呪いを解くもの

洗浄を請け負うと云ったものの。
僕はこれで善いのだろうかと、ふと疑問に思った。
「太宰君」
「何安吾。今忙しいのだよ」
洗浄を待つ男は、連れ添う女性の口元にゆっくりと匙を運ぶ。重湯だった。
昔では考えられなかった。
寧ろ逆の立場だった。
マフィアを抜け、経歴洗浄の為に半ば幽閉された彼女は、 環境の変化か、心因性の疲労か、日に日に弱っていった。今は起き上がる事さえもしんどいのか、寝台から動くことは無く、常に太宰君が介助をしていた。
「長官がお呼びです」
「今でなくては駄目?」
寝台に横たわる奥方を見詰めながら、やんわり断られた。「此処に居る間は、僕達の指示に従うとの約束ですが?」
「……解ったよ。卯羅、少し離れるね」
「厭……」痩せ細った手が太宰君を掴んだ。弱々しい声と力無い動き。僕の知っている卯羅さんでは無かった。「行かないで……独りにしないで……」
「大丈夫、すぐ戻ってくるよ」
犬のぬいぐるみを手渡して、太宰君は僕に同行した。
僕の後ろを歩く太宰君は、奇怪しい程に普段と変わらない平坦さだった。
「そんなに卯羅と私を引き離したい?」
「何の話ですか。太宰君は疑り深いですね」ずれもしない眼鏡を癖で上げる。
「当たり前だろ」声は無機質だった。「私が気付かないとでも?君はあの時から、彼女を慕っている。だが、君に卯羅の何が解ると云うのだい?」
「経歴を拝見しました。十二以前は何処にやったのです?」
「十二以前が、何?」有無を云わせない物云いに、僕は二の句が継げなかった。「彼女は初めから私の物だ。あの組織に属した、いいや、属す前から。長官からの呼び出しは、私を連れ出す口実だろう?佳いだろう、卯羅と好きに話すと佳いさ。口説いたって構わない。だが」
後ろを向いた僕が見たのは、冷めた眼で僕を見下ろす元幹部。「枯らすことは赦さない」
邪悪なる魔女の呪いで、永遠の眠りに就いた姫君は、棘に抱かれ真実の愛を待ったという。
いくらその物語に憧れたとはいえ、再現しなくては佳いのではなかろうか。
太宰君達の住まう部屋の扉を開けた僕が眼にしたのは、寝台を覆う棘。卯羅さんはその寝台の中心で、ぬいぐるみを抱きながら横になったまま。先程から寝返りをうったような様子はない。
「卯羅さん」
声を掛けたら、一層棘が覆った。彼女の異能力で産み出されたのだとしたら、触れるのは危険だ。だが、これでは話をすることは出来ない。「異能を解いてください」
応える気配は無い。「卯羅、少しだけ解いてあげてくれ。安吾が君と話をしたいそうだよ」
僕の背後からした声に反応して、三重に巡らされていた棘が、二重へ減った。これ以上は解いてくれなさそうだ。「私は外に居るから好きにし給え」
太宰君はそう云って部屋の扉を閉めた。
いざとなると何を話せば佳いか解らなくなる。
「卯羅さん、御加減は如何ですか」
返事は無かった。僕の方を向くでもなく、ずっとぬいぐるみを抱き締め、撫で、話しかけている。
「貴女が了承すれば、政府管轄の病院で栄養剤等の投与も検討します」
「治さんは……」
どうしてこうも彼女の中心は太宰君なのだろうか。
「太宰君は此処で過ごすことになります」
「じゃあ要らない。私は治さんの隣に居なきゃなの」
「此れでは貴女が死んでしまう!」刺が頬を掠めた。「僕は貴女だけでも救いたい」
「太宰治の隣に居ない私には何の価値も無いわ」
「価値は」ある。そう云おうとして口をつぐんだ。
僕が慕った彼女は、こんな女性ではない。太宰君の隣で只静かに寄り添っていて、理性的に幹部や他構成員と橋渡しをしていた。
それが今は枯れる寸前。「何かお望みの物は?」
「どうせ総て消すなら、始まりは太宰との婚姻にして頂戴。それが叶わないなら此処で殺して」
組織に属し、幹部としての将来を約束された男の介添人として、四年。それ以外の生き方を知らないのだ。太宰君ほど柔軟に対応出来るとは思えない。だとしたら政府の目が届く範囲に置いた方が彼女の安全も確保できる。ならば僕の───
「解りました。善処しましょう」
部屋を出ると、太宰君が戸口の脇に、腕を組んで立っていた。
「彼女がこれ以上の栄養失調となるのを防ぐために、栄養剤の投与を検討します」
「解った」
それ以上、互いに何も云わなかった。
太宰君が部屋へと戻るのを確認し、僕も仕事に戻った。
眠れる姫君の呪いは、真実の愛でしか解けない。だがその形は僕が想うものよりずっと純粋で歪だった。





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