「陽の当たる世界では生きられぬ。何故ならお前は、闇に咲く───」
夜中に目が覚めた。息が荒い。鼓動が速く、心電図検査でもすれば入院させられる。右手首が動かない。咄嗟に異能を使おうとした。でも異能が使えない。何故?誰かの気配がして、そのまま、右に視線を移した。眼が合った。視線が噛み合った瞬間、息が止まった。
「卯羅、どうした?」
主人だった。
「魘されていたね。異能まで使おうとして」
何時もと変わらない声で、安否を確認してくれる。それから、抱き締めてくれた。外耳から内耳、そして身体に響く大好きな心音。鼻腔を通り、分泌物のバランスを整えてくれる、彼の匂い。
「姐さんは居ないよ。おやすみ。君が寝るまで、見守っていようね」
その言葉に導かれるように、私はもう一度、眼を閉じた。
翌朝、旦那は何事も無かったかのように接してくれ、私たちは何時もの朝を繰り返して、出社した。
新しく入った社員、泉鏡花ちゃん。和装が可愛い女の子。その子から懐かしい気配を感じる。元マフィアとかそういうのじゃない。其れは見た瞬間にわかった。“この子は私達と同じ処に居た”と。
「卯羅」
「どうしたの?」
「訊きたいことがある」
佳いよ、と接客用のスペースに移動した。
「『闇に咲く華は闇にしか憩えない』」
身体が痺れた。
「聞いたことある、でしょ?」
「何度も、聞いた……小さい頃、鏡花ちゃんよりも、小さい頃から……」
「あの人の処に居たの?」
「尾崎紅葉は私の養母」
「よく話を聞いた。『卯羅は太宰に惑わされただけだ』と」
「ごめんなさい、見知らない鏡花ちゃんにまでそんな事」
私の妹分に当たる子は首を振って否定した。
「私はあの人が光を見せてくれた。卯羅は、卯羅は何故闇を抜けたの?」
「私は、太宰治が光に出ようとしたから、一緒に出ようと決めただけ」
「何故?」
少女は好奇心の眼で尋ねてきた。
「母様に『お前は太宰の一番の手足になる』って最初に言われたから」
「それだけ?」
「あと、治さんを愛したから」
鏡花ちゃんの大きな眼がもっと大きくなり、頬が染まった。矢張、年頃の女の子。
「ねえ、餡蜜食べに行かない?」
「餡蜜?でも、仕事中で───」
「治さーん!外回りの仕事、私と鏡花ちゃんで行くから!」
「は?!お前は何を言い出す!唐変木の嫁は矢張唐変木か!」
「いーじゃない、いーじゃない。国木田くんは融通が効かないんだからぁ」
治さんが、ウィンクしながら「行っておいで」と伝えてくれた。
「いこ!」
少し強引に、連れ出す。此処じゃ出来ない話もある。
よく母様と行った甘味処。本当に久しぶりに来た。
「好きなの頼んで」
「卯羅と同じの。其れが絶対美味しい」
いつもの餡蜜。一緒に出てくるほうじ茶との相性も佳い。
「懐かしい」
小さい頃を思い出した。訓練で成果を挙げたご褒美。仕事を頑張ったご褒美。悲しいことが遭ったときの慰め。何時も此処だった。
「美味しい。クレープも佳いけど、これも好き」
「今でも、たまに思い出すんだ。4年経っても」
一口食べると、マフィアに居た頃を思い出す。森先生に連れられて入った組織。母様を紹介されて、治さんを紹介された。マフィアの人間として幼少から教育された。母様は厳しかったけど、優しくて、私達姉妹には特別甘かった。
「苦しかった?」
「え?」
「私は、生きるために仕方なかった。でも卯羅はそうじゃないと聞いた」
何故、マフィアに居たのか。思い出せるのは、森先生に手を引かれて、診療所から大きな摩天楼へ向かったこと。
「……思い出せない。もしかしたら“マフィアに成るために生まれた”のかもね」
実の両親も思い出せない。本当に、記憶が欠落している。鏡花ちゃんに指摘されるまで、全く気付かなかった。けれど、マフィアに居た頃は、苦く、甘く、楽しかった。
「鏡花ちゃんの事は調書を読んだから、大丈夫。あまり思い出したくないでしょう」
「夜叉白雪はお母さんの仇。味方だとは思ったことない」
鋭い眼で、強い口調で、云う。でも、ずっと寄り添う夜叉は、私からしたら優しく見えた。それとも、母様と同じ異能に、私が母様を重ねて居るのだろうか。
「私の異能はどうしても人を傷付ける。でも、夜叉は」
此処まで言って、失敗したなと思った。震え、呼吸を乱す小さな女の子。隣に座って、抱き締めた。
