SHUFFLE



──原因は、松隆くんがお遊びで持ってきた妙な飲み物だった。


「うわー、桜坂ってこんなに小さいんだ?」


 今なぜか、私の目の前で、”私”がきょろきょろと辺りを見回している。自分の顔がひきつるのを感じれば、”桐椰くん”が苦々し気に顔を歪ませる。


「なんだその顔は。無表情を保ってくれないか」

「そんな無茶な要求する? ていうか心なしか普段より表情筋が凝り固まってるんだけど……」

「喋り方を改めろ」

「原因を持ち込んだ以上は解決方法も分かっているんだろうな、総」

「あははは! 似てる似てる!」


 眼鏡のブリッジを押し上げながら”松隆くん”に冷ややかな目を向ければ、”桐椰くん”の目に殺意が宿ると共に、”私”と”松隆くん”が爆笑した。膝を叩いて笑う”松隆くん”の顔にはいつもの腹黒さが欠片もなく、まるで少年みたいに瞳が輝いている。それだけで違和感は十分だ。


 そう、モニタリングだかなんだか知らないけれど、松隆くんが私達に妙な飲み物を勧めたのだ。何が何だかさっぱり分からないけれど、まぁ松隆くんが渡すものならそう得体のしれないものではないだろう、なんて甘い考えのもと、四人仲良くそれを飲んで、眠気に襲われたかと思えば、目を覚ましたときには私達の中身は見事にシャッフルされていた。何を言ってるのか全く分からないのは私自身も同じだけれど、これ以上の説明はない。私達の中身がシャッフルされたのだ。


 視線が低いのは最早懐かしいというより新鮮だといわんばかりの”私”の中身は松隆くん。なんでこんな遊びに付き合わされなければいけないんだと苛々している”桐椰くん”の中身は月影くん。入れ替わったのは心配だけど入れ替わった相手が相手なので何がどうというわけではないといった顔の”松隆くん”の中身は桐椰くん。そして視線の高さも体つきも何から何まで違ってやや戸惑っている”月影くん”の中身が私だ。体が入れ替わってしまうことで生じてしまう種々の弊害はまだ訪れておらず、現在、各自「まぁそのうち戻るだろう」なんて楽観的な気持ちでいる。多分月影くんだけが私の百面相で自分の顔が醜態を晒すことを危惧している。でも本物の月影くんの物真似をしたらそれはそれで怒るのだから困ったものだ。


「総、お前目悪くね? いい加減眼鏡買えよ」

「嫌だよ面倒臭い」

「お前は視力が良くて羨ましい限りだな」

「本ばっかり読んでるから視力落ちるんだよ」

「桜坂は目悪いね……眼鏡外したらここからは遼の顔見えないよ」


 松隆くんが入っている”私”は、桐椰くんの入っている”松隆くん”の隣にぽふっと座り込む。そのソファの座席は普段の私の定位置だからだ。でももう片方を定位置にしてるのは桐椰くんであって”松隆くん”ではない、でもその中身は桐椰くんだから結局いつも通り……、なんだかこんがらがってきた。”松隆くん”は”私”に視線を向けると、うわぁ、と嫌なものでも見るような顔に変わる。


「お前ら最悪の組み合わせで入れ替わってんじゃねーよ。煽り強い腹黒とかもう怪物じゃねーか」

「失礼なこと言うなよ。あぁでも、確かにお前を揶揄うには便利かも」


 ”私”がまるで松隆くんのように腹黒い笑みを浮かべている……。見ていてあまりいい気分じゃないな、と思っていると、分かったらお前も無表情でいるんだと言わんばかりの目で”桐椰くん”から睨まれた。桐椰くんは感情表現豊かだからその表情をころころ変えてくれるけれど、中身が月影くんになった途端にずっと無表情だし、その容姿自体は元々結構怖いので本物のヤンキーみたいになっている。……いや、桐椰くんも本物のヤンキーなんだけれど、どうにも桐椰くんを見ていると可愛さが先行してしまって、その金髪に至っては柴犬なのかな?なんて思えてしまうから……。


「別に見た目がなんでも揶揄うことは変わんねーだろ」

「と、思うだろ?」


 そんな”桐椰くん”を眺めているうちに、ソファでは何やら不穏な会話がなされていた。なんだなんだと視線を戻せば、ソファの肘掛に頬杖をつく”松隆くん”のほうへ、手をついた”私”がぐっと体を近づけていた。ちょっと待って!


