13 : Stroll





ポッポの鳴き声で目が覚める。まだ少し冷たい風が頬に刺さる。
町も目覚めてはいない静けさと、二度目のハナダシティ。ポケモンセンターの近くのベンチに横になっていたらしく、顔にも腕にも足にも、ベンチのあとがくっきりと残っていた。

ああ、そうか、スイクンさんの背中でこっそり泣いてたら、寝ちゃった…んだ。
スイクンさんの背中が涙と鼻水で汚れてないといいけど…。

ポケモンセンターに入るとラッキーたちが忙しそうにぱたぱたと歩き回ってた。
ジョーイさんはまだいないみたいで、働き者のラッキーに手を振っておく。

部屋に静かに戻ればこんもりとした布団。レッドさんもまだ寝ているみたいなのでそっとシャワーを借りる。
バカみたいに泣いた昨晩を思い出させるひどい顔が鏡に映った。

どうして、シルバーくんはあんなことを。落ち着いた頭で考えようにもあの、ひどく冷たい視線が思考を支配する。
既に終わったことだ。これ以上、悩んでも…仕方ない、こと。
結局あたしがすべきことは変わらない。彼がいなくなったとしても、誰かと出会ったとしても。

冷たい水で腫れた瞼を冷やしながら、今日はゆっくりさせてもらえるかな、と淡く期待する。
どのみちこの精神状態ではジム戦なんてできないんじゃないだろうか。

どこか懐かしい、できれば味わいたくなかった感傷に浸る。
そういえばドロだらけだった。今度スイクンさんに会ったら洗わせてもらえないかな?

背中、ドロだらけにしてしまったかも。本当にあたし、弱すぎる。


ヒスイ…?


バスルームの外で翠霞の声が控えめに聞こえた。小さく、おはよう、と声を返す。


「まだ眠っててもいいよ?」

……昨日はたっぷり休んだから、もう眠くなくてさ。
 シャワーが済んだら僕とデートなんていかが?お嬢様。



冗談交じりの声につい、扉越しにウィンクしている翠霞を想像してしまってふにゃり、と頬が緩んだ。
きっと白波から聞いていると思う。気をつかわせてしまっている。
でも今は、それがとてもありがたく感じて。


「お誘いありがとう、すぐに済ませちゃうね」


なんとか声を絞り出して、震えないように気をつける。頭に過ぎる赤毛を見ないフリして、思い切り冷水をかぶった。

髪を乾かしてバスルームから出ると翠霞がにこり、と笑った。甘い香りが部屋に広がっている。
鞄とボールは用意してくれたみたいで、それを受け取ってメモをテーブルに置いておく。


ハナダマップによると公園があるみたいなんだ。少し町外れだけれど。

「じゃあそこに行ってみよっか?」


こそこそと小さい声で目的地を決めて部屋を静かに出る。その間、レッドさんはぴくりとも動かなかった。
疲れていたのかもしれない…あたしにピッピを見せてくれるつもりで、あまり寝ていなかったし。

閉まった扉を振り返って、声を出さずにありがとうございます、と言った。
届くことはないにしろ、今はゆっくり休んでくれるといいな。

ポケモンセンターを出て(ジョーイさんはもう起きて仕事を始めていた)(早起きだなぁ…)町を歩く。
まだまだ時間ははやく、お店も開いてはいない。


ヒスイは眠くない?

「ん、なんだか目が冴えちゃって。」


だから大丈夫、ありがとう。と隣を歩く翠霞の首を撫でる。
首からするすると伸びてきた蔓が腰に絡まって、身体が宙に浮いた。そのまま、翠霞の背に座らせられる。


「す、翠霞、」

乗せて歩きたい気分なんだ。…だめ?


翠霞が甘えるような声で頭を頬に押し付けてくる。甘い香りがより一層強くなった。
甘えてるくせに、あたしを甘やかせてくれる。優しい翠霞にあたしは簡単に甘えてしまって。
それも悪くない、こんな日は。


「いい音だね」

音?

