恋しくなんか無い。女は他にも居るもの」
「じゃあ俺の処ではなくて、そっちに転がり込めば善いだろ」
「嫌だよ。後が面倒だ」
こいつは何故「卯羅じゃないと嫌だ」と云えないのだろう。素直でない、と云うには度を越している。
「君たちだから云うけどね、今日初めて卯羅に手をあげたんだ」
「偶に尾崎の頚に一文字の痣が有るが、あれとは違うのか?」
「あれはね、違う。あれは最中に一寸したく成って……」
「太宰くんの性癖が心配に成りますね」
安吾は完全に引いているが、あんなもの太宰からしたら、序の口だ。薬を流せと頼まれた時は流石に断ったが。
「ですが、太宰くんが珍しいものですね。女性には手をあげない主義だと思っていました」
「基本的にはね。だけど今回は、仕方なかった。正当化するつもりはないけど、この件に関しては、例外的だよ」
「尾崎がお前に歯向かうとはな。明日は荒れそうだ」
内容を聞くか迷ったが、止めておいた。きっと胸焼けをする。拗らせて絡まった糸が解けない、そういう話だ。
「卯羅、なんて云ってた?」
「尾崎幹部の家に泊まると」
「……そうか」限りなく小さく、ぽつり零した。
「明日、太宰くんが夜叉に切り刻まれない事を祈りましょう」
「それは無いよ」何かを断定するような、鋭い口調に戻った。普段の鋭い洞察力を見せる時の声だ。「卯羅は今日、姐さんの処へは行かない」
「じゃあ何処へ行くと云うのです?」
「首領の処」
「首領?」
「卯羅と森さんは、私なんかよりもずっと長い付き合いだ。それに彼女は、森さんとの関わり方の所為か、妙に過信している。都合よく使われるんだよ」
「善いのか?」
「善くないさ。今回の喧嘩もそれだよ。医療班と兼任すると云い出してね。龍頭のあれが有るからだろう」
丁度一年ほど前に勃発した龍頭抗争。確かに尾崎は医療班に合流し、班の指揮を執っていた。俺も何度か世話に成ったが、手際は見事だった。怪我の多い太宰の面倒を看ているから、と云われればそれまでだが。
「この時間だし、その話は私が直接断りを入れた。現時刻も考慮して、きっとまた集荷場でも狙われたんだろう」
「行かないのですか?」安吾は何故か寂しそうに訊いた。尾崎の命が心配だと云うように。
「喧嘩中だからね。行かない。それに卯羅もそんなに軟じゃないさ。夜叉の子だよ?殺られたら殺り返すは得意だよ。だから織田作泊めてよ」
「断る」
連れないなあ、と頬を膨らませるが、泊めたところで明け方には勝手に帰っている。
「そういえば、彼女、私の平手を阻止しようと、咄嗟に黄色い薔薇を咲かせたんだ。花言葉解る?」
「生憎、僕はそんな浪漫と無縁ですから」
俺も気になったので、携帯で検索を掛けた。尾崎らしい言葉だった。少なくとも、太宰はあいつに愛されている。それは確かだった。
店を出ると、太宰は大人しく家へ向かった。それを見送りながら、安吾と、飲み直そう、と話が纏まった。


「太宰さん、おはよう御座います」
「おはよう。昨晩は何処に?」
執務机へ綺麗に積まれた書類に手を伸ばしながら訊いてみた。
「久しぶりに母様と」
「そっ───」目に入った世話人は、まるで私とお揃いと云いたげな装い。腕の保護剤にはまだ血が滲んでいる。
「お稽古しすぎちゃって。大したことは無いの。一寸大袈裟ね」
「姐さんじゃ無いだろ?姐さんが君にここまでするはずがない。誰にやられた」
「気にしないで。此処に居たら綺麗な身体では居られないの」
真逆。いやあれは彼女も嫌がる。しかし昨日の彼女の精神状態では可能性は低くない。
「森さん?誰の差金?卯羅、ちゃんと答えて。私には君の管理義務が有る」
「森先生は関係ない。これは私が勝手にやったの」
「自傷?」
「近いかもね」知ってるくせに、遠回しにそう云われた。
君の身体に爪痕を遺すのは私だけで居たいのに。片時も離れず、居てほしい。
承認済みの書類に伸ばされた手を、引き寄せる。均衡を崩しながら、青を基調とした彼女が近付く。そしてそのまま、昨日の謝罪と、今日の嫉妬を込めて、口付け。じんわり、掌の包帯に熱が伝わる。





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