16 : Feeling





昨日のカスミさんとのジム戦もなんとか無事に終わり、私とレッドさんはようやくハナダシティから一歩、進むことができた。
彼と再会を果たしてからここからマサラタウンに戻った。ということは、私たちはまだここから進んでいなかったんだ。

大事な一歩、小さいけど大きい意味を持つ前進。

少しだけハナダシティを振り返ってみる。一歩とは言っても物理的には結構進んでいてハナダの町並みも小さく見えていた。
ここから真っ直ぐ南に向かえばヤマブキシティ。ということは、エスパータイプのナツメさんがいるはず。
エスパータイプ、かぁ…


「そういえばレッドさん、フレンドリーショップで何を購入されたんですか?」


ぼんやりと思い出しながら尋ねれば簡潔な返答をいただく。「胃薬」
胃薬?薬局に行ったほうが種類もあるし安く済むだろうに、なんて思いつつも胃薬、と口の中で繰り返す。


「胃の調子、良くないんですか?」

「うん、たぶん」

「多分って…そうは見えないですけれど、きつくなったらお医者さんに行きましょうね。
 ヤマブキなら病院もたくさんありそうですから」


わかったことがある。この世界は、病院が少ない。無いわけではなく、少ない。
代わりにほとんどの町にはポケモンセンターがある。ないところは代わりに回復マシンが備え付けられた施設があって、ポケモンに詳しい人がいるのだ。

ポケモンセンターは宿というよりはポケモンの病院。あたしの"家族"はみんなポケモンセンターの世話になりたがらないけれど普通はバトルの後に回復しに行く。
トレーナーはただ疲れたなら休めばいいだけなのに対して頻繁にポケモンたちは怪我をしてしまうのだ。

だから、ちょっとだけ人間の病院を探すのは骨が折れたりする。
もちろんこの世界の人間も例外ではなく風邪をひいたり、病気になったりする。ただちょっぴり健康な気はするけれど。

ちらり、とレッドさんを見る。胃が悪いと言った割にはやっぱりキリキリ歩いているしどうにもそうは見えないのだけれども…しっかり朝食も摂っていたし、この人は普通の人よりずっと頑丈なのに。
拾い食いでもしたのかな…昨日から様子はおかしいもんね、あたしがきちんとみておかないと!

気合を入れなおしてキリキリと歩くあたしのスピードに合わせてレッドさんもついてくる。
やっぱり、元気そうなんですけれども。


「そういえばレッドさん、カスミさんにご挨拶なさらなくても良かったんですか?」

「別に話すことないから」

「そうですか…昨日もジム戦終わった後買い物だったりにすぐ向かったので全然お話できなかったなぁ。
 あ、そういえばわざマシンもらったんでした。これなんだろ…」


水色のディスクを取り出して首をかしげる。
説明してもらう前にレッドさんに連れて行かれてお礼を言うので精一杯だったのだ。急ぐ用事もなかったはずなのに。

レッドさんに隣から覗き込まれて「みずのはどう」と一言、彼が口を開く。
みずのはどう…そういえばスターミーと真紅のバトルでスターミーが使用していた技。どんな効果があるのかあのバトルではよくわからなかったけれど恐らく水タイプの技で合っていると思う。

はどう、ということは真紅でも憶えられるかな?ギャラドスさんには必要がなさそうだろう。


「じゃあ真紅に憶えてもらおうかな、波導使いだもんね」

「それが良い。そろそろ休憩しよう」


気がつけば太陽も真上を通過したらしく、お腹も切なげに悲鳴を上げている。
昼食時なのも事実なのだろうけれどやっぱりレッドさんは少し変かも。前ならあたしから誘わなければご飯なんて忘れてしまっていたほどだったのに。

折角のお誘いだし、ご飯を食べながら真紅にみずのはどうをすすめてみようかな。
少しだけ休憩したら、今日中に頑張ってヤマブキに着けたらいいなぁ、なんて。



虫ポケモンの声がする。
一日歩き続けて疲れきった足を投げ出して先程まで眠っていたのだけれど通り抜ける肌寒い風を感じて呆ける頭を無理矢理起こす。

窓が、あいてる。

レッドさんは隣の部屋にいるはずで、きちんと窓は閉めたはずなのに…。
静かに真紅のボールに手を伸ばす。橙華のいるポケギアは鞄の中、手は届かない。だけど窓があいているだけで部屋が荒らされた形跡もないし、あたし自身無傷だ。

物音や人の気配を感じないことを確認してボールをサイドテーブルに置きなおす。ゆっくりと窓辺に近づけば何かが動いた。
どう言葉にしたら良いかわからないのだけれども、"水のカタマリ"のようなものが私をじっと見上げていた。狼や馬に近いものを模している気がするけれど手乗りサイズのその動く水のカタマリが何をモチーフにしているかは理解できなくて。

ただ敵意がないだろうことは理解ができた。小さな鼻先で傍にあった小さな花束を押す。
花束というには小さく、数本しか花はない。だけどとても良い香りがするそれをそっと手に取った。結構長く旅をしているけれどみたことのない種類…カントーの花かな?

