ポッキーの日〈雅篇〉



※第一幕ネタバレを含みます。『御三家の桜姫』を読了していない方はご遠慮ください。


「はいこれ」


 差し出されたのはポッキーの箱。無愛想な彼女がそんな世間のイベントに興味があるとは思っていなかったので思っていなかったので若干面食らった。


「え……,お前,こんなのに興味あったんだ……」

「お菓子って何買うか迷うだろ。今日はどこのコンビニ行っても山積みになってるからついな」


 そうかな,俺はわりと買う菓子はいつも決まってんだけど……。そう思いながら受け取った。彼女がパキンパキンとポッキーを食べ進めるにつれその先端がゆらゆら上下する。その唇をじっと眺めてしまっていることに気が付いて,慌てて目を逸らした。危ない危ない。男の格好とはいえ,部屋の中で理性が飛んだら止めてくれるものがない。分かっているのに,下心が疼く。


「じゃあポッキーの日に乗っかるつもりはないわけ?」

「ん? まぁ結果的に乗っかってんじゃねーの。買っちゃったし」

「そーじゃなくて,ポッキーゲーム」


 声は震えてない。セーフ。彼女はきょとんとした目でポッキーを咥えたままこちらを見る。頼むからそんな隙見せるな。頼むから襲わせないでくれ。


「あぁ,口に咥えてやるあれ?」

「なんだ,知ってんじゃん」

「知ってはいるよ。何が楽しいのかはさっぱり分からねーけど」

「お前本当そういうとこある……」

「雅,取り巻きの女とやってそー」

「やってねーよ!」


 げらげらと腹を抱えて笑う彼女に,思わず本気で返事をしてしまった。


「ああいうのは男同士でやって笑い話にするもんなんだよ!」


 だから──誤魔化すために慌てて付け加えた。本気の返事が自分の気持ちを告白することに等しかったから。すると「あぁなるほどね,」と,彼女は笑いながらも納得した様子で頷き,ポッキーを食べ進めた。上機嫌の彼女の唇の先でポッキーはゆらゆらと揺れる。あぁ,駄目だ。


「ってわけで,笑い話でも作ってみる?」

「ん?」


 彼女は首を傾げた。彼女の鈍いところに付け込んでいる自覚はある。


「それって監督いなくても成り立つもんなの? 俺達だけで笑い話になればいいわけ?」

「もちろん」

「ふーん,じゃあ思い出でも作っとくか」


 ほらね。


「どーせ,どっかで突然終わる関係だもんな」


 よっこいしょ,と座り直しながら伏し目がちにいうその言葉は,本当だ。何の約束もない俺達の関係は,お互いが出くわさなくなるだけで終わるだけの,薄いというか,浅いというか,弱いというか,その程度の関係。


「折れたらどっちの負けなの?」

「んー……,俺か?」


 どちらの負けなのかは知らない。この勝負(ゲーム)を持ちかけた側か,持ちかけられた側か。元々ゲームの存在を知っているだけで興味はないらしい彼女は,「んじゃ折れたら雅の負けな」と俺の疑問を勝手に失くしてしまって──ポッキーを咥えた。


「ん,どーぞ」


 ……待って。これは,ヤバい。座っていて視線の高さに差はないとはいえ,ポッキーを咥えて差し出してくるその図はヤバい。目まで閉じられて,完全にキス待ちだ。脳裏に過るのは,以前した実験=c…。恋の意味が分からないならキスして変わるか試してみるかと,そう話したときのことがフラッシュバックした。どくん,と心臓は大きく跳ねる。


「みやび?」


 ポッキーを咥えているせいで上手く喋れない彼女が目を閉じたまま促す。他意はない。笑い話作ろうって言ったんだからさっさとやっちまおうぜ,その程度のものだ。その程度のものなのに……,散逸してしまいそうになる理性を必死に掻き集める羽目になる。やばいやばいやばいやばい。今,彼女が咥えていないもう一方の端を咥えた自分の心は? ──一〇割の下心。死ね俺! 死んでくれ俺の下心! 煩悩死滅しろ!


 パキン,と音を立てる。彼女の眉が少し上がって,パキンと音がした。お互いに一口ずつ食べ進めた。目を閉じれない。緊張で心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。やばい,駄目だ,これ,笑い話にできない……。


「あ」


 パキンッ,と今までとは違う音を立てて,ポッキーは中心から真っ二つに割れた。音のせいで割れたことが分かってしまって,彼女は目を開ける。自分の口に残るポッキーを指で押し込んで,「なんだ,意外と難しいんだな」と平然と感想を述べた。そして──ニッと口角を吊り上げる。


「雅の負けな」


 ……ポッキーゲームなんて,あわよくばキスしたいからするものだ。だったら,その勝負を持ちかけた側でも持ちかけられた側でもなく,途中で折れたら下心のあるほうが負けだ。


「……そうだな」

「でもやっぱ笑い話にするには監督がいるじゃん? 最後までいかなかったときに,男同士で必死にやってやがる,って笑う必要があるんだから」


 そうだな,と笑ってはみるけれど,笑えない。笑い話になんて,ならないよ。


「あーでも,監督はやっぱいらねーな」

「ん? 何で?」


 下心あってすいません,と心の中で謝っていたのに,彼女はけろりと告げた。


「だって俺,雅がいればそれでいいもん」


 ……あぁ,もう。至極当然とばかりに告げる彼女の顔を見て,泣きそうになった。本当,笑い話にできない。だって本当は,相棒を好きになった時点で負けてたんだ。


 そんなこと言えるはずもなく,言わないからこそ隣にいることができるわけで。


「そっか」


 この感情は墓場まで持って行こうと,そう思った。