「松隆くん! それ体は私のだから!」

「別に何もしないって」

「おいやめろ! 離れろ! やめろ総!!」


 上機嫌な”私”が赤面しつつある”松隆くん”に物理的に迫っている。赤面する”松隆くん”は新鮮だったし”松隆くん”の顔が赤面しない仕様だったわけじゃないことは理解したけれど、”私”が”松隆くん”にべたべたするのは見ていて気持ちのいいものではない。腹黒い笑みを浮かべる”私”の比じゃない。わっ、なんて悪戯っぽい掛け声と共に”私”が”松隆くん”の胸に飛び込んだ。”松隆くん”の顔は更に赤くなる。


「抱き着くんじゃねーよ!! 言っとくけどこれお前の体だぞ!!」

「別に殴ってるわけじゃないんだから。俺の体だって言われたところで何の脅しにもならないよ」

「絵的にマズイって言ってんだよ! どうすんだよアイツが写真でも撮り出したら!」


 あれ、そうか、中身が私じゃないからべたべたしてたところで私には関係ない……? 事情を知らない誰かに見られたら問題だけど中身が松隆くんと桐椰くんだって分かってる私達にとっては別に何の問題もない?


「別に桜坂と抱き合ってる写真撮られたところで問題ないけど」

「あ……るだろ! いやあるって言え! 離れろ!!」

「自分の赤面とか見たくないんだけど、耐えてくれない?」

「だったらお前が引っ付くんじゃねーよ! つか中身がお前ってことは男に抱き着かれてんのと同じなんだよ気持ち悪い!!」


 いや逆に問題があったか! 私から見た図は真っ赤になって狼狽えてソファの端に避難する”松隆くん”とその”松隆くん”に甘えている “私”だけれど、あれは本当は桐椰くんと松隆くん……?


「……ツッキー、あれなんだか気持ち悪い」

「らしいぞ、総」

「だから言ってるだろ、それは自分の顔を間近で見る羽目になってる俺が一番思ってるんだって」


 遂に硬直してしまった”松隆くん”の上から”私”が舌打ちでもしそうな表情で答える。だったら退きなよそこを。自らに苦行を強いてまで桐椰くんを揶揄おうとするのやめなよ。


「というか、中身が桜坂だと駿哉が駿哉に見えないね。駿哉って昔から基本仏頂面だし」

「満面の笑み浮かべてあげるから写真でも撮っとく?」

「遼の体なら全力で上手く相手を殴ることができるという認識に誤りはないか?」

「これ月影くんの体だから! 後から痛いの月影くんだからやめようね!」


 ”桐椰くん”からはこれ以上ないくらいの殺気が放たれていて思わず縮み上がる。確かに桐椰くんの体さえあればその抜群の運動神経と喧嘩に慣れた動きを継ぐことができるのかもしれない。でもきっと根本的に月影くんには相手の殴り方なんて分からないだろうし、何より今は”月影くん”を殴っても痛覚は私にあるのでやめてほしい。


 そうこうしているうちに、”松隆くん”は意識を取り戻したように、のろのろと”私”の手を自分から引き剥がす。”私”は「え、桜坂こんな力弱いの?」とまたもや驚いている。”松隆くん”は今にも煙が出そうなほど赤い顔のまま「暫く近づくのやめろ」と”私”をそのままソファの反対側の端に追いやった。”私”はつまらなさそうにソファの背に両腕と顎を乗せる。


