◎67 : 感謝
ゲートが、見えた。
チャンピオンロードまでは26番道路を抜ければいいだけだった。坂道は足に痛手を負わせるけれど、構ってはいられない。
戦いたがるトレーナーもそれほどいなかった。
その理由が、漸く理解できた。好戦的な瞳があたしを見据えている。
赤い赤い、鮮血の瞳。
「シルバー、くん」
「遅かったな」
あたしを待っていたらしい彼が口角を上げた。
いつも、会えばあたしを心配してくれる。助けてくれる。でも今日の彼は違う。雰囲気が、そう物語っている。
それを悟ってあたしも彼に駆け寄ることはしなかった。
「決着をつける」
「どうして、今なんですか」
「……お前、チャンピオンになる気なんかないんだろ」
じゃあ会えるのはここで最後だ。両の目的地は、ここから枝分かれする。
すれ違う前に、ここで決着をつけたい。そう言われて言葉に詰まる。
シルバーくんは理解してくれてると思ってた。あたしが戦いたくない理由。戦わざるを得ない姿勢。
だからこそ今までバトルを挑んでこなかったんだって。あのヒワダタウンを最後に、あたしの生き方、わかってくれてるんだと思ってた。
なんだか悔しくて唇を強く噛んだ。
信じてただなんて身勝手だとおもう。でも、信じてた。強く強く、信じていたのに。
「ッ…紅霞、お願い!」
泣きたいのをぐっと堪えて紅霞のボールを投げる。
彼が出すのはきっと、彼と違って気さくに笑う、同じ炎タイプ。
「行け、バクフーン!!」
その笑顔も曖昧なもので、視界が、滲んでしまう。
どうしてこんなに傷ついているのか自分でもよくわからない。最期の別れというわけでもないはずなのに。
彼がただ「バトルを望んだ」わけではなく、「決着」をつけたがっていることが、別れを示唆するような。
そんな気にでもなっているのだろうか。
ずっと一緒だと誓い合った仲でもない。身勝手で、横暴。
なのにあたしはシルバーくんを責めたがっている。
「やれ、火炎放射だ!」
「紅霞、火炎放射!」
炎がぶつかり合う。熱風が肌を焼いた気がした。
バクフーンくんは本気だ。それに、シルバーくんも。戦わなきゃいけないのに、戦いたくない。
強くなんかなりたくない。平和に、傷つかないで、笑っていたい。
眼球が乾くのを瞼を閉じた、その一瞬。
シルバーくんとバクフーンくんの息が合う。
「いまだ、電光石火!」
「っ…紅霞!」
炎に気をとられていた紅霞が電光石火を体に受けて、よろめきながら空に上昇した。
不意打ちを喰らわされて、言葉に詰まる。シルバーくんは以前よりずっと強くなっている。
あたしは?…何も、何も変わってない。
このままじゃ紅霞が傷つく。ナントカしなきゃ、なんとか・・・!
「ヒスイ、」
不意に声をかけられる。
それに応える余裕もなくて頭で策をめぐらせる。紅霞が傷つかない方法。
そこらへんのトレーナーよりもシルバーくんは芯がある。だから、強い。
勝つためには何か犠牲にしないとだめかもしれない。こわい。いっそのこと、逃げてしまおうか。
じゃあ、この先あたしは勝てそうになかったら、逃げ「
ヒスイ!!」ッ…!?
「お前は、間違ってる!俺から逃げんな!強さから、逃げんな・・・!」
「シルバー、くん?」
つかつかと歩いてくるシルバーくんがこわくて、逃げたくて後ずさる。
足がもつれて尻餅をつきそうになった体が、引き寄せられた。この優しさが、すごくこわい。
「逃げんな。お前は、ポケモンの分まで傷つこうとする。
お前が思うよりポケモンは強いし、丈夫だ。」
「でも、みんなが傷つくの嫌だ・・・もし、なにかあったら」
「じゃあ強くなれ。誰も傷つけないように、強さを求めればいいだろ。
そんな曖昧な覚悟で他のヤツ、守れるはずがない。わかってるだろ、誰よりも強くなるための理由、お前の中にできてる。
そこから逃げるなんて間違ってる、…俺は、」
たどたどしく紡がれる言葉があたしを支配する。
強くなる理由。逃げるための言い訳。
容易なのは後者、それは周知の事実。だけど、それならば、それだとしたら。
逃げ続ければ良いのか。それで何かをあたしは救える?
