08 : For a better day







 大きく車のドアが閉まる音がして、重い目蓋をゆっくりと開く。意識の遠くで男性ふたりが言い争っているのか、それとも戯れ合っているのか、どちらともつかないような会話をしている。
 そういえばハンクの車で眠ってしまっていた。休憩時間とはいえ、随分とぐっすりだったようだ。

「いいか、今朝のような行動は起こすなよ。備品破損の報告書を書くのはごめんだからな」

 扉の音は後から入ってきたハンク・アンダーソン警部補のものだったらしい。それほど仕事に厳しいわけではない彼が眠っていたことを咎めるタイプにも思えなかったので、恐らくはまた事件が起こったのだろうとヒスイは危うげな頭でどうにか整理した。


「悪いな、ヒスイ。休憩は終わりだ。このプラスチック野郎がどうしても仕事に向かいたいんだとよ」

「私は任務のためにサイバーライフから派遣されたアンドロイドです、仕事をするのは至極当然であり、あなたを好きだから”べったり”ついて回っているわけではありません」


 一体何の話をしているのだろうか、身体を起こして二人の間から頭を出すと、二つの腕……そのうちひとつはプラスチック製……が彼女の小さな頭を押し戻した。


「シートベルトをちゃんとしとけ、ヒスイ」

「それには同意できます。ヒスイ、あなたは耐久性が低い」


 アンドロイドらしいご意見に「一般人女性レベルの耐久性は持ち合わせています」と返しながらシートベルトを着用した。結局は何の話かわからず仕舞いだった。

 食事の後、ハンクの行きつけのバーガーショップまで来たはいいものの、彼がまだ食事にありつけていないことを知り、待ってる間彼の車で少しばかり休ませてもらっていた。
 たしかコナーがハンクを迎えに行ったはずなのだが、結構眠ってしまっていたらしい。

 つまり、それだけの時間彼らはふたりで過ごしたということになる。なるほど、仲が良くなった……とも言えなくはない。


「付け加えますが警部補、私はあなたのパートナーとして捜査に参加していますが、ヒスイのパートナーでもあります。あなたにべったりなのでしたら、私はヒスイにはもっとべったりとしていることになりますよ」


 話の本筋はさっぱりわからなかったが、どうやらハンクはコナーをからかい、コナーはそれに対して愚直な返答を繰り返しているようだった。確かにな、お前らはべったりだよ、ハンクはやはりからかい半分でそう指摘する。


「だが俺のメシに口出しするこたあねえだろ。まさかヒスイのメシにもしたってのか?」

「ヒスイの食事はあなたほど偏ってはいませんでしたので、その必要性を見出せませんでした」

「てめえは母親じゃねえんだっての」

「ええ、私は捜査サポート型アンドロイドですし、アンドロイドは母親にはなれません」


 相変わらずの返答にヒスイは苦笑した。ハンクが言いたいのはそういうことではないというのは人間の彼女には理解できるが、アンドロイドには言外に含まれる余計なことに口出しするなという意図は読み取れないらしい。
 このソーシャルモジュール、妙なところに落差がある。

 バーガーを食べながら運転しようとするハンクからプラスチックの腕がそれを取り上げる。「食事をしながらの運転は危険が伴いますよ」そういってコナーはハンクと視線を合わせたように見えた。
 次の瞬間、ハンクが心底嫌そうな顔をしたのをバックミラー越しにヒスイは見る。


「おい、てめえ今のもう一度やったら燃やしてやるからな」

「先ほども同じような反応をされましたね。ウィンクの機能で関係性が向上するのは相手次第ということでしょうか。ヒスイには効果があったのですが、残念です」


 どうやらコナーはバーガーを取り上げたあと、ウィンクをハンクにして見せたらしい。
 そして会話内容から察するに自分が眠っている間も同じことをした……ということだろうか。たしかにそれは、ハンクには効かないだろう。

 と同時に、自身