◎66 : 激励
紅霞の背に乗って空を切る。
白いバルーンハットに光る8つのジムバッジ。
ジョウト地方を歩き、戦い抜いたという証。
戦うことは、相変わらず嫌いだ。
だけど通らなければいけない道だった。そうして、紅霞たちや、相手のポケモンを傷つけた。
それを覚悟の上でお互いバトルをしているとは言え。
マフラーが風を受けきれず後ろに流れていく。
まずはワカバタウンに戻って、ハナノさんに挨拶しよう。
このマフラーをクリーニング屋さんに頼んで、すぐに発とう。
時間がどれほど残されているのかあたしにはわからない。だから、なるべくはやく彼を見つけるべきだった。
見つけて、…なんとか、救えたなら。
マサラタウンで図鑑にデータをいれてもらって。そうしたら、ワカバタウンに戻ってこよう。
ポケモンの悲痛な叫びが聞こえたら、助けに行こう。それで、ハナノさんの家に帰ればいい。
紅霞の首に額を押し付けた。ようやく終わった、あたしの旅は、終着点までもう少し。
つらいことも悲しいことも、たくさんあったけど。たくさんの笑顔と出逢ってきた。
・・・たのしかった、なぁ。
『
…ヒスイ?』
「ん?どうしたの?」
『
泣いてンのか?』
心配する声色に、慌ててあたしは袖で涙を乱暴に拭った。
「まっさか!久々にゆっくりしたいなって思っただけ!」なんて笑って言ってみせたけど自分でも声が震えているのがわかって少し後悔した。
紅霞は、歩みを止めてしまうあたしに何か言いたいだろうか。どうせなら、言って欲しい。
だけど彼は抉ることはしない。ただ、『
そうか』とひとつ言葉を吐いて翼を羽ばたかせるだけ。
不器用な優しさが、あたしを狂わせる。
意気地なしだと罵ってくれればいいのに。結局保身なのだと、罵倒してくれればどんなに楽なんだろう。
誰からも責められないことが恐ろしい。甘えるに甘えきれず、堕ちるに堕ちられない。
旅を続けて、ポケモンたちを救い、そして強くなれば。そのほうが、調律者の役目は果たせる。
だけどあたしにはこわかった。もう誰も、傷つけたくない。
どこにも行かなければ傷つくことなどないのだから。たまに救って、たまに外に出ればいい。
ならば調律者としての役目も果たせるわけだ。
そうやって保身に身を投げたあたしは到底善人にはなれそうにない。
『
もうすぐワカバタウンだ。…久々に、ワカバの風を感じるな』
「そうだね、懐かしい。一日中飛んでもらってごめんね?昨日白波が疲れてたから」
昨晩のジム戦で流石の白波も堪えただろうから紅霞に空を飛んでもらっていた。
一日休んだとはいえ、やっぱり、心配。翠霞にもまだ休んでもらいたいし。
今日はハナノさんの家…ううん、あたしの家で休んで、明日はチャンピオンロード前まで行く。
それでいい。
『
別にお前のひとりやふたり、どーってことねェよ』
「ん、ありがと」
風が暖かくなった。眼下にはワカバタウンが広がっていた。
眠い眼を擦って視界を広げる。そうか、ここは、"うち"だ・・・。
朝日がさんさんとカーテンの隙間から容赦なく差し込んでくる。ベッド、こんなにふかふかだったっけ。
パジャマを着替えずに階段を降りると柔らかく笑うハナノさんがいた。
「あ、おはようございま・・・」
「ストップ。ヒスイちゃん、敬語はダメよ?ちゃんとお母さんって言ってくれないと私寂しいわ」
「…おはよう、お母さん」
ふ、と笑うとハナノさ…いや、お母さんも満足そうに笑ってくれた。
あたしがポケモンだとしてもお母さんのお世話になりたいと思うし、それはとても幸せだと思う。
庭では白波がポケモンたちの遊び相手になっていた。やんちゃそうなコラッタの尻尾をつかまえて口をへの字に曲げていた。
「おはよー、白波。翠霞は研究所に泊まったの?」
『
おはようございます、起きたのですね…ええ、翠霞は昨晩は戻ってきませんでしたよ』
あ、こら、ポッポ!と頭にとまったポッポに声をあげる白波にくすくすと笑ってから家の中に戻った。
朝食が並んでいてついお腹が情けない声をあげた。
「ふふ、お腹すいちゃった?丁度できたところで良かったわ」
「て、手伝わなくてごめん…」
「いいのよ、ヒスイちゃん疲れているでしょう?ホントはもっと休んでいってほしいんだけど…」
そういって曖昧にお母さんが笑った。ごめんね、でもすぐに帰ってくるよ。
彼を救ったらあたしの役目のほとんどは終わったも同然。仕事でコガネに行かなければいけない日もあるだろうけれど。
ゆっくり音楽して生きて行こう、なんて老後みたいに計画をたてて嘲笑した。
朝ごはんはどれもおいしくて、自分とは違うお味噌汁の味にどこか懐かしさを憶える。
