あいだ

「治さん、ちょっと出掛けてくるね」
「……」
病室の窓を眺めて、答えてはくれない。
「治さん」
「腰のそれ、置いていきなよ」
言葉に誘われる様に、腰を手で探った。短刀の鞘が中る。
「私に預けて?」
此方に来い、そう云われてる。
「君がそんな覚悟を決めなくて善いんだよ」
膝の力が抜けて、寝台の横に座り込む。点滴が入った手が、頭を撫でてくれる。
「卯羅は十分苦しんでる。だからこれ以上、探偵社とマフィアの間に立たなくて善いんだ」
「あのね、苦しい。苦しいよ。どっちも大事なの。森先生は私を救ってくれた。母様は育ててくれた。社長は私達の経歴を受け入れてくれた。与謝野先生は共感してくれた」
「此処で私と居よう。私の看病をしておくれよ、昔と同じ様に」
遊びにでも誘うような声。私の事を解っているから、そういう声で、諭してくれる。これではまるで小さい子供。幼い子供が母親に宥められてる。
抗菌薬の所為なのか、欠伸の後に、少し眠る、と一言。
寝息が聞こえたのを確認して、病室を出ようと、扉に手を掛ける。「駄目なら戻っておいでね」
外は怖いくらいに晴れていた。短刀は治さんに渡しちゃったから、頼れるのは異能力しかない。自宅へ寄って、昔の外套を引っ張り出す。大好きな彼がくれた黒の外套。少し彼の香りがして、さっきの言葉が頭を過って、泣きそうになる。でも殺らなきゃ。
実家までの道は目を瞑ったって歩ける。警備は「尾崎紅葉の」と云えば簡単だった。
何度も勉強しに行った、最上階の部屋に、目標は寝ていた。
「先生、御加減は如何ですか?」
呼吸も苦しそう。汗が凄まじい。
「卯羅、ちゃ、ん、か……お見舞いに、来て、くれたのかい……」
「碌な手土産が無くてごめんなさい」
こんな花束しか無くて。後少しで先生の指が触れそう。これだけの振戦なら、花弁は落ちる。それが巧く心臓に落下すれば……
「綺麗な、お花、だねえ……君を引き取った時を、思い出すよ……」
身体が強張る。でも殺らなきゃ駄目。探偵社の皆がこれ以上、マフィアと対立しないように。凡てが収まった後、私だけが償えば善いように。マフィアに捕まった時点で、私は背信行為によって死刑が確定している。
だったらもう何だって善い。皆が救えれば、私がこれ以上苦しまなければ。
「あの時は……夜、だったね……エリスちゃんが、君の異変に気付いてくれて───」
「先生もう止めて……これ以上お話したら苦しくなっちゃう……」
先生が、釣鐘草に触れようとした。
斬撃が私の横を掠め、花束を吹き飛ばした。
「卯羅、止めよ」
「母、様……」
嗚呼、もう……泣きたくないのに。
「私はお前を始末しなくてはならぬ。構えよ」
「嫌だ……母様とは、嫌だ……」
「母としての躾を間違えたかのう……鷗外殿は私ら共通の恩人の筈。理由が何であれ、恩を仇で返すか?」
「報いたい!先生の恩には報いたい!でも、私には社長は殺せない……」
「だから鷗外殿を手に掛けるか?」
どうやれば伝わる?なんて云えば善いの?解らない、思考が整理出来ない。マフィアだったら、まだマフィアだとしたら、二人を躊躇なく始末出来た?
「卯羅、事の重大さを考えよ」
「母様……私、どうすれば善いの……」
心臓を掴まれたように、苦しい。これに似た感触に覚えがあった。
「卯羅ちゃん……もう、何も忘れては、駄目だよ……」
弱々しい声だったけど、強い何かが籠っていた。
私は身を隠す様に釣鐘草を撒き散らし、その場を後にした。


「育て方を間違えたかのう」
「いいや……仕方ないさ」
未だ部屋に舞う釣鐘草に触れると、指先が少し切れた。それを拭っていると、鷗外殿が重苦しそうに口を開いた。「彼女は、マフィアに育った自分を、棄てられないで居るんだ」
「あやつは昔からそうじゃ。凡てを抱え込もうとする癖に、押し潰されそうになると、自らを責め、消えようとする」
その度に止めたが、癖は治らなかった。ただ泣いて、母に甘えれば善いものを。甘えた記憶が無い彼女には難しかったのだろう。
「娘が騒がせたのう」
大丈夫、というように頷いて、鷗外殿はまた寝に入った。

病室の扉を開けたくない。
今彼を見たら、弁えもせずに泣いてしまいそう。そうだとしても。
「ただいま」
「お帰り。おいで」
寝台の前に座り込む。ただ座っただけなのに、身体が小さくなった様に思える。
「偉かったね。ちゃんと帰って来た」
「治さん、私、あのね、わた、し……出来なかった、出来なかったよ……っ、森先生に、異能を、母様に……っ」
「それで善いのだよ」
頭を優しく撫でられる。顔が見たくて、寝台へ寄り掛かるように肘をつく。まるで祈りを捧げるような姿勢。尚も彼は優しく頭を撫でてくれる。年甲斐も無く涙が出て、寝台に伏せながら泣いた。
「私達の敵は森さんじゃあない。乱歩さん達が足止めしてくれている間に、鼠の巣を見付けなくてはならない」
「どうやって探すの……」
「敦くんと国木田くんがきっと何か手懸かりを見付け出してくれる。それまで休み給え。私に付きっきりで休めてないだろうに」
「此処に居たい」
「居ておくれ。私も寂しくなる」
子供をあやすように、ゆっくりと髪を鋤かれる。また、こうやって、二人で幸せに居たいから、今は、此処で彼の世話人として……

寝たのだろうか。少し上下する背と、呼吸音で確める。
彼女は私を不器用だと云うが、私からしたら、彼女も充分に不器用だ。優しいから、マフィアと探偵社、どちらの手も汚さないように、処罰を受けるのは自分だけで善いと、単独行動に走った。
「やあ、私だよ」
谷崎くんからの入電だった。マフィアと衝突し、硬直状態に陥った、社長と森さんが消えたと。
「あの人なら、どうするのかな……」
あの二人しか知らない場所。突き止めて、二人を止めたところで無駄だろう。「夏目先生なら……」
『夏目先生?』
神出鬼没の異能力者で、三刻構想の構築に深く携わった人物。万物を見透す異能を持っていると云われている。
通話を終え、一つだけ溜息。
「仕事だよ」
未だ寝ている卯羅の頬に触れる。頬を擦り寄せながら、私の目を真っ直ぐ見る。
「善い眼だ。鼠狩りだよ」
「場所は?」
「此れからだ。何せ、あの魔人の事だ」
「治さん」
夕方の陽が瑠璃の目に反射する。夕暮れの海が其処にあった。
「貴方までその思考に陥らないで」
「私は私だ。似ていても違う。君が居るから変われた。愚かさに愛しさを見出だせるようになった。だから大丈夫」





前の話目次次の話

Latency