父の日

壁掛暦カレンダーを見たら、今年は治さんと長男の誕生日と、父の日がお隣同士。
「ママー学校からお手紙!」
「授業参観ね」
そしてその日は授業参観。父親も来れるように土曜日にやるんですって。「パパ!しゅーじとパパのおたんじょうび、学校くるでしょ!」
「授業参観かい?仕事も休みだから行こうかな」
「作文のはっぴょーかいなの!」
もとくんもきてね!と全員に言って周り、一番来て欲しいパパからも了承され、とてもご機嫌。なら、帰りに西洋菓子を買いに行きましょう。行く前に唐揚げの準備をして。
「ほら、修治、基治、おやすみの時間だよ」
「パパなんの作文かしりたいー?」
「当日の楽しみにしておくよ」
今日の絵本は、こうさぎちゃんが女王様になったお話。基治は早々に寝ちゃったけど、修治は「ママのうさぎちゃんも、じょおうさま?」となかなか寝てはくれなさそう。そして、もう一回!を繰り返され、治さんは絵本を右に左に、寄せては返して。
「もっかい!」
「もう十五回は読んだよ?」
「まだ!」
「じゃあ、最後だよ。うさこ女王陛下が、何をしたか最後に訊くから、よぉく聞いているんだよ」
お返事は善かったけれど、少しずつ、うとうと。読み終わる頃には、自分が夢の王様。それを確認して、治さんは絵本を閉じる。
「うーん。喉が渇いた」
「ありがとうございます、毎晩」
卓袱台に湯呑を置く。隣に座ると、何やら満足そうな口角。「幸せだ」
「どうしたの、急に」
「ふと思ったんだ。この子達の寝顔を──呑気な寝顔を見られるという事は、彼らの平和を、護れている。少なくとも今日、私は、二人に関わる人を助けられたかもしれない。そうだろう?」
相変わらずのまどろっこしい様な云い方。以前みたいに、生き延びてしまったと、お道化てくだされば善いのに。自分の手をじぃっと眺めて、眼は過去を見ている。もう、其処には何も無いのに。
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「えーーーーー!やくそくしたのに!やくそくやぶり!」
「本当に済まない。どうしても、私でなければ、ならないんだ」
「パパきらい!ママともとくんいればいいもん!」
放課後、上機嫌で探偵社へと帰ってきた長男は、父親からの一言に、大粒の涙を溢した。それにつられて、弟も。「しゅ、修治君、太宰さんは約束を破る心算はなくてね、偶然お仕事が……」
「敦くん、善いんだ。私が悪いんだ。出来もしない約束をした私の不手際だよ。卯羅、仕事引き継ぐから、先に帰って」
「治さん……」
私の右手を引っ張りながら、帰ると駄々を捏ねる修治。基治は自分に関係ない事だと気付いたのか、泣くのをやめて、敦くんの調帯を引っ張り始めた。
「基治、悪戯しないよ?」呼べばちゃんと止めて来るんだからお利口さん。「修治、帰りに冷菓子買ってこうか」
下唇を噛み締めて、吃逆して。悔しいよね。寂しいよね。でも一番寂しいのは、勢いで云った言葉と、云われた言葉。
私は主人の背中を擦って、蟀谷に口付けた。「ちゃんと帰ってきて」
曖昧に頷いて誤魔化された。
敦くんが戸口まで着いて来てくれて、太宰さんは僕が送ります、と云ってくれた。それにお礼と、早退する事に謝罪して退社した。
「冷菓何食べたい?」
「ばにら〜。にーにはぁ?」
あらら。お臍はあっちへ行ったまま。いつもの苺味で善いかしらね。治さんのも買っておこう。
おやつを食べたら、宿題の時間。鞄から出して、卓袱台に置いてみたけど、また泣き声。夕飯の支度は中止して、様子を見る。
「どうしたの」
「やりたく、ないっ!」
「宿題なあに、ママに教えて?」
嗚呼、これは。そうよね。今はやりたくないでしょうね。「さくぶん……パパのことかくの……」
いっぱい消した痕。いっぱい書いた痕。そして涙と丸めた痕。「ママ……パパ、ほんとーに、しゅーじのこと、すき?」
「大好きだよ」誰が見たって、そう。あの国木田さんが云うんだもの。それに、嫌いと云われた瞬間の、引き攣った顔。本当に帰ってきてくれるかしら。いいえ、この際、他の女の処でだって善い。生きていてくれれば。
「パパね、修治が産まれた時、凄く喜んでくれたよ。基治産まれた時のパパ、憶えてる?」
「はなみずたれてた」
「修治の時、もっと大変だったんだから。鼻水垂らして、泣いて……」
「へんなのー」
御膝に座らせて昔を懐かしむ。貴方は、私たちが二度と道を踏み外さないようにするための標。大変だった授乳期も、今となっては懐かしい。積極的に関わってくれる治さんが、頼もしかった。修治を抱っこして、哺乳瓶を片手に話しかける様子が、大好きだった。
