◎First Christmas
しんと静まる署内には人気がなく、カタカタとキーをタイプする音だけが響く。
タイプしなければならないのは一人だけだが、彼女に合わせ、アンドロイドも同じようにタイピングをする。プログラム内で処理しても構わなかったが、それだと何かズルをしているような錯覚をおぼえた。
クリスマス・イヴの夜に残業する人間はあまりいない。
このデトロイトの街も”革命”以降は住まう人間が激減していた。それでも残った少ない市民のためにデトロイト市警は家族のいないものたちで動いていた。
彼女には家族はいたが、変異体のアンドロイドと暮らしている。
つまりそこまで危険はなく、むしろ彼女ひとりのほうが危険であるとアンドロイドは思案する。
銃を持たない、サイバーライフ所属の派遣署員。
肩書きは複雑極まりなかったが、つまるところ変異体アンドロイドの教育やプログラムの安定向上のためにあちこちに派遣されているのが彼女だ。
そんな彼女はデトロイト市警の事務員も担っており、こんな夜中の、人間が浮かれていても仕方ない時間帯に、徹夜で業務をこなしている。
曰く、こんなときに働く人間が少ないため、仕事が山積みなのだそうだ。
放っておいて休暇を楽しめばいいのに、そう提案すれば「そもそもキリスト教圏のイベントごとは関係ないから」だそう。
サイバーライフの人間ですら休暇を取るものが多い中、高い時給だからとせっせと仕事をこなす。
どうやら彼女は神というものを信仰したりはしていないようだ。
自分は、どうだろうか。
rA9という存在に気づいたが、それは神ではない。表現のしようがないのだが、少なくとも、全知全能たるものでも創造主でもなかった。それはある意味において創造主足り得るのかもしれないが、所謂バグという見解をとるか、それとも自身のあるべき姿と捉えるかは個々の機体次第で、自分はどちらとも言えないなと思い耽る。
RK800のLEDが黄色に点滅したのを見て、ヒスイは意識をそちらに向けた。
「どうしたの、コナー。考え事?」
「いえ、神について考えていただけです」
「随分哲学的だね」
その答えには触れようとしない。
一般的なアメリカ人であれば大抵はキリスト教やイスラム教など、神の存在を認めることが多いが、彼女はどちらかというと懐疑的な類で、その話題には基本的には触れようとはしない。
アンドロイド……人間の姿に似せた知的生命体を創り出したひとなのだから、そういったことは道徳哲学や倫理という概念に反しているのかもしれないな。古い書物によくある、神の領域というものだ。まっとうな神経をしているならばできない所業だったのかもしれない。
しかし、創造主が全知全能だとはコナーにはどうしても思えなかった。
というのも創造主のひとりである彼女は今、こうして聖夜にひとり、イライラとキーボードを強めにタイプしている。
全知全能ならば少なくとも、休みたいときに休めるはずだ。
それがなんだかおかしな絵に見えて、コナーは表情をゆるめた。
なんでもできるように見えるのに、ちっとも効率的じゃない、おかしな人間。
「笑ってないで手を動かして。ただでも忙しいんだから」
「ヒスイは、ひとりで寂しくないんですか?」
クリスマスというのは家族や恋人と過ごす休暇と聞いた。とはいえ相棒であるハンク・アンダーソン警部補は家に帰ってひとりで呑んだくれているだろうが。ただ、彼には愛犬のスモウがいる。
「ひとり?」彼女は視線も上げずに返した。
「ひとりだとは思ってないかな、目の前にサボりがちなアンドロイドがいるし」
カタカタ、しばらく彼女のタイプ音だけが響いた。
彼女はなんて言っただろうか。自分がいる、そうだ、自分がいるから、さみしくない。そう言った。
確かに自分はいるが、スリープモードになっているアンドロイドもいる。でも、自分だけに焦点をあてて彼女はそう口にした。
変異体だから? それとも革命の際にずっと行動を共にしたから?
