v0.09 : shy






今宵は宿に泊まろう、そう言い出したのは珍しいことにアカツキだった。

それはそうだろう、土ぼこりにまみれ、モンスターの体液にまみれ、ただ川の水で流すだけの生活を一週間も続けていたのだ。
並みの女性では耐えられないだろう外での生活にアカツキは耐えて過ごしていた。

ヒスイだってそれはそうなのだが、彼女の場合キャンプという未知の世界、楽しくて仕方ないという節もある。
そうした中でここまで耐えたアカツキは、どうせ街にいるのだからかまわないだろう、と少々ワガママを言うことにしたらしい。

金銭的な余裕がないわけでもなく、シロエと直継、ヒスイとブラン全員がふたつ返事でそれを快諾した。
彼らとて体が気持ち悪いのは同じであるし、街に戻ったときくらいは、ゆっくりベッドで眠りたいと考えていた。それが現実世界のベッドよりかたくても、地面に寝袋を敷いただけの寝床よりは何十倍もマシなのだから。

かくして宿に泊まることになった一行ではあったが、当然、部屋割りは予想とは異なっていた。
……もちろん、ブランの。


「じゃあアカツキさんとヒスイさんで部屋を取って、男三人で部屋をとろう。三人部屋は空いているかな」


シロエがそう口にしたとき、ブランの頭から血の気が失せた。

彼らはブランとヒスイが兄妹だとは知らないし、知らせるつもりもない。
今まで過ごしてきたスタイルが他人から見れば異常なことであることに、この時ようやく、ブランは気がついたのだった。

おずおずと、ブランが提案する。


「あー…その、俺とヒスイは一緒で、いいかな…?」

「だめです」


間髪いれず、シロエが却下する。その有無を言わさぬオーラに殺気に近いものを感じ、ブランは顔を引きつらせた。

とはいえ、ヒスイは特異体質だ。いくら死んでも甦るとされているこの世界でも、できるだけ傷つけたくはない。
ただここで黙っていても埒が明かない。ヒスイはここ最近は熟睡していないようだが、いつ何があるかもわからない。
これから先彼らと付き合っていくのなら尚のこと、ある程度彼らに協力して…

こちらをじっと見ている瞳と目が合う。アカツキだ。何かを言いたげに、遠慮がちに視線を送ってくる。

その意図がつかめないブランは残る三人に部屋をとっておいてもらうように頼み、宿からゆっくりと出て行く。
暫くしてアカツキも後を追う。彼らからすればアカツキがいなくなっていることにもまだ気がつかないだろう。数分は余裕がある。
万が一見つかったところでなんだということもないのだが。


「ブラン殿、」

「だから、ブランでいいよ。どうした?アカツキ」


井戸の縁に腰掛けて彼女を待っていたブランはやわらかく微笑んだ。
その端整な顔立ちに視線をそらし、アカツキは何か言いたげに、だがうまく言えずに、もごもごと口を動かす。

暫く、ブランは黙って彼女の次の言葉を待った。
ようやく意を決して彼女が話し始めるまで、十分以上かかっていたが、それでも彼は急かすことなく、苛立つことなく、星空を眺めたり井戸の底を覗き込んだりして気にしていない素振りを繰り返していた。


「ヒスイと、ブランは、その……」

「うん」

「恋仲、なのか?」


古めかしいその表現に噴出しそうになる口をおさえ、ブランは苦笑するにとどまった。

昔からよく勘違いされる。今までは大した問題ではなかったし、肯定すれば少なくとも自分もヒスイもそういった面倒事に巻き込まれなかった。

しかし、今はどうだろう?
ヒスイと自分の容姿はそこそこ似ている。ヒスイの方が日本人らしい顔立ちとはいえ、他国の血を同じようにひいたふたりだ。

それに今回、もし自分がそれを肯定してしまえば、ヒスイは友人が作れなくなるかもしれない。
他人が一線を引いて遠慮してくれるのはありがたかった。ただし、それは今までの話だ。
いつまでこの世界に閉じ込められたまま、ログアウトができないのかわからない。少なくとも既に二週間以上は経っている。
現実ではロンドンに戻っている頃だというのに。

自分に感じているのは、確かにここで生きているという感触。

だから、嘘を吐く……べきではない。


「いいや、ちがう」

「では、古い友人なのか」

「……」


その質問は正しかった。自分はいつでも彼女の友人であろうとしたし、親にもなった。
でも自分は兄なのだ。どれだけ色々な役割を被ったって、兄であることには変わりない。

しかしそれを他人に口外すべきだろうか?いや、彼女なら……。一週間彼女アカツキと向き合って、ブランは理解していた。
まっすぐに、ブレのない剣筋は彼女の愚直な心。
自分にはない、憎らしいほどの、凛とした一撃。