彼の言う強さを求めれば、どうだろう。
傷がつけば痛みも伴う。だけど二度と失敗しないと、ひとつ、決意する。その決意こそが強さ、なのだろうか。
強くなれば、覚悟をすれば、変わるのだろうか?
強さの果てには、虚しさが残るだけじゃないのか?
「強さ、は…虚しいだけ、です」
「じゃあ傷つけ。どうせなら俺の手で、立ち上がれないまでに打ちのめしてやる」
そうは言いながら束縛の腕は力が篭められる。
彼の手でこの世界から葬られるのも、アリかも。なんて、思ってしまう。
でも全てを諦められるほど往生際が良いわけではない。紅霞も、まだ見ぬ彼も、傷つけさせはしない。
悪役を買って出る彼は、悪役になりきれはしない。
だって彼のバクフーンはあんなにも強い。覚悟してる。あなたを信じてる。
だから強さを知っている。理解して、それを手にしている。
決着を、漸く理解した。決別しろということ。弱い、あたし。
覚悟の無いまま旅に出てから、"なあなあ"にしてきた覚悟たち。
ぎゅ、と力を入れて彼を抱きしめた。
先程より、シルバーくんの赤髪が鮮やかに見えた気がした。
「いいんですか、シルバーくん。あたしのこと本気にさせて。
…後悔しますよ?」
「本気のお前に勝たなくちゃ何の意味もないだろ」
少し離れた体を目で確認して、優しく頬を滑る指とは裏腹な表情。
優しい手つきなのに、こんな風に意地悪く笑う。あなたは悪い人じゃない。
あたしの目を覚まさせてくれてありがとう。
御礼に、たっぷり、バトルを楽しませてあげよう。
「紅霞、薬はあるから、暴れるよ!」
『
イチャつくのやめてから言えよ阿呆!!』
「あっ…あほ…!?紅霞なんかバクフーンに遅れをとってるリザードンじゃんか!」
『
ンだとォ…!?あーわかったヤッてやろーじゃねェか!!』
イライラと舌打ちした紅霞に口角を上げる。
たまには言ってみるもんだ。いつまでも言われっぱなしというのも癪なものだし。
もう一回、名残惜しくてシルバーくんを抱きしめる。シルバーくんのほうがずっと身長が高いから抱きつく、が正しい表現だけど。
そのまま耳元に顔をよせて小さく呟いた。
「ありがとう、だいすき」
「なッ…!!?」
「紅霞、旋回して!」
逃げるように体を離して、それから意地悪い笑みをお返ししてあげる。
真っ赤になったシルバーくんに少し、申し訳ない気もしないでもない、けど、うん。
でも煽ったのは向こうだ。じゃああたしは、その「ちょうはつ」に甘んじてのって進ぜようか。
「油断してたら何もできないままあたしに負けますよ?」
「っ…バクフーン、影分身だ!」
「させないで!紅霞、炎の渦!」
分身したバクフーンくんが消えていく、渦の中、両者が対峙する。
このあたりはシロガネ山の関係で肌寒いはずなのに、まるで炎の中にいるように肌が悲鳴を上げている。
それでも負けられない。覚悟は、できてる。
「バクフーン、"噴火"!!」
「紅霞、"ブラストバーン"!」
焼け付くような炎の中、あたしだけは立っている。自分の中に生まれた覚悟を受け入れ、強さに変えられた。
そんな自信に満ち溢れていた。
立っていたのは、紅霞だった。不安はひとつもなかったが、それでも紅霞の傷を見て薬をふたつ取り出した。
ひとつをシルバーくんに投げ渡す。
手当てを始めれば、それを見たシルバーくんは気絶したバクフーンくんの顔を軽く叩き始める。
容赦ないな、と苦笑すればバクフーンくんがむくりと起き上がる。え、起きるんだ。タフだ。
『
相変わらず、嬢ちゃんはお強いこったなァ』
「どーいたしまして。大丈夫?」
『
この通り頑丈に出来てるさかい、ご心配には及びまへん』
ぺし、とバクフーンくんがシルバーくんの頬を軽く叩く。先程の仕返しだろうか、にやにやと彼は笑ってる。
シルバーくんがむすっとして乱暴に薬を吹き付ければ途端に歪んだ。痛いのか、そうだよな痛いよなぁ…。
紅霞の傷にゆっくりと薬を吹き付ければ、少し、顔が歪んだ。
「ありがとう、紅霞」
『
……腹立つ』
ぶすり、と不貞腐れたように彼が顔を背けた。