「女子の体って不便そうだね。力弱いし、小さいし、胸邪魔だし」

「ちょっと待って最後のセクハラ! それ思ってても言わないで!!」

「俺の見た目でその喋り方をするなと何度言わせるつもりだ?」

「ツッキーこそその見た目でその喋り方すると本当に怖いヤンキーになっちゃうからやめて」


 唯一何をしても問題なさそうな桐椰くんは”松隆くん”の体のままソファの隅っこで大人しくしている。どうやら松隆くんの遊びが思った以上にダメージを与えてしまったらしい。回り込んでその顔を見ると、まだ少しだけ赤い顔の”松隆くん”が弱った目で私を──いや”月影くん”を見上げる。


「なんだよ」

「いや……こんな可愛い松隆くん見るの新鮮だなって」

「普段の俺は可愛くないわけ?」

「そんな横柄な態度の私見たくないんですけどー……」


 ”私”はソファの背に凭れてそこに肘をつくと共に足を組んでいる。”桐椰くん”はこれ以上何か起こって堪るか馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりに腕を組んで椅子に座っている。いつもの月影くんの仕草だ。こうやって見ているとわりとカオスだ。


「桜坂、やっぱり髪邪魔じゃない? 結ぶものないの?」

「ない」

「何かあるだろ」

「鞄の中にあるかもしれないけど探すの面倒くさいし……」

「探してくれないと俺に膝枕させて写真撮るよ」

「やめろって言ってんだろ!!」

「分かったから! 探すから!」


 しまった、一番渡してはいけない人に私の体を渡してしまった……。当然”松隆くん”の力に”私”は敵わないわけだから”私”が”松隆くん”を襲うことはないけれど、いまの”松隆くん”は非常に心が弱い。色仕掛けにびっくりするほど弱い。しかも今の”私”は絶対に色仕掛けが上手い。鞄の中を探りながら溜息を吐いてしまう。


「暴君の松隆くんに武器備わっちゃったじゃん……鬼に金棒だよこんなの……」

「裏を返せば桜坂は元から武器持ってるってことだろ。普段から使っていけば?」

「確かに!」

「確かにじゃねーんだよ! お前ら俺で遊ぶのをいい加減にやめろって何回言えば分かるんだ!」


 あぁ、”松隆くん”が顔を真っ赤にして声を荒げて怒っている……。新鮮だ。なんとか見つけることのできた髪ゴムを”私”に手渡しながらしみじみと頷く。


「松隆くんの中身が桐椰くんだったら、顔が良くてお人好しで照れ屋で面倒見が良くて天然女タラシで、もう二次元みたいなイケメンだったね……」

「それどういう意味?」

「待って! ごめんなさい悪口じゃないです! 悪口に聞こえてしまったのなら撤回します! だから制服のボタンに手をかけるのはやめて!」


 冷ややかな目に変わった”私”が脅しのように──いや実際脅しだ──胸元のボタンに手を掛ける。隣に座る”松隆くん”が思わずその手を凝視しているし、なんならそれは松隆くんに”私”の胸の感触が伝わっているのでは!? 慌ててその両手首を掴んでやめさせた。”私”はチッと残念そうな舌打ちを寄越してくれた。普段の私がこんな顔で舌打ちをしているのか、それとも松隆くんが中身に入っているせいでこんな舌打ちになってしまうのかは分からない。


「ねぇ松隆くん……そろそろ戻りませんか……」

「二時間くらいで効き目切れるとは聞いたよ」

「二時間もあるの!?」

「取り敢えずコイツだけ何もできないように縛っとけばいいんじゃね」

「へぇ、お前が桜坂を縛る趣味があったとは初耳」

「お前いい加減にしろよ! 妙な飲み物持ってきた挙句言動がスレスレなんだよ! 最近コイツがここに馴染んでるからってお前の理性も緩んでんじゃねーよ!」


 私がなんと反応すべきか困っていると”松隆くん”がすかさず”私”の胸座を掴んで怒ってくれた。でも桐椰くん、それ”私”だから。気付いた”松隆くん”は慌てて手を離してくれたけれど、本当にこのままだと松隆くんが無敵すぎる。