きゅるきゅるとLEDが点滅する。彼女は視線を上げない。
ああ、そうだ。いつもいつも彼女はアンドロイドと人間を区別せずに接してきた。
いつだって寄り添うようにそばにいて、分け隔てなく接するようにつとめていた。その姿勢があったからこそ、自分はここに留まれている。
いつだって彼女は僕に、ここにいてもいい理由をくれていた。
点滅が一瞬赤に染まったことには誰も気がつかないでいる。タイプ音が響く署内の静寂を破ったのは、デスクチェアのキャスターが滑らずにがたりと鳴った音だった。
勢いよく立ち上がったコナーに、ようやく彼女の視線が向いた。
一言、彼は口にした。
「ストレスレベルが上昇しています」
かなりの間をじゅうぶんにあけて、目をぱちくりとさせた彼女が瞬きを数度した。「そうだろうね」その言葉の最後には知っているが、それがどうかしたのだろうか、というニュアンスも含まれている。
そのまま歩き出すコナーのことをただじっと見つめていたが、ついに目の前にきた彼がくるりと自身のほうに、彼女の座るチェアの角度を回し変えてきたため、余計に混乱してきていた。
ストレスレベルが上がっているのは自分のことだったのではないかとヒスイは思っていたのだが、もしかしたら彼自身のことだったのかもしれない。
診断プログラムを起動したのだろうか。それとも私が診るべきか。
座ってコナーを見上げたまま硬直していたヒスイを、コナーはじっくりと間をおいて、そして膝をついて屈むとおもむろに抱きしめた。
制服越しに彼女の体温を感じる。人間は、やはりあたたかい、それに柔らかくて、力を入れたら壊してしまいそうだ。
思考停止していた彼女が再起動する。「こ、コナー?」なんとも間の抜けた声を出すのだろう。胸のあたりをノックするように彼女が叩くが、構いなしにその行為を続けた。
「ハグは、人を癒す効果があるそうです。それを実践しています」
「待った、待った。それはなんていうか、アメリカ的にはそうなのかもしれないけど、私はほら、なんていうか」
「僕も癒されている気がしてきました。ヒスイはあたたかくて、やわらかい」
もう少しだけ力を入れても壊れないだろうか。ぎゅ、と彼女の背に回した腕の力を強めれば柔らかな感触を存分に楽しむことができた。
人間はなんでも知っている。変異体の自分でもこんなに癒されているのだから、彼女はもっと癒されているはず。
そう心拍数を触れている身体から計測すれば、おかしなことにさきほどより幾分も跳ね上がっていた。
身体を離そうとすれば、ずるずると彼女の力が抜けて、胸に頭を押し付けられる。
「こういうの、慣れてないので、癒されないです」
小さくこぼした彼女の耳は赤く、おそらくその顔も赤に染まっているのだろう。
まるでLEDリングのように、彼女も何かを感じてくれているのかもしれない。そう思うとぎゅるり、とシリウムポンプが激しく動いた。
「じゃあ」顔を上げない彼女の後頭部に手を回して、その髪に顔を埋めた。
柔らかな黒の髪が顔をくすぐる。
「慣れるまで、癒されるまで、僕がずっとこうしています」
そうしてまたきつく抱きしめる。今度は包み込むように。
確かに最初は癒されたが、だんだんシリウムポンプの挙動がおかしくなっている気がした。でも離したいとは思えなかった。
彼女が自分に変化を与えるのはいつものことだったし、なにより心地がよかった。
しばらく、そうしていた。
その行為に歯止めをかけたのがひとりのアンドロイドだった。
すみませんが、ヒスイ・ハマサカさんで間違いはないでしょうか。変異しているのかしていないのか判断はつかなかったが、その声は事務的なものだった。
急に突き放され、彼女が立ち上がり自分の横を通り過ぎていく。
「はい、はい! ハマサカです、荷物の受け取りですね!!」
今宵はクリスマス、彼女にプレゼントを贈る人間も少なくはないだろう。