だから、口にした。


「ヒスイは妹だ」


はっきりと、そう。

しばしの沈黙の後、ブランは続けた。


「明日から、俺はこのパーティーを抜けるよ」

「っ…なぜだ?」

「まだ言えない、確信が持てないからな。
 なあ、アカツキ、頼みがある。……ヒスイのこと、頼めないか?あいつは――――」






次の日、ヒスイはアカツキから、ブランがパーティーを抜けたことを聞いた。

兄が抜けるのであれば自分も……そう思ったが、預かった手紙には彼らと共に行動するように、アカツキには身体のことを話した旨、くれぐれも無理はしない旨、まだ自身の話はしないように等々が書かれており、とても今から共に行きたいなどとは言い出せない雰囲気を感じさせた。

聡い兄のことだ、何かきっと、考え合ってのこと……。

ひとつ頷き、くしゃりと手紙を握り締めた。私にできることは何か、兄とは別ルートで情報を集めること。
兄とのフレンド登録は済ませてある。<念話>は使える……

顔を上げ、アイスグリーンの瞳を三人に向けた。
黙ったままでいたのは恐らく自分を気遣ってのことだ。私なら大丈夫、私は私で、戦わなければ。
強い決心を瞳に秘めて、ヒスイは三人に向き直り、思い切り頭を下げた。


「お願いします。このままどうか、パーティーに置いてください」


ぐっと奥歯を噛み締めた。

正体を明かしてはいけない。
つまり彼女は、<回復役>の真似事のまま……全力などとは到底呼べないような力のまま、彼らについて行くということだった。
それがどれほどお荷物になるかわかっている。今までは、兄が……ブランがいたから、置いてもらえていたこと。

それが叶わなくなってしまわないように、兄の手伝いができるように。
きっと正義感の強い兄のことだから、まだ見ぬたくさんの初心者を救うために手を尽くそうとしているのだろう。なら私にできることは、こうして頭を下げ、彼らを利用し、外の情報を集めること。

ひとりではまだ何もできないのだと、ヒスイにとってはそれが悔しくて仕方が無かった。
喰いしばった歯がギリギリと音をたてて、慌てて力を緩める。

幾分かの沈黙の後、ぽん、と頭に何かが乗る。
下げたままの頭をようやく上げて見上げると、困ったようにシロエが微笑んでいる。


「もちろん、ヒスイさんさえ良ければ喜んで、だよ」

「俺は大歓迎祭りだぜ!回復があると、俺もタンクしてる感じがするしよ!」

「私もブラン殿からヒスイの面倒を見るよう頼まれている。引き摺ってでも連れてゆく所存だ」


親指を立てて歯を見せて笑う直継と、どこかお姉さんぶって得意げなアカツキ。
ね、と微笑むシロエに、ヒスイは心から安堵の表情をみせた。

顔の広い彼らについていけば、ひとまず外からの支援は可能だ……それに彼らだって、現状に何も思わないような人たちではない。

戦力外なのは重々承知している。
だから、戦力外の120%の本気を出さなければいけない。彼らのお荷物だけにはなりたくない……絶対に。


「<召喚術師>のヒスイ、若輩者ではありますが、これからもよろしくお願いします!」


勢いよく頭を下げる。今度はすぐ上げる。
これが私のパーティーだ。今の私の、仲間なんだ。

眩しい笑顔に面を食らった三人は暫し沈黙し、各々が改めて彼女と握手を交わした。





今後ブランの戦力がなくなったということで、彼らはまた少しレベルを下げて戦うこととなった。
大体は50前後のレベルの敵を倒していく。<回復役>を担うヒスイは健在ではあったが、どことなく緊張した面持ちで錫杖型の長杖を握り締めている。
彼女の装備は大体はそのあたりで購入できるものが多かった。ブランに比べるとずっと見劣りするようなものばかり。

もしかしたら、ブランは師匠のような存在だったのかもしれない。
シロエがそう思いついて、彼女のベルトに下げられた魔導書と短剣を見る。あれを彼女が取り出すところは見たことがなかった。そのため、あの魔導書ややたらと装飾のある短剣が何かはハッキリとはわからなかったが……恐らく、ハッキリとわかることはないだろう。彼女に聞かないかぎり。

ブランの装備品が全くわからないのと同じように、彼女の装備が全くわからなくても不思議ではない。
同じように海外のサーバーを転々としているのなら……家族、或いは……夫婦。

