「ママ!もとくんとおさんぽしてくる!」
「お散歩?二人で行くの?」
「しゅーじもう小学生だから、いける!」
玄関で靴を履いてお手手繋いで。
「ママも一緒に行って善い?」
「ママだめ!にーにといくの!」
「なら、私が行くよ」
珍しく、仕事を持ち帰っていた治さんが、資料から顔をあげた。「パパくるのー?」
「私も気分転換したくてね」
「ごめんなさいね、お仕事大変なのに」
「なあに。君が不安そうな顔しているより善いさ。それに、偶には父親しなきゃだろ?」
薄手の外套に手持嚢。革靴ではなく運動靴な辺り、公園で遊ぶ心算ね。ならお手拭きと少しのお菓子も持って行ってもらおう。「お願いしますね」
「バイバーイ!」
「基治、ちゃんとお兄ちゃんとお手手繋いでね?」
「ばいっばーい!」
行ってくるよ、と手を振る旦那さんと子供たちに手を振って、見送る。
「急にどうしたんだい、散歩なんて」
公園に行くのでは無く、散歩と銘打っての外出。まあ、既に近所の公園でブランコに惹かれて、その通りなのだが。
「あのねぇ、きょうは、ママにお花あげる日って、せんせーがいってたの」
「嗚呼、母の日ね」
ブランコの近くの腰掛に座り、二人の様子を見張る。長男は今にも飛びそうな勢いだが、活発に喋り続ける。次男は大人しく座ったまま、時折飛んでくる蝶を眺めてる。
「基治、押してやろうか」少しだけ揺らしたら「ぃや」はいはい。
「パパはママになんかあげたことある?」立ち漕ぎをしながら長男は高度を増す。それにしても意外な事を気にするものだ。
「卯羅に?沢山あるよ。菓子に、花に、服に、あとは──」
「ううん、パパのママ」
問いの真意に少しばかり硬直したが「忘れた」とだけ答えた。
「ママのママは、ばぁばでしょ?パパのママは?」
ブランコに飽きたのか、降りて鳩を追いかけ始めた次男を抱き上げ、予想通り到達しうる最高緯度から飛び降りた長男を受け止めた。
「無茶するねぇ」
「こないだ、あっくんが窓からぴょーんってしてるの見たもん」
あれは異能が、と云いかけて、やめた。彼らが知る必要は無いだろう。
「それで、二人はママに何をあげたいの?」
「ママ、お花すきだから、お花あげようっておもったの」
「でもねぇ、おはな、ないないなの」
修治には月百円の小遣い。花を買うには遠かろう。
「なら、私が善い処に連れて行ってやろう」
両手に花、ならぬ両手に子太宰恐竜。あっちへ行く、こっちへ行く。修治が右なら、基治は後ろ。目を離せば散り散りになる子供を目的地まで運ぶ姿は、牧羊犬だろう。
商店街の花屋。卯羅にと買う花は此処でと決めている。
「おはな、いっぱい!」咲き誇る紫陽花の鉢植えに触ろうとする次男の手を優しく握る。「基治、摘ままないよ」
「あら太宰さん、今日はお子さんと?」店主の御夫人が笑顔で顔を見せた。それに二人は行儀よく挨拶。
「二人が母の日に、贈り物をしたいって云うものですから」
「ママにおはなあげるの」
麝香撫子の切り花が入った容器を、ズリズリ引きずろうとしている次男を回収し、長男を探す。「おりる!」
「だぁめ。基治、君、私に似て随分と悪戯っ子のようだから」
不貞腐れて、私の肩を叩くが、そのうち飽きて寝るだろう。
「パパ、あれ、なんてかいてあるの?」
長男は薔薇の近くに貼られていた掲示物を指さし、問いかける。
「あれはね、薔薇が何本集まると、こういう意味だよって。つまり、私は貴方をこれだけ大好きだよ、って教えてくれる数だ」
「パパ、バラなんほん?」
「ママにかい?そうだなぁ……」何本だって贈るよ。彼女を埋めつくすまで。私の愛を教えるには九九九本でも足りない。「お金があるだけ買うよ」
「それって、たくさん?」
「嗚呼、うんと沢山だ。そうだ、修治、一つ善いことを教えよう」子供の頃、卯羅とやった遊び。遊びといっても、息子たちが意味するものとは違うが。「花にもね、意味があるんだ」
「いみってなーに?」
「その言葉が、何を表しているか、だ。例えば、修治、という言葉の意味は、君であり、その名前に込められた卯羅と私の願いも含んでいる」
「おしえて!しゅーじ、どんないみなの?」
せがむ彼に目線を合わせるよう、屈むと、思い出される記憶。
『私ね、治さんの字、使いたい』
『どうして?』
『その字、大好きなの』
洗い浚い名前を羅列して、意味、音、総てを考えて名付けた。
それからもう七年も経った。早いものだ。
「修治、というのはね『物事の善い、悪いを判断して人を助けて欲しい』と、そう願って付けたんだ」
「じゃあしゅーじも、たんていしゃなる」友人からの言葉を彼に押し付けているような気がする。だがそれは、息子自身が気にする事では無いのだろう。
「大きくなったね、修治」頭を撫でてやると、妻に似た愛らしい笑顔。
「もとくんは?」案の定寝てしまった弟の背を擦りながら質問を続ける。