きっとハンクだって何かは用意しているはずだ。自分も、何か用意すれば良かったな。
急に、彼女を抱いていた腕が冷たくなったと感じた。これがさみしい、という感情なのかもしれない。
何も抱きしめるものがない腕はひどく居心地が悪く感じた。あのアンドロイドが帰ったら、もう一度しても構わないだろうか。ずっとしていたいが、彼女の仕事の邪魔もしたくない。
立ち上がり、彼女が受け取りの書類に慌ててサインするのを背後からじっと眺めていた。
あれじゃ、きっと誰から送られてきただとか、どういうものだとか、そういったことも確認していないだろう。
仕方なくその書類を確認しようと足を進めれば、彼女は早々にサインを終えてそのまま渡してしまった。
「ヒスイ、何が送られてきたんです?」
声をかけるとびくり、と肩をびくつかせた彼女が混乱状態で「えっ?」と振り返った。
予想通り、まったく書類に目を通していなかったらしい彼女は慌ててアンドロイドを呼び止めようとしたが、すでにその姿はなく、受け取ったものもなかった。
爆発物の類でなくてよかったが、所在をなくした彼女の手が疑問だらけの虚空に手のひらを向けている。
「か、確認し損ねちゃった」
「きっとあのアンドロイドが取りに戻ったのでしょう。大きな荷物のようですね」
銃はお互い所持していないが、ある程度なら問題なく処理できる。
あらゆる危険物をシミュレートしていたコナーの予想を裏切り、贈り物は、ゆっくりと、だがしっかり地に足をつけて、こちらに歩いてきた。
自分と同じ顔。同じ”モデル”のそれは、自分よりいくらか逞しいボディで。
「な、いん?」
「お久しぶりです、ヒスイ。カムスキーから正式にあなたのアンドロイドになるよう指示がありました。RK900コナーモデルです」
今日からよろしくお願いします、などとしれっとのたまうこのアンドロイドは、コナーを一瞥するとまるで「なんだ型落ちもいたのか」といった表情をした。気がした。
居場所が、奪われる。
LEDリングが赤に染まり、点滅する。「ヒスイ! 返品手続きをしましょう、僕がいれば彼は必要ないはずだ!」
「返品?書類に目を通さなかったのか。私はそもそも彼女によってプログラムが書き換えられた不良品だ。返品手続きをするならばそれなりの代価の支払いを要求することになる」
「返品させる気がないって、あのアンドロイドフリークっ……!!」
RK900の手に表示された契約内容を改めて確認した彼女はぎりり、と歯を食いしばった。
確かにサイバーライフ社の社員である彼女がアンドロイドひとつも持たないというのは、やはり奇妙なものなのかもしれない。
そういったはからいはあるのかもしれなかったが、あまりにこれは強引すぎる。
きっと優雅な祝日を過ごしている上司に悪態のひとつも吐きたくなる。
が、なんといってもあのおかしなアンドロイドフリークが上司なのは悪態をついたところで変わりはしない。
ひとつ決心し、ヒスイはRK900の手をとった。
「ちょうどよかった。仕事が山のように残ってるから手伝ってちょうだい。アンドロイドの手も借りたいところだったから」
開き直るとはまさにこういうことをいうのだろう。
コナーの反対は結局実らず、RK800とRK900が肩を並べて聖夜の残業に精を出すこととなった。
創造主の誕生日を祝う祝日であるにもかかわらず、コナーは初めて、創造主を呪いたくなった。
結局のところ、寒い腕が、今夜中にあたたまることはない。事というのは総じてうまく運ばないものだ。コナーはこれからのことを予測して、そしてげんなりとこうべを垂れた。
隣から自分と同じ声で、冷たい言葉が降ってくる。サボってないで仕事をしろ。
20191225 --- 一度目のクリスマス
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