「修治のぞうさん、パパが一生懸命選んでくれたの。寂しくないようにって」桃色の毛糸で編まれたぞうさんのぬいぐるみ。急いて帰ってきて、夕食もそこそこに、修治へ渡していた。そして彼の笑顔を確認すると、溶けそうな笑顔。「……しゅーじね、パパ、だいすき。でもね、きらいなの」
「学校来れないから?」
大きく頷いた。
皆に自分の父親を知って欲しい。僅か七歳にて、父親を誇りに思っている。
「修治、もしかしたら御仕事早く終わるかもしれないから、一緒に作文書きましょう?」
「やだ」
鉛筆も放り出して。基治が卓袱台に置かれたそれに興味津々。
「ママぁ」首を傾げて、きっと訊いて善いのか迷ってる。「なんでパパとけっこんしたの?」
「パパが大好きだから」
「しゅーじよりも?もとくんよりも?」
「パパへの大好きと、修治たちへの大好きは違う大好きなの」
わかんない。ママもむずかしいこという。そう云って、頬を膨らませて、またお臍はあっち。「宿題いつまでなの?」
「じゅぎょーさんかんまで」
「そしたら、今日はやらなくて善いよ。疲れちゃったでしょ。お夕飯まで遊んでて?」
やったぁ!と嬉しそうに玩具箱をガチャガチャ。基治も一緒にガチャガチャ。
もしかしたら修治は寝て起きたら吹っ切れてるかもしれない。だから一番大変なのは───
「ただいまぁ」
「お帰りなさい」
「おちゃえり!」
次男は駆け寄ってくけど、長男はそのままお遊び。
「修治」治さんは次男を抱っこしながらも、長男に声をかける。「なんとか都合が付きそうだよ。不安にさせて済まなかったね」
「ううん。パパのおしごと、たいせつなおしごとだから、いいの。みんなまもんないとだめだから」
父親の顔を見もしないで、車をコロコロ走らせる。パパからもらったぞうさんを乗せてコロコロ。
「随分大人びたこと云ってくれるじゃないか」
「おにーちゃんだからね。わがまましないの」
ぶぅーん、みぎへまがりまぁす。
背を向けて。
治さんも参ったというように頭を掻く。
夕飯を終え、珍しくさっさと布団へ向かった長男と、お兄ちゃんが寝るならと布団に潜った次男を寝かし、一服。
熱めに淹れた焙じ茶を置くと、深い深い溜め息。
「どう思う?」眠る息子たちを見ながら、思い詰めた様に。「何が?」私は主人が何に就いて気を揉んでいるのか、彼の口から聞きたかった。
「修治、物分かりが善すぎる」
「治さんの子だもの。私の子だもの。きっと無意識に我慢してしまうのよ」
同じ歳の子からしたら、全てを与えられていたかもしれない。
上等な服、上等な食事、そして最上級の教育。欲しいものは何でも手に入った。驚く程、その言葉の通りに。
ただ、外部との交流は無かった。同世代は姉さんと中也さんと治さんだけ。幹部の娘だったからかもしれない。他の子が普通にさせてもらえた事は、許されなかった。
「明日から出張だ。社長と国木田くんと。いつの間にそんな立場になったんだか」
鞄に着替えを詰めながら、今までの話を無かったように話す。「帰ってらっしゃるでしょ?間に合うでしょ?修治、凄く楽しみにしているの。きっと、授業中に何度も書き直したのね、宿題って出したの、見て?」
くしゃくしゃの原稿用紙。題名は『ぼくのパパ』
うっすらと残る鉛筆の痕を目でなぞりながら、涙一筋。
「修治、済まないね。私が父親で嫌だろうに。真面に遊んでもやれず、学校行事にも行ってやらない、最低な父親だろう?一番護らなきゃならないのは、君と基治だって云うのにね」
「太宰、治……!よく見なさい!」思わず頬に平手。子供たちが起きやしないか、ヒヤッとしたけど、今すぐ目を醒さなくてはならないのはこの男。「この一文が読めないの?」
何度も何度も書き直して、漸く決めたであろう最初の一文。
『ぼくのパパはすごくかっこいいです。ぼくはパパがだいすきです。』
「修治は、貴方を父親として尊敬しているの。七歳よ?七歳の子が、自分の父親を誇らしく思っているの。貴方は何故そこから目を逸らすの?」
修治は、一緒にお風呂に入っている時に「作文、じょうずにかけたら、パパきてくれるかな」とこっそり云った。同級生に聞かせたいのではなく、治さんに聞かせたい。パパに聞いて欲しいと暗に漏らした。
「私の時もそうだった。お願い、目の前の愛情から、目を逸らさないで。受け止めて、向き合ってよ」
治さん自身も、どうすれば善いのか戸惑っているのでしょうね。「卯羅、どうしよう、私、答えが見つからない。彼らにどう答えれば善い?どう返せば、普通の父親で居られる?」私の胸に頭を預けて苦悶。悪い癖よ。決まってそうだもの。
「この子達にとっては貴方が普通。親に普通も何も無いわ。私が云うんだから信じてよ」彼の頭を撫でながら、所謂、普通の親では無かった母を思い出す。父親は居ないけれど、代わりの人もそれは大層特殊。
「治さんがすべきは、早く戻って、参観に間に合う事。明日の朝、修治と指切りしてから出社して」
「君って偶に鬼だよね……いや、夜叉と云うべきか……」
茶化す人は両頬を手で潰してあげましょう。そうして持ち上げた顔。鳶の目を真っ直ぐ見て。「治さん、貴方、自分で思っている以上に愛されているのよ」
「そりゃあ昔は随分と鳴らしたからね」
「真面目に聞いて」
「解ってる、解っているよ。卯羅ので痛い程に思い知っている。でも君のそれと、彼らのは性質が異なるだろ?」
「受け止めるのは貴方しか居ない。貴方にしか与えられない特権なの。社長でも、敦くんでも無く、父親である治さんに向けられているの。それを裏切られた絶望ったら無いわ」
弱々しく額を合わせられ、深い溜息。
寝る時は子供たちを挟むようにいつもの川の字。
「治さん、きっとどの家庭でもぶつかる壁だと思うの。子供の想いには応えたい、けれどどうすれば善いかなんて、それぞれだし、正答がどれかなんて、解りやしない。修治でこれだけ悩んでも、基治はもっと複雑かもしれない。もしかしたらあっさりしているかもしれない」
「そうだね。子供ってこんなにも不安定なものなんだね。突拍子もない言動は多いし、無垢すぎる」
「だから善いんじゃない。今だけよ、きっと。後悔しないように沢山一緒に居てあげなきゃ」
「酷いなあ。卯羅はそうやって私の決心を鈍らせるんだもの。彼らが産まれてから、成長を見届けたいと思うようになってしまったじゃないか」
おやすみ。
おやすみなさい。
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翌日、治さんから修治に声を掛け、指切りをしていた。
「きょうは作文がんばる」
「パパ、帰ってくるって?」
「パパもがんばるっていってた!」
一生懸命、鉛筆を走らせて、少し戻って。どんな事書いてるんだろう。気になるけど、当日の楽しみにしておきましょう。
励む姿を見て写真に収めて、治さんに送る。すると、楽しみだね、とだけ返ってきた。

間に合うかな。
参観の一時間前に届いた電子手紙は不穏な内容。
私だけ先に行こかしら。でもきっと「パパは?」って訊いてくる。そして内容を伝えたら、泣いてしまうかもしれない。けれど待っていたら遅れてしまう。
『私だけ先に戻ることになった』学校に着く頃に届いた幾ばくかの希望。先に行ってるね、とだけ返して、基治に「しーぃだよ」と教えて教室に入る。始まったばかりで、先生が授業の趣旨を説明していた。
「にーにいた!」
その声で振り返る修治。パッと輝いた後に、曇る顔。「せんせー、しゅーじ、パパきてからにする」
「じゃあ太宰くんは最後にしましょう。じゃあ先ずは───」
矢張気になるのか、ちらちらと振り向く。不安そうで私の気も急いてくる。
あと十四分。
少し泣きそうな気配。抱っこした次男は帰りの西洋菓子の事を考え始めた。
「あとは太宰くんだけだけど……」
「まだパパきてないの」
廊下に顔を出すと、いつもの長外套が此方に走って来ている。
有無を云わさず教室に入れ、私は廊下に。
「せんせ!パパきた!」
「じゃあ太宰くん、読んでください」
「『ぼくのパパはみんなをたすけるしごとをしています。ぼくはパパがだいすきです。おしごとをしているパパはすごくかっこいいです───』」
読み終わると、修治は治さんに向かって大きくピース。
「来て善かったでしょ?」
「嗚呼。国木田くんに総て放り投げた価値があったよ」
作文は先生が添削した後、返却されるらしく、治さんも手元に来るのを楽しみにしているみたい。
帰りに治さんと修治の誕生日会の買い出し。
「からあげ!ぜったいからあげ!」
「お野菜も食べないと私みたいに強くなれないよ?」
「え〜どうしようかな〜」
確り二人で手を繋いで。「パパ、しゅーじね、パパとおんなじおたんじょうびなのうれしいの」
「そうか。なら、ママに感謝しなくてはね」
「パパもママもだいすき!もとくんもだいすきだからね!」
この日常が続けば善い。これが守れればそれで善いの。
父親である貴方が、何に臆するでもなく居られる日がその先も続きます様に。
「こら。炭酸振らないの」
「パパにプシューってしてあげる」





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