「ねー、ツッキーも黙ってないでさ。戻るなり楽しむなりどっちかにしようよ」

「戻りたいのに時間の経過を待つほかないと言われてこの有様だが?」

「……桐椰くんの口からぐうの音も出ぬ正論なんて聞きたくなかった」

「お前俺のこと莫迦にしてんだろ。つか駿哉の顔でその喋り方普通に気持ち悪いな」

「訂正しよう、つつかれたいのかと言わんばかりの隙だらけの遼の口から反駁の余地もない言葉を聞くことになるとはな」

「駿哉の顔で煽ってくんじゃねーよ腹立つな!」


 はん、と”月影くん”の顔で嘲笑を向ければ”松隆くん”が桐椰くんばりに口元を震わせながら”月影くん”の胸座を揺さぶる。”松隆くん”と視線が同じなのでちょっとだけ妙な感じがした。それは”松隆くん”も同じようで、「駿哉とお前ってどっちが背高いの?」と”私”に訊ねて「俺じゃないっけ?」なんて遣り取りをしている。そんなことをしていると”桐椰くん”からは「シャツが皺になるから離せ」と苦情が来、”私”からは「そうだ桜坂、髪の結び方分からないんだけど」と要望がくる。やっぱり”私”の体に染みついていることはあくまで私がいないと再現できないのだろうか。後ろ向いて、と”私”に促すと”私”はソファの背を向いて胡坐をかく。ちょっと待ちなさい。


「松隆くん、それやったらスカートの中見えるから。やめて」

「え? あぁ、ごめんごめん。遼、見ないで」

「見てねーよ腹立つな! 中身が総ってのが余計に腹立つわ!」


 自分の後頭部を見るのは鏡で見るのを数えたとしても初めてかもしれない……。眼鏡を外すように促した後、低い位置で軽く結んであげると、うんうん、と”私”は満足そうだ。


「折角だから中身入れ替わってる状態で写真でも撮っとく?」

「断る」

「私ちゃんとツッキーっぽい顔してあげるよ?」

「喋り方を改めろと何度言えば分かる」

「でも純粋な笑顔の松隆くんが写ってるのもそれはそれで貴重だと思うし高く売れそう」

「桜坂のサービスショットはいくらで売れると思う?」

「大変失礼いたしました、リーダー!」

「お前って普段煽るとき真顔でうぜーなって思ってたけど、笑顔の煽りもかなりうざいな」

「じゃあ今後は笑顔を心掛けるね」

「今って駿哉の顔だから殴っていいのか?」

「となると俺は総の顔を殴ることになるな」

「収拾つかなくなるからやめようか」

「松隆くんそうやって自分に危害が及ぶときになって漸く止めるよね」

「俺が桜坂の体で何をしても俺には危害は及ばないけどね」

「やめて! 本当にやめてリーダー! 私が悪かったってば!」


 そんな遣り取りを延々と繰り返すこと二時間弱、四人揃って強烈な眠気に襲われた後に元に戻れたのだけれど、寝る直前に”私”が”松隆くん”に寄りかかってしまったせいで、目が覚めたら松隆くんの顔が間近にあって悲鳴を上げてしまった。計算済みですと言わんばかりの松隆くんの腹黒い笑みは元に戻っていて、桐椰くんもいつも通りに可愛くなったし、月影くんは(私からは当然見えなかったのだけれど)元の無表情に戻れて目に見えて安堵していた。






「という夢を見ましてですね」

「最近の桜坂の中での俺の評価には心外としか言いようがないんだけど」

「大体合ってるだろ。入れ替わってること以外の会話はめちゃくちゃリアルだしな」

「俺に関して言えば君が認識するほど無表情ではないと思うがな」

「無表情だよ」

「無表情です」

「無表情だろ」

「…………」