治療の手を休ませずにしばしば彼のご機嫌を窺う。あたしに、怒ってるのかなって不安になったけれど爪に気をつけながらあたしの背に腕を回したままなのでそれはなさそうだ。
じゃあ、なんだろう?と首を傾げてみても視線は背けられたまま。
『
進化して、翼が生えて。なんでもできる…って、思ったんだ』
「うん・・・?」
『
翼があっても、壁は、どんどん高くなるな…』
空を見上げて苦しそうに、紅霞が呟いた。
理解はできないけどポケモンなりの悩みってあると思う。何も言えずにその端整な顔立ちを眺めていると視線が交わった。
口を開いて言葉をなんとか搾り出そうとするけれど、中々言葉にならず、結局閉じてしまう。
伸びてきた黒の手があたしを掠め取って、暖かな体温がきつく押し付けられる。
膝立ちでバランスが取りにくいのにぐいぐいと力を押し付けられる。
「
こうしたら、まやかしでも…同じ場所に立ってンのにな」
「紅霞は、紛れも無くあたしの隣にいるよ」
よしよし、といつもより近い位置にある頭を撫でる。
なんだかんだいって彼もまだ青いというものだ。ふふ、ヒスイさんはこう見えて君らより年上だからな!
いい気分でなでなでをしていたらぐいっと後ろに引っ張られる。紅霞を離して混乱していると肩を背後から抱かれる。え、え?
「リザードン、ポケモンはポケモンらしくしたらどうだ?」
「
コイツは俺のモンだから、離せよ」
「はっ、躾のデキてないリザードンだな。」
「
咬みついてやろうか?」
どうやら後ろにいるのはシルバーくんらしい。
なんでこう、男っていうのは、絡みたがるんだろうか…。
はあ、とため息を吐いて紅霞を無理矢理ボールにしまう。まだ治療していない箇所があるけれどあれだけの元気があるのだから大丈夫だろう。
でも肩に絡みついたままの腕は離れる気配がない。
ここで、一旦お別れだ。今までここを目指して歩いてた。危ないときは傍にいてくれて、助けてくれた。
でもここでそれもおしまい。
だから覚悟を教えてくれた。最後の最後まで、あたしの背中を押してくれる。
でももう手はひいてもらえない。
「シルバーくん、今まで、ありがとうございました」
ぴくり、と彼の体が揺れたのを服越しに感じる。
でも姿勢は変える気がないようで、がっちりとホールドされてしまって。
仕方無しにそのまま口を開く。
「たくさん助けてもらったから。すごく、すっごく助かった。あたし、」
「・・・」
「シルバーくんと出逢えて、良かったです」
回された腕に触れて、そう言い切った。なるべく声が震えないように早口で。
わかってる。また会える。ズバットちゃんとの約束もあるし、でも、こんな広い世界で?
簡単に再会できるのかな、難しいよ。それにシルバーくんだって、望んでないかもしれないし…
鼻先がつんとして、悟られたくなくて、俯いた。
「最近、わかってきた」
「・・・へ?」
「ポケモンに向けたお前の感情が、わかってきた。強いポケモンは変わらず好きだ。
…ただ、最近は、強いポケモンを捕まえたい、とはあまり思わない」
静かに告げられた言葉に顔を上げる。それは彼の胸に閊(つか)えてまるで上がらなかったけど、でも、意思は汲まれたようで頭を一撫でされて、それから解放される。
軽くなった肩、陰る視界。
今度こそ振り向けば冷たくなってました風に揺れた赤い後ろ髪が見えるばかりで、慌てて立ち上がる。
でもかける言葉、見つからない。
「コイツらを育てて、お前に勝つからな」
「シルバーくん!」
踏み出した一歩を遮って、声をかけてしまった。
なんて言えばいいかわからないけど。
ひとつ深呼吸して、結局、巧い言葉が見つからなくて。
「ありがとう」
それでも今一番伝えたかった言葉だから。
彼の心に少しでも光が射し込んだならば。
この世界にだっていくらでも光が射し込む可能性があるってこと。
だから伝えたい感謝があって。
うっすらと笑って。
角の取れた視線が、ゲートの奥へと消えていった。
2012.03.13
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