書類の山を前に、黙々と仕事をこなす部下、もとい妻。報告書、調査書、次から次へとまあこなすものだ。
そういえば彼女だけだったな。埋めてなかったの。
「卯羅、今更なんだけどさ」そこまで云って、言葉を飲み込んだ。
忘れろと云ったのは私。
不要だと云ったのも私。
「場所、変えましょうか?」
何かを察したのか、応接間に移動した。
低机を挟んで向かい合う。丁寧にお茶を淹れてくれた。
「どうしたの?」
「今更だけど、手から溢れ落ちた物を拾い上げる心算は?」
「無いわ」瑠璃の眼が群青に揺らいだ。「貴方で無いのなら」
初めて彼女と会った時の眼だ。深い海。潜ろうとしても潜れぬ海。
「ギーヴルの一件が始まる前、旗会の皆が、中也さんの過去を取り戻したと云っていたわ。その時に、心臓が一つ跳ねたの。そして龍頭の後に、貴方が見せた経歴書。きっと自分だと直感した。でも貴方は否定した」
「必要無いから」
「そう。必要ないから。なのに何故貴方は今になって掘り返すのかしら」
最もだった。
だが、それを記憶し自分の内だけに秘め、彼女を殺したのは私だ。
『───死体は酷い有り様でね。遺留品は花のブローチだけ』
「骸砦の一件の後、君が何かを探している様に見えるんだ」
「貴方との安息の地なら探しているわ。けれど、過去なんて要らない。私、必要な事は憶えているから。森先生の医院に母様が迎えに来てくれて、傷だらけの治さんを膝枕して。それだけで善いの」
見えない何かを慈しみ、抱き締めて、愛おしんだ。掌に花を咲かせ、ふうっと私の方へ吹いた。当たり前だが、私に触れた葩は静かに消えた。
「卯羅、あのね」ぎゅっと迫る体温。暖かい。抱き締めてくれる彼女は、子守唄を口ずさんでいた。何を寝かし付けるのか。私の中の、幽鬼か。
「胸の傷、私の所為ね。左側だけが蚯蚓腫れみたいになってしまってるの」
「これが善いんだ。私にはこれが善い。卯羅が懸命に縫ってくれた傷だ」
「随分な文句を云われましたけど」
あの頃から、枯らしたくない花だと思っていたのだろう。自分と共に前線へ出たいと云う彼女を無理矢理引き剥がし、結局龍頭の手前まで、共に前線へ赴く事は稀だった。
澁澤の元から中也と戻ったら、泣きながら抱きつかれた。そっと抱き返した自分の腕に、誤魔化しきれない想いを知った。そしてそれを恋と呼ぶことを教えてくれた。私の恋に君は愛を注いでくれた。
「卯羅、私に愛想を尽かさないでくれてありがとう」
「恋愛の賞味期限は三年らしいけれど、運命の人となら、期限は無いらしいわ」
「なら私は君の運命の王子様という訳だ」
妻の幼い頃からの夢。
暗殺王から薫陶を受け、ついでに姫君の作法まで会得した。どうやらそれを叶える最後の欠片は私だったらしい。
君が注いでくれた物を私は返せているのだろうか。
腕の中の安らかな表情が、その答えでありますよう。