狙撃

敦くん達と治さんの行方を探していた。
路地裏からの銃声。胸騒ぎがして駆け出した。
「卯羅さん?」敦くんの声に振り向きもしなかった。
そして光景に目に飛び込んだ光景に息を飲んだ。
太宰が、太宰治が、主人が倒れている。
叫びたいのに声が出ない。早く止血をしなくてはならないのに足が動かない。頭がぼうっとする。
呻くような声がする。息は有る。動脈は?周囲に飛び散る血痕が視界に入る度、思考が止まる。
「太宰さん!」
後ろから来た敦くんの声で我に返る。「敦くん揺すらないで!救急車の手配を」
漸く動いた足に発破を掛けるよう自分の異能を叩き込む。しっかりして。マフィアの頃なんかよくあった事だ。搬送される彼は何度も見た。けれどこれは。
いつもの救急嚢から裁ち鋏を出し、襟衣と内衣を切る。幾重に重ねたガアゼを創部に押し当て、上から全体重を掛ける。
「敦くん、私の図嚢に酸素を測る機械あるから、治さんの左手中指に付けて、電源を入れて」
「は、はい!」
生体信号を確認しながら止血を続ける。
「治さん!解る?!治さん!!」
いくら圧迫しても赤く染まる。圧迫包帯を胴の下に滑り込ませ、創部の少し上にきつく巻きつける。
「主犯、は……」
声は弱々しい。微かに開いた目と口。このまま出血が続いたら失血死か。救急隊はまだかと若干の苛立ちを感じる。その時、心拍数の低下を告げる警報が鳴り響いた。
「卯羅さん!」
「この人はそれで遊べるから信用しない。酸素は?」
「ええっと、九十三です」
そろそろ酸素投与を本格的にしなくてはならない。
聞き慣れた車両音と数人の足音がする。
「此方です!」
敦くんが誘導してくれた。担架にそっと乗せるのを手伝いながら、敦くんに国木田さんたちへの報告を頼んだ。
「私が同乗します。彼の妻です」
最終の生体信号の値と血液型、主訴、既往を細かく伝える。昏睡に陥ったであろう彼の手を握りながら病院へ向かう。
「奥様は医療に携わられているのですか?」
「昔取った杵柄です」
答えながらもまだ受け入れられない自分が居た。誰が?何のために?社長が倒れた件と関係があるのか?きっと魔人だろうと本能的に察した。
救急外来に運ばれてく彼に着いて行き、別室へ案内される。それでも聞こえる医師の指示、看護師の報告、それだけで状況が把握できる。あまり気持ちの善いものではない。
「輸血四単位、全開投与、止血剤と抗生剤、酸素投与五立……断面画像確認……内臓損傷率……」
昔見た光景が頭を流れる。骨折、頭部銃創、背部刺創。その時に森先生が支持した言葉と、外から聞こえてくる言葉が、口から流れ出る。
「──くさん、奥さん」
聞き慣れない男の声にハッと顔を上げた。
「救急科の医師です。ご主人は此の後、緊急手術に入ります。術後は集中治療室へ入室する事となります」
同意書に署名をしながら話を聞く。手術時間は十時間予定。終了まで待機。
「麻酔は喉に管を入れて行います。万が一抜けない可能性もあります」
「そうなったらもう、何もしないであげてください」
医師は驚いた様に私を見た。「それが主人の望みですから」
本当は凡ての医療行為、蘇生行為を頼みたい。けれどそれは彼の望みとは反する。診療録にそれを書き込むのを眺めながら、この先どうしていこうかと考えた。