目線をあわせるように屈んできちんとおすわりのポーズをしている水のカタマリを見る。


「これ、くれるの?」


尋ねればこくり、と頷く。どうやら意思疎通はできるみたいで手を差し出せば手のひらに乗るその様子がすごく可愛らしい。
この子がポケモンなのか、ただの水なのかはわからない。だけどなんだか和んでしまってつい警戒も忘れて「ありがとう」と微笑んでしまった。

いきなり、水の子が頭を上げてキョロキョロとする。そのまま手から窓辺にジャンプして、外に飛び出す。
飛び出してすぐに弾けるようにただの水になって落ちていく。あ、と声を上げたときにはもうあの子はいなかった。

一回しかないノックの後すぐに扉が開く。慌てて振り返ると、レッドさんが目を擦りながら扉を押して入ってくる。


「ヒスイ、声がしたから…どうしたの」

「あ、いえ…」


窓辺から外へと視線を送る。やっぱりあの子はもういなくなっていて残念な気持ちをぐっとこらえる。


「なんでもないんです、寝ぼけちゃってたみたいで」

「そう。その花…」

「あ、これ……えっと、レッドさんご存知ですか?」


花を差し出す。差し出す動きに合わせてふわりと花の香りがした。
それを受け取ったレッドさんは暫く考えた後、首を振る。…レッドさんが知ってそうなものってポケモン関係のことってイメージがあるから案の定、ともいえるんだけど。

受け取った花の茎を軽く握って外をちらりと見る。あれ?


「…今」

「どうかした?」

「何かいた、ような気がしたんですけれど…」


視界で何かがちらついた気がしてよく目を凝らす。でもここはヤマブキ、大都会のしかも中心といっても過言でない位置にあるポケモンセンターで野生のポケモンが出歩くわけがない。
人なら気配くらいあるだろうし、ポケモンならトレーナーが近くにいるはず。

可能性が一番高いのは…


「…たぶん、あたしの気のせいです」

「そう。明日ジム戦だから、はやく休んで」

「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」


出て行くレッドさんにお礼を言って窓をゆっくりと閉めた。花はまだ強く香っている。



顔を上げる。どうやら連れ立っていた人間が起きたらしい、小さくだが会話が聞こえた。きっとあの開いた窓ももうじき閉じられるだろう、くるりと背を向ける。
私は、何をやっているのだ。自嘲気味に目を伏せれば夜の草が足裏を擽る。

願いは叶った。彼女がまた、笑ってくれれば良いと思っていたのだ。勿論私の行為だけが影響したのではないだろうということは自覚していた。…だかそれでも彼女は笑ってくれたのだ。嬉しそうに、あのようなもので。
まるで私の体内を廻る血液が沸騰したかと思うくらいに、一瞬感覚が麻痺した。頭が痺れるような、身体が火照るような気分だった。実際にはそうではなかったようだが。


「彼女は……」


少しは気を紛らわせてくれたのだろうか。少し傷ついた足に視線を落とす。あの花の咲く崖までの山道も然り、崖でも少々無茶をしてしまったらしい。放っておいてもこの程度なら差し障りはないだろうが。
振り返ると窓を閉めようとしたのか、窓際に近づいた彼女が見えた。まただ、動悸のような、一瞬の息苦しさ。
慌てて木陰に隠れると少しして彼女が窓を閉めた音がした。

まるで、もう一度顔が見られたらなんて馬鹿な願いを運命が聞き入れたかのように思えた。

慎重に、だが深く息を吐き出した。もう妙な動悸はない。私が何か患うとも思えないが、どうにも不調だ。
ただ不快ではない。念のためエンテイのところに向かうべきだろうか。

念を地に向け送る。そのうちどこかでこれを受け取ったエンテイが私を尋ねてくれるはずだ。彼女だけでなく、私も既に道を誤っているのかもしれない。……彼女に定められた正しい道はないが。
だが私には存在する。彼女を導き、監視者としての役目を果たさなければならない。それは変わりようのないものだ。
今の私に務めは果たせているのだろうか。私は、私は……


「務めで、彼女の幸せを…?」


不意に漆黒の垂れ幕が自身に被さったかのような錯覚を憶える。わからない、私は自分の務めと思って動いていたのか?あのような険しい山道を登ったのも、花を贈ったのも務めだったのか?

考え出すと毒のある植物を口にしたような不快感がこみ上げてくるのを感じた。まるであれは務めではなかったと強く否定するようにひどい気分に頭を二、三度横に振った。
少なくとも私自身は否定している。務めではなかったと、そう訴えている。では何故?

一歩、また一歩と闇に溶け込むように街から遠ざかった。月が少し欠けている。




2013.05.03





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