「基治の意味も知りたいのかい?」
「だってしゅーじだけしってるの、ズルいもん」
「彼にはまだ難しいさ。じゃあ、君だけに教えよう。基治はね『優しく皆を導いて欲しい』そういう願いだ」
嗚呼、此れもか。私が為せなかった事を降り掛けている。私のようには成って欲しくないと、願いすぎたか。
「パパみたい?しゅーじも、もとくんも、パパみたい?」
「逆だよ。私とは、逆だ」
「なんで?パパ、やさしいよ?あっくんいってたもん!パパがパパでいいなって!しゅーじのパパやさしいね、っていってたもん!」
必死に弁解するような姿に胸を締め付けられ、長男を抱きしめた。その動きでか、次男は目を覚まし、隣に抱かれた兄にちょっかいを掛け始めた。
「ありがとう。君たちがそう思ってくれているなら、私は幸せだよ」
「ねーぇ、パパぁ、お花は?」
そうだった。すっかり脱線して、感慨に耽っていた。抱きしめた我が子を下ろし、本題に戻る。「そうだ、お花の意味ね。此処にある薔薇は、西洋の愛の女神様が好きだったと云われているから、愛という意味がある」
「じゃあ、あれは?」
修治が指差したのはさっき基治が引きずろうとしていた麝香撫子。
「麝香撫子はね、ありがとう、っていう感謝や愛情だ」
「ありがとうも、すき、なの?」
「そうだよ。ママもよく云っているだろう?ほら、この前、修治が摘んできてくれた蒲公英に、そう云ってただろ?」
「じゃあこのお花にする!ママにありがとうで、すきだから!」
「基治は?」
「こっち〜」
赤い物と白い物を一輪ずつ。可愛い飾紐と半透明紙で着飾って。
「お世話掛けました」
「善いのよ。お利口さんな子達ねぇ」
「妻に似てしっかり者で」
二人して御夫人に手を振り、店を出る。
「……ママ、よろこんでくれる?」
「絶対喜ぶさ」
三人手を繋いで帰り道。少し不安そうな長男は、麝香撫子を眺めながら、母の喜ぶ顔を思う。「卯羅は絶対に喜んでくれる」
二人だけで行かせていたら、どうなっていただろう。優しいこの子の事だ、解決策が見つからず、泣いて、帰る事を拒んだかもしれない。
「修治、これだけは憶えていてくれ」
「なあに?」
「ママも私も、修治と基治が堪らなく愛しいんだよ」
「だいすきってこと?」
「そうだよ。世界で一番大好きなんだ」
君たちを誰よりも愛し、理解しようとしているのは、私と卯羅だといつ如何なる時でも憶えていて欲しい。
「お花、帰ったら直ぐ渡すかい?」
「うん!ママにだいすきって、すぐつたえるの」
「だいすち!もともいう!」
「じゃあ、手を洗って、嗽をしてからだね。その間は私が預かっていて善いかい?」
「いいよ!」
それからの帰り道は、卯羅へ何と伝えるかを考え、練習する時間となった。
社宅の門前に近付くと、二人は花を私に「もってて」と渡し、玄関へと駆けて行った。
「ただいまぁ!」
「お帰りなさい。あれ、パパは?」
「パパはねぇ」
「居るよ、居る。最後に駆けて行くんだもの」
追いついた頃には既に可愛い嗽の音が二つ。「お帰りなさい。御苦労掛けました」
「いや、なかなか楽しかったよ」
「パパ!しゅーじの!」
「はいはい」
パタパタと帰ってきた子供たちは何だか嬉しそうで。手洗い嗽の後に、少し遅れて戻ってきた治さんに集う。そして今度は私の方へパタパタ。
「ママ!あげる!」
「あい!」
「ほら、そうじゃ無いだろう?帰りに練習したじゃないか」
治さんの言葉に照れ笑いしながら、一寸もじもじ。「ママ、あんね」
「修治もね、もとくんもね、ママだいすきなの」
「あいがと!」
差し出された二輪の麝香撫子。
並んだ可愛い笑顔の奥に、微笑む主人の顔。このために、二人は。
「ありがとう、ありがとうね。ママ、凄く、うれ、し……」屈んで贈り物を手にした瞬間、色んな思いで、涙。
「ママ?ママなんでえんえんするの?なんで?」
「マぁマっ」
修治が頭を撫でてくれ、基治が抱き付いてくれる。
「ママ、嬉しすぎたみたいだね」
治さんが子供たちを安心させるように伝えてくれる。そうなの。嬉しすぎて、私、自信が無かったから。母親として貴方達を愛せて居るのか不安で堪らなかった。普通の母親で居られているのか解らなかった。
「ママ、うれち?」
「うん、凄く嬉しいの。修治と基治が、心を込めて選んでくれたんでしょう?」
「パパがね、そのお花、ありがとうとだいすきのお花って、おしえてくれたからそれにしたの」
花言葉。昔治さんと遊んだっけ。二人だけの暗号にして、仕事で使ってた。今も偶にね。でも子供たちが云っているのは、本来の、素敵な意味。
「修治、基治」
「なあに?」
「なにぃ?」
「二人のお母さんで、ママ、凄く嬉しいよ」
ぎゅっと抱きしめれば、笑いながら二人もぎゅっとしてくれる。
優しい子に育ってほしいと願いを込めた名前。私の分まで、きっと。