キスマーク
第六西に行くと、「あ、桐椰くんだー」なんて挨拶をするアイツがソファに寝転がっていた。「おう」と返事をしながら目をやると、足を投げ出しているせいでスカートが捲れそうになっている。思わずパーカーを放り投げて「ちゃんと隠せ!」と怒ると、渋々ヤツは起き上がった。そのまま、しっし、と追い払うようにソファのスペースを空けさせる。寝転んでいたせいで髪を解いていたヤツは、その髪を右側に流して眼鏡をかけた。パーカーはその膝の上にちゃっかり乗っている。もう用済みなのに膝掛け代わりにするのかよ。まぁいいけど。
「ねー、桐椰くん生物の課題の範囲知ってる?」
「知ってるけど、授業中言ってただろ。メモってねーの?」
「メモったんだけど、先週と同じところ指定されてたんだよねー。だから写し間違えたかなって」
「あぁ、そういう」
ちょっと待ってろ、と足元に置いた鞄の中から生物のノートを探す。すると「漸く今週も終わった」と心底疲れたような声と共に総が入って来た。ノートを探しながら「おー、」と短く返事をしたけれど──唐突に横から襟首を掴まれて「あ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。そのままソファから引きずり降ろされそうになったせいで慌てて肘掛を掴む。
「なんだよ急に!?」
「あれ何」
しかも犯人の総の表情が完全にキレていた。挙句、アイツには聞こえない小声で俺を責めるときた。なんだ、何もしてねーぞ俺。つーかそもそも、第六西にいじられて困るお前の私物とか特にねーだろ。
「あれって……どれだよ」
「桜坂の」
アイツの? 隣を見ると、唐突な俺達の内緒話にアイツは首を傾げている。アイツの何かといわれて、心当たりがあるのは膝の上にあるパーカーだけだ。膝の上にパーカーあるだけでキレるとかお前心狭いつーか、そもそも何ポジションだよ!
「仕方ねーだろ、アイツスカートとか構わねーから……何かかけるものでも渡さねーと」
「パーカー? 何の話してんの?」
が、どうやら総が気にしていたのはそんなものではないらしい。総の目は変わらぬ殺意を宿したまま、苛立たし気に口走った。
「俺が言ってんのは桜坂の首のことなんだけど」
「ぎゃっ!?」
総の言葉に反応して電光石火の速さで振り向けば、驚いたアイツが可愛げのない叫び声を上げた。右側に髪を流したアイツの首の、左側には、確かに赤い痕がある。バッ、と再び総のほうを向いた。
「なんだあれ!?」
「だからさっきから聞いてる」
「俺じゃねーぞ!?」
「お前のパーカーを膝掛代わりにしてるし髪も乱れてるし完全に事後にしか見えなかったんだけど」
「んなわけねーだろ!! 髪はアイツが寝転がってて勝手に乱したんだよ!」
「ねー、二人共何の話してるの?」
一生懸命小声でなされる会話の応酬にアイツが訝しむのは当然だった。「いやべつに」と思わず二人で口を揃え、その不自然さに顔を見合わせ、取り敢えずこそこそとソファを離れた。
「いや……でも相手に心当たりねーだろ」
「今話題の鳥澤かもな」
「だとしたら手早過ぎだろ! 大体、アイツも別に鳥澤の話しねーじゃねーか!」
「隠してる可能性はあるだろ。とりあえず一組に行って鳥澤引き摺ってくれば解決するのかな?」
「鳥澤だったとして引き摺って来てどーすんだ!」
「手出したから社会的に抹殺する」
「だからお前は何ポジションなんだよ!」
背後ではアイツが首を傾げ続けている。確かに、壁際でコソコソ話してるなんてどうにもこうにも不自然だ。総はアイツの首から目を離さないし!
「……気になるなら聞けよ」
「鳥澤とヤッたか?」
「オブラートって言葉知らねーのかお前は!! もっとこう……、なんかあるだろ!」
「なに、じゃあ駿哉につけられたのか聞く?」
「鳥澤の名前出すのがアウトって言ってんじゃねーんだよ! 大体駿哉があんなことやってたらびっくりするわ! 天変地異もいいとこだ!」
と、噂をすれば影というべきか、扉が開いて駿哉が入って来る。特に挨拶をするでもない無愛想なのはいつも通りだが、壁際でコソコソと話す俺達にはさすがに眉を顰めた。
「……なにをしてる」
「いやべつに」
揃って返事をすれば、駿哉は「そうか」と興味のなさそうな反応をする。総と顔を見合わせた。
「……駿哉じゃないな」
「だからそう言ってるだろ……。つかあんな分かりやすいところにつけたがるのお前くらいだろ」
「なんでんなこと分かるんだよキモ」
「当たってんのかよ! 否定しろよ! 申告されてるみたいで気持ちわりーわ!!」
聞きたくもないことを聞いてしまった。これはもうアイツに直接訊くしかない、問題はどっちが訊くかだが──とお互いを睨んでいたとき、パァンッと景気のいい渇いた音がした。見れば、駿哉が掌をティッシュで拭き、アイツが「あー! それ私の血だ!」と叫んでいた。
「寝てる間に刺されちゃったんだよねー」
「鈍いな」
「寝てたら気付かないでしょ!」
……んなベタなオチありかよ! さっきまでの焦燥を返せよ! 二人で愕然としてみるも、最初から虫刺されの可能性を捨ててキスマーク談議に入ったのは俺達だ。ヤツは首筋に人差し指で爪を立てながら、いい加減に答えを教えてほしそうにこちらを見る。
「……ねぇ桐椰くんと松隆くん、さっきから何してるの?」
その疑問に正直に答えてしまうと、きっと、多感な男子高校生だから仕方ないね、なんて笑われる。
「……いやべつに」
やっぱり、揃って間抜けな声が出た。