「風が通るたびに、植物が揺れるでしょ?要因は風って一緒なはずなのに、花の揺れる音、木の葉が擦れる音。
 微妙に違ってていい音だなって」

……ヒスイが今どんな気持ちでいるのかさ、僕は、悔しいから解りたくないんだ


唐突に、翠霞が口にする。公園は見えているけれどまだ少し距離があった。
翠霞の足音と、風に揺れる葉の音が混ざる。


だからヒスイに大丈夫なのかって聞くのは嫌なんだ。でも、多分つらいんだと思う。
 その気持ち…歌にしてみたら、いいんじゃないかな


「作曲、ってこと?」

そう。今しか書けないヒスイの気持ち、ぶつける矛先を見つければいいと思う。
 公園なら眼も気も疲れたら休ませられるでしょ?



どうかな、と翠霞が聞いたときには公園にたどり着いていて、腰に巻きついていた蔓がなくなっていることに気がついた。

そう、かもしれない。違う、今までそうしてきたはずだった。なんでこんな簡単なこと、思いつかなかったんだろう。
顔を上げると困ったように翠霞があたしを見ていた。

彼らがいてくれるから、あたし、普通に泣いて、普通に傷ついたんだ。
ひとりじゃないから、彼らがいてくれたから。

そう思うと頬が緩んで、ありがとうを言葉にすることができた。提案に対してじゃなくて翠霞があたしを救おうとしてくれるその心が、とても嬉しかった。

家族だと、仲間だと手を差し出したくせに、あたしは何もわかってなかった。
自分のことも他人のことも守りたいくせに、自分のことは自分でなんとかしなくちゃってもがいてた。
そうじゃなかったんだ。もう、ひとりで泣く必要なんて、なかった…そうなんだよね?


「書いて、みる」

ん、その調子だよ、ヒスイ。


翠霞の背から降りて芝生に座り込んだ。
鞄から作業用のパソコンを取り出している間に翠霞が背のほうに回った。背もたれができて、おしりも痛くない。
贅沢だなあなんてほくそ笑めば翠霞も同じように笑った。

春のにおいが、した。太陽の日差しが少しずつ強くなってくる。

イヤホンから流れる音に気を遣いながら暫く作業を続ける。
ポッポの鳴き声も、木の葉の擦れる音ももう届かずにただひたすらに没頭していた。
一区切りがついた頃には気がつけば太陽も高くのぼっていて、野生のポケモンたちがちらほらと公園に出てきているのが小さく見えて。

んーっ、と伸びをして振り向いた。翠霞は、どうやら二度寝をしちゃったみたいだった。


「眠くない、って言ってたのに」


頭を静かに撫でれば無意識なのか擦り寄ってくる。ごめんね、ありがとう。
一区切り付いたものをメールで送って、そのまま翠霞の身体にもたれかかった。
少しくらい寝ても、いいかなぁ。あったかくなってきて気持ちいい。ちょっとだけ、と重くなり始めた瞼を閉じる。

ふわふわと甘い花に包まれる。




何かに、叩かれてる。どんどん強くなっていって、いきなりもたれていた翠霞が崩れた。
違う、翠霞が崩れたんじゃなくてあたしが崩れたのか。地面にキスした顔を起こして袖で擦る。

翠霞が何からかあたしを守るように立っている。


「翠霞?」

ヒスイ、バトルするよ

「野生のポケモンでもきたの?」


翠霞の背からひょいと顔を覗かせれば、綺麗な色の髪の男が立っていた。途端にぞくりと背筋が凍る。
まさか、戻ってきたの…ギンガ団!!

ふらり、と置きぬけの脳で立ち上がってボールを確認する。
翠霞で行くべきか、相手の出方を見て・・・


「無防備に昼寝をしているから忠告してやろうと思ったら、なんです。」


綺麗な色の髪の男が喋った。『襲おうとしたやつが何を言ってるんだか』と翠霞が吐き捨てるのをよそに、このどこかで聞いたことのある声に首を捻る。
ギンガ団だとばかり思っていたけれどよくよく見るとオカッパではないし、あの宇宙服も着ていない。というよりは完璧な私服。
それに光の加減で何色か把握できなかった髪も綺麗なエメラルドグリーンだった。