一瞬過ぎった思考に数度頭を振った。そうであってほしくない、という気持ちがシロエには存在していた。

日が暮れようとしている。
彼女のことも心配であるし、今宵は元々宿に戻るつもりで外に出ていたため空が赤く染まってすぐに町へ帰る準備をした。


「主君」


唐突にアカツキがシロエに向き直る。「帰りは私が先行偵察に出る」

その一言の意味はなんとなくわかっていた。ブラン無き今、アカツキにとって師の残したものを育てる以外にないのだろう。
レベルは変わらないはずであるのに、ブランはアカツキよりもずっと格上の<盗剣士>であった。


「一応聞くけど……どうして?」

「練習だ。師が仰っていた"自身の長を知り、育てよ"。師の親しい間柄の人間が言っていたそうだ。自分にできることを、自分にしかできないところを伸ばすほうが良いと」


ちらり、とアカツキは一瞬だけヒスイを見る。ぎくり、と彼女が身体を固めた。

 ―― わからないことは学べるし、できないことはできるよう努力を重ねればできるかもしれない
 ―― もちろんその人間の限界というのはあるんだろうけれど…私は兄さんにできないことなんてないと思ってるから

私の言葉だ、ヒスイの拙い言葉が、ブランの中ではそう解釈されたのか。
つまり、自分の「兄ならなんでもできる」が、兄の中での"長所"としてあれほどまでの強さに変わった。

事実、兄はなんでもできた。向こうでも、ここでも、大半のことは可能だった。


「<暗殺者>の特技には<暗視>があるし、それ以外にも<隠行術>や<無音移動>も所有している」


なるほど、彼女のサブ職業は<追跡者>か。しっかりロールプレイしているなあ。
"そういった楽しみ方があること"はぼんやりとヒスイも知っていた。彼女の古い知り合いにも熱心なロールプレイヤーがいたからである。

サブ職業の話には触れたくなかった。それはここにいないブランも同じ気持ちだろう。
一般的ではないサブ職業はたいそう珍しがられるだろう。彼女は今のポジションで満足していた。少なくとも、まだ。

闇に消えたアカツキに手を振って、フードを深く被り直した。この話題には参加したくない。
直継が何かを言いかける前に、ヒスイは歩き始めた。それについてくるように、ふたりがすぐ後ろで会話している。主にアカツキについてだった。

その会話を聞きながら、彼女はようやくアカツキが「このパーティーに入ってまだ間もない」ということを知った。
というよりは、直継との接点が今までなかったのだろう。シロエの知り合いであるようなことは会話の節々からなんとなくは察していたが。

直継とシロエは知己であるのは明らかであり、彼らには固い絆を感じていた。恐らく、ヒスイとブランの間にあるものと同じような。

<カンダ用水路>でアカツキと合流したヒスイは内心ホッとしていた。

ブランから事情を話されたアカツキはそれなりに信頼して良いということであるし、自身が何を口外すべきで何を口外しないべきかの区別がまだつけられなかったからだ。
サブ職業の話題を振られまいと意固地になって早歩きすることもせずに済む。きっとアカツキが助け舟を出してくれるだろうから。

兄ブランがいなくなってからのヒスイは無口だった。

元々引っ込み思案の性格に加えてこの状況、彼女は途端に言葉を見失ってしまう。
数日前に彼らと話したときはあんなにスラスラと出てきていたのに。

彼らがゴブリンについて話しているのに、耳を横で傾ける。


「だいたいのところ、魔術師系の敵というのは偉そうにしているくせに装甲は紙でHPは少ないのだ。それならそれで下がっていればよいものを、……」


どうやら魔術師系に対するアカツキの口撃はシロエにぐっさり刺さっているようだ。
ふふ、とヒスイは小さく笑みをこぼす。当たり前だ、魔術師系が紙装甲であることはヒスイにとっては今更驚くようなことでもましてや傷つくようなことでもなく、そこにあって当然の枷だ。
それに、彼女は通称イレズミと呼ばれる<法儀族>である。

くすくすと笑っていると、シロエがこちらを向いた。まるで「イレズミで魔術師系の君のほうがずっと紙だ」と矛先を変えたがっているようにも思う。
少しばかり困ってから、ヒスイは口を重々しげに開いた。


「確かに、イレズミで召喚術師の私は紙装甲だね。この中で最も体力が無いし……だから前衛はアカツキさんと直継さんに任せるよ!」

「うむ、主君のこともヒスイのことも私が護るからな!」


アカツキが鼻高々に胸をたたいた。小さな(決して胸囲の話ではない)身体が少し音をたてる。頼りなさそうに聞こえはするものの、彼女の腕前はそう悪いものではなかった。
ヒスイはそんなアカツキに圧し勝つ自信はあるものの、それをここで宣言する必要性も感じず、ただシロエと仲間意識を深める意味合いで慰めの笑顔を贈りあった。





2016.07.25 -- 若干時間軸や話がズレつつありますが、ご了承ください。





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