このテーブルの下に紅霞…まだ、ヒトカゲくんだった頃の彼がいて、厭らしい笑みを浮かべてあたしの嘘を見破って。
彼が買ってきたボールに文句言いたげに黙ったときも、頭の上に乗ってくるようになったときも。
ここには小さな思い出たちが詰まってる。だけどここに留まってはいけないと、どこか頭の片隅で警鐘が聞こえるのだ。
ずっとずっと聞こえてる。それはあたしがここに留まることで、調律者としての責務を全うできずに現実に戻されるからか。
まだ、考える時間はある。
朝ごはんを咀嚼することに集中してニコニコとポケモンフードをポケモンたちに与えているお母さんの姿を横から覗く。
白波はそれを手伝って、まだ人に慣れることができていないポケモンにきちんと食べるように教えている。
「ごちそうさま、お母さん」
「お粗末さま。さ、その寝ぼけた顔を元に戻して、ウツギ博士がお待ちしているわよ」
「え、連絡がきたの?」
驚いて見上げると「あなたが夢の中にいる時にね!」とウィンクひとつもらった。申し訳ない。
シャワーを浴びにバスルームに向かう。昨日のうちにマフラーを預けていたから、今日はそれを受け取って、それから、翠霞を迎えにいって。
白波と合流したら進まなきゃいけない。皮肉なもので、全てが始まったこの地から全てを終わらせるための場所へと行くのだ。
もちろんゲームじゃないこの世界では出身町なんていうのは様々なんだけれども、あたしにとってここは始まりの地だ。
始まりとして歩みだした場所とは反対の、海を渡る。
それが「始まり」の反対の道だと思うとこわくなる。
追い風だと、思っていた。ずっと。今日からは"向かい風"。
シャワーから上がって曇った鏡を乱暴に右手で拭う。そこに映るのは不細工な"あたし"。
首から下げられたアンノーンが黒い瞳を不安そうに揺らした。
「何をするにも、まずは、行くよ。ヒスイ。」
鏡に向かって眼を細めた。新たな始まりに身を投じる。
ドライヤーをかけて綺麗に洗われたバルーンハットをかぶりなおす。鈍く輝く8つのバッジ。
指で順になぞってからベルトに縛られた6つのボールを指で弾いた。
鞄をさげてバスルームを出る。
いってきます!と声をかけて玄関を飛び出した。マフラーを受け取って(綺麗な袋にいれてからちゃんと鞄にしまったよ!)研究所に足を向けた。
木の葉が風に揺れる。帽子をおさえた。不意に「ヒスイ!」と声をかけられて、振り返った。
「久しぶりだな、ヒスイ!コガネ以来、か?」
「ヒビキくん、」
彼がにっと無邪気に笑った。彼の傍には小さい羽で一生懸命飛んでいるトゲチック。
卵、孵っただけじゃなくて進化してる。久しぶり、とあたしも笑顔になると彼の視線があたしより少し上で止まった。
上を向いてみても、何もない。
「ヒスイ、バッジもう8つ全部ゲットしたんだな…」
「あ、うん。つい一昨日にね」
手でピースを作ってみせるけれど、彼は曖昧に笑うだけ。
首をかしげて反応を待つと、意を決したように彼が口角を上げた。
「ヒスイ!バトル、しようぜ!」
「へ!?」
「1vs1のバトル!一回、ヒスイとやってみたかったんだよ」
マリルちゃんを捕まえて、不敵に笑う。あたしの手元には紅霞と真紅とギャラドスさん。
彼は一番の相棒のマリルちゃんを出すつもりなんだろう。
模様の入ったボールを取り出して頷いた。
「いいよ、バトル。…しよっか!」
「サンキュ!マリル、いくぜ!」
『
任せて!』
マリルちゃんがふふん!と好戦的な眼をあたしに向けた。
彼と距離をとって、手に取ったボールを投げた。眠そうにじっとりと、青い小さな彼女の体を睨みつけた。
口からはチリチリと炎が漏れている。
「炎タイプでいいのか?」
「ヒビキくんが最初のパートナーで勝負を挑んでくるのなら、あたしも、最初のパートナーで挑むよ」
正確には翠霞のような気もするんだけれど、彼は今研究所だし。
だから紅霞しかいないけど・・・たぶん、大丈夫。
「紅霞、マリルちゃんとバトルしてくれる?」
『
つまらねェバトル、すんじゃねーぞ!』
そうマリルに吐き捨てる紅霞に苦笑する。ごめんねマリルちゃん、口が悪くて。
でもやる気になってくれた紅霞が口角を上げる。
こらこら、口から炎漏れてるよ…。
でも楽しそうな紅霞にふ、と息を吐いてマリルちゃんと対峙する。
戦うのは嫌い。みんなが傷つくから。でも望まれたなら。
あたしがそれを拒絶する理由は、ないから。
「いくぜマリル、波乗り!」
「紅霞、炎の渦で蒸発させて!そのまま火炎放射!」
湿った熱風が風圧になって体にぶつかった。
2012.03.07
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