「ゆっくり息吸って……私の心音に、そう、合わせて……ごめんね、本当にごめんなさい」
目の前で母親を殺した夜叉。芥川くんの声に従い、鏡花ちゃんの意思を無視して、殺戮を繰り返した夜叉。所有者からしたら、そんな異能が何かを守るとは考えられない。況してや14歳の女の子。昔からマフィアの思考に染まっていた訳ではない。
「お母さん……」
ゆっくり、背中を優しく、叩く。母様が寝付けない私にしてくれたように。
「寂しかったね……辛かったね、恐かったね……もう大丈夫。お日様の下に来たから。色んな事しようね」
少しずつ震えが弛くなっていく。匙でお冷やを少し掬って飲ませた。
「我慢はもういいの。充分したから。少し我が儘したって大丈夫」
昔は誰をあやしてたっけ……。嗚呼そうだ。片眼を何故か包帯で隠した少年だ。無言で私の腕の中に入ってきて、ぼんやり何かを考えていた。あの日はそう、片眼の青年だ。あやしてもあやしても泣き止まなかった。泣きじゃくって、本当に涙を枯らしたのかもしれない。
「泣きたい時は泣けば良いの。思い出しても罪にはならない」
「卯羅は何を思い出すの?」
「一番楽しかったこと。大好きな人たちとの一番楽しかったこと」
「私が一番楽しかったのは、お母さんたちとのご飯」
「皆で食べると楽しいよね」
戸口辺りからの視線を感じ、眼をやった。
「鏡花ちゃん、お迎えが来たよ」
「え?」
敦くんと治さん。二人が手を振ってる。敦くんが心配そうに、席まで来た。
「鏡花ちゃん、どうかしたんですか?」
「私がちょっとやらかしただけだから。ごめんね、鏡花ちゃん」
「ううん。いい。それより餡蜜」
「敦くんも食べる?」
「いや、僕は……でも少し……」
餡蜜をもうひとつ追加。
「後はお若い衆で。また探偵社で」
「あの、えっ?!あ!ごちそうさまです?」
「……ありがとう。連れてきてくれて」
「可愛い妹の為なら」
「妹?!鏡花ちゃん、卯羅さんの妹なの?!」
お会計を済ませて、外で待つ主人のところへ。
「お待たせ」
「ちょっと、散歩」
いつもの散歩道。港が一望できる小高い公園。観光客や、学生で賑わう。薔薇園を抜けた先は、ずいぶんと大きな広間になっていて、何処にも日陰は無かった。一角の長椅子に腰掛ける。暫く、はしゃぐ学生たちを眺めていた。
「嗚呼、干からびそう」
「此処選んだの治さんでしょ」
「まあね。ほら、昔は夜だったから」
星が綺麗だった。その夜、彼に手を引かれ、此処まで来た。近所の家から聞こえたピアノの音楽に誘われ、踊った。
「鏡花ちゃん、佳かった」
「んー?何が?」
「敦くんが居れば、何がなんでも護ってくれる」
「彼女のお陰で敦くんも成長出来るだろうね」
それからまた二人で無言になった。学生たちは相変わらず騒いでいる。私達があれぐらいの時は、もう、血道を突き進み、突き抜けようとしていた。
「姐さんには感謝しているんだ」
「何を?」
「君を引き取ってくれたこと」
絞り出すような声。云いづらい事を伝えようとしている。
「君まで森さんに育てられなくて善かった。姐さんの愛を注がれて育ったから、こんな男に騙されたんだろうね」
「愛は盲目」
「君は盲目過ぎる。私を過信しすぎだよ」
「仕方無いじゃない。陽に眼を焼かれたの」
置いていかないで、と思った。太宰に置いていかれたら、私は身の振り方が解らない。この、覚えて、貴方に注いだ愛を、憎しみにはしたくなかった。
「二人は大丈夫よ。支え合って、お日様の下で笑い合える」
「君が云うなら間違いは無さそうだ」
小さい男の子が母親に手を引かれて歩いている。父親はそれの少し後ろ。
「私、駄目ね」
「何が?」
ふざけた口調で訊いてくる。
「赤ちゃんが、欲しいって」
主人を振り向き見たら、真剣な顔で見つめられた。
「こんな男の赤ん坊を?」
「鏡花ちゃんの話聞いてたら、佳いなって」
「いつか、叶えよう。この先、まだ大きい何かが起こる。組合の襲来がその予兆に感じられてね」
その返事が嬉しかった。主人の首に腕を回して抱きついて、口付けた。
「子供出来たら母様に云わなきゃ」
「何だかんだ姐さんのこと大好きだねぇ」
「だって私のお母さんだもん」

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