暫く黙っていると男の人も痺れを切らしたのか被っていた帽子を少し上げた。


「久々の再会だというのに、私の事を忘れたのですか」

「あっ、もしかして…ロケット団の…!」


空気が凍った。・・・だれ、だっけ「ランスです!!」あ、そうだランスさん!
とりあえず、気を取り直して。


「あっ、もしかしてロケット団のラン「もう良いです黙りなさい」……すいません」


怒られてしまって翠霞の首の後ろに隠れる。臨戦体勢だった翠霞も急に呆れたようにため息を吐き出した。
あ、そうか、ロケット団って捕まったはずだよね。翠霞はランスさんだとわかっててバトルって言ったのか。
てっきりギンガ団だと思ってたよ…。


「ランス、さん。捕まったはずじゃ?」

「私がそう易々と捕まるはずがないでしょう。…ですが、アポロ以外は捕まっていますね。彼も今どこにいるか」

「そう、なんですか…。って、しんみりする相手じゃなかった」


自分で解散に仕向けたくせに何しんみりしてんだ、とでも言いたげなランスさんの視線と翠霞の視線がとても痛い。
と、ところで!と慌てて話題を変える。これ以上バカを露呈したくないし…!


「ランスさんはどうしてハナダに?」

「おや、聞いていないのですか。シンオウの連中が私たちの領域を侵そうとしているものですから。
 馬鹿な連中…ですがもはやロケット団に力が無い以上、彼らの横暴を止める手立てはありません」

「…そう、ですか」


まるで責められている気分になる。恐らく、責めているんだろう。あたしが、レッドさんの後釜を、

・・・・レッドさん、の?


「もしかし、て」

「? なんです、人の顔をじろじろ見て」

「す、すみません」


慌てて頭を下げる。

レッドさん…彼は、ロケット団を壊滅させた張本人。そして、ロケット団の元トップ…サカキは、シルバーくんの。
……直接、そんな話をしたことはなかった。したことはなかったけれど、聞いたことが、ある。小さいときの記憶。

知ってたはずなのに…なのに、あたしは、シルバーくんになんてことを。

あの冷たい視線の理由も、理解できるのに。こっそりふたりが会わないように別の場所で別れることだってできたのに。
それでも、もう済んだこと…なんだ。


「何を悩んでいるのか知らないですが」


ピシャリ、とランスさんの冷たく言い放つ。
彼にとってロケット団は家と、家族だったのかもしれない。彼らのしていたことは許せないことだったにしても、あたしの考えだって横暴なものだ。


「貴女は、ロケット団を壊滅させた。そして今、別の組織がカントーに足を伸ばしている。
 その責を貴女はどう受け止めるつもりですか」

「…わかり、ません。できること、したいって思うけど」


あたし如きが、どう足掻いても、何をしても…まるで雪玉が転がるように、自体は進むごとに複雑化して、手に負えない大きさになってしまうのではないのか。
あたしのしてきたことは、全部ゼンブ間違ッテ


「しっかりなさい。貴女は私たちロケット団を壊滅させるほどの実力者でしょう。
 頭もひどく悪いわけではないくせに…今の貴女を見ていると、苛々させられます…!」

「っ・・・!」


そんなこと言ったって、あたしに力なんてない。ここに残って、守り続けるべきなの?
そんなことをするために、あたしはここに呼ばれたの?

どこを探しても虚無感しか残らずに、今のあたしに自由に生きる選択肢も、希望も。
なにも


「…まあいいでしょう。貴女から頂いた休暇で私は、探しものをすることにしました」

「さがし、モノ?」


唐突にランスさんが言ったその一言に囚われそうだった思考が解放される。
既に彼は踵を返してゆっくりと距離を離していく。


「貴女も、」


探せばいいのではないですか。少しだけ振り向いた彼に何をとは聞き返せなかった。
いつも冷たい彼の視線が、憂いを帯びていたから。

ランスさんが探しているのはきっと、今まで探せなかった大切なもの。
それが何かはわからなかったけれど…でも今、自分が探さなきゃいけないものが何なのか。

たぶんあたしはきっと、大切な何かを知らないうちに落としてしまったのだから。



2012.05.20





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