「ですので、落ち着いたらそちらに合流します」
『太宰が退院するまで居てやらなくて善いのか?』
「マフィアは私の実家です」
電話の向こうで国木田さんが押し黙った。
「実家の母が娘に手荒なことをすると思います?」
『お前がそれで善いなら。今は太宰に付いて居てやれ。此方はなんとかする』
通話を切ると、今までの疲れが襲ってきた。手元に残ったのは血塗れた砂色の長外套と、ループタイ。それ以外のものは代えがあるから処分してもらった。
「治さん……」
家族の待機室で終わるのを待つ。この後入室する病棟の看護師さんが、必要書類を渡してくれた。それを記入しつつも、手は止まる。長時間になるからと、個室を貸してくれた。長椅子に寝転がり、彼の外套を被る。まだ何となく暖かく、まだ彼の匂いがする。
いつもなら「何してるの」と覗いてくれるのに。いくら待ってもそれは来ない。今になって何故こんなにも辛いのだろう。何度も経験したのに。

私は太宰治が自分の目の前から消える事を恐れている。

それしかなかった。
考えても仕方ない、彼の生命力を信じるしかないと、また書類を書き始める。日常生活のあれこれを書く質問用紙の細かな設問と、それを凡て事細かに記載できる自分に笑いそうになる。どれだけ彼に依存して生きているのだろう。
彼の居ない時間はとても長く遅く感じる。仮眠しようと、また横になり長外套を被る。
「いつか、貴方の元に戻ってきたら、どうやって愛してくださったか、教えていただけますか?愛しの王子様……病的に、甘美な林檎、凍りつく様な星が瞬く暗闇……」
口をついて出たのは、羊でも、彼の名前でもなく、あの歌。現場に林檎が転がっていたからだろうか。
暫くうとうとしていると、術前に渡された携帯が鳴った。
「太宰です」
『手術が終わりましたので説明室まで起こしください』

術中の写真を供覧しながら説明を受ける。
「お若いので、無事に抜管も出来ました。あとは覚醒を待ち、明日の状態で一般病棟へ移動します。術後訓練も徐々に始めていきます。お食事は、腹部の術後ですので、様子を見ながら少しずつ常食にしていこうと思います」
「先生、有難うございます」
無事に終わった。治さんはまだ生きている。その事実に安心し、涙が溢れた。
「奥さんもほっとされましたね。面会の準備が整いましたら、看護師が呼びに伺いますので、お待ちください」
部屋を去る先生の背中に頭をさげた。
二十分位して、看護師さんが呼びに来てくれた。面会帳簿を記入し、手指消毒とマスク。忘れないうちにさっき記入した書類を渡して、治さんの元に向かう。
「治さん、おかえり」
酸素マスク、点滴、動脈圧の管、心電図、酸素計、色んな機材が付いているけど戻ってきてくれた。頭をそっと撫でる。手術帽を被っていたからか、癖毛の癖が更に強烈になっている。
「無事終わったって云われて、漸く安心できたよ。今までも有ったのにね色々」
「卯羅……」
声は嗄れていた。管が入っていたからだろう。無理しないで、と声を掛けながらも次の言葉を待ってしまう。
「お揃いだね、お腹」
私の腹部を指差す。「最初の一言がそれ?」
「術中ずっと思ってた」
あの時は防弾内衣を着ていたから、貫通こそしなかった。そしてその傷は治さんが縫合してくれた。
「暫く入院ね。付添の申請してきたから安心なさいな」
「敦くんたちは?」
「マフィアと衝突した」
はあっと大きく息を吐く。それからこの先の展開を思案しているらしかった。
「乱歩さんも同じ事を考えていると思うけど、こうなったら夏目先生を探し出すしかない」
話すと術部位が痛むのか少しだけ顔を歪める。
「指標は?」
「三かな」
「鎮痛剤は?」
「要らない」
短く答えて、また次の思考に移る。こういう時ぐらいきちんと寝て欲しい。看護師さんに温めた濡れタオルを貰って、目に当ててやる。
「暖かぁい」
「居てあげるから、寝て」
「うん、そうする」
安心できるように手を擦る。またこの手を握れた喜び。今だけは、彼が無事という喜びに浸りたい。今後の事はまた明日考えれば善い。今は私がなんとしても太宰治を守る。今は、じゃない。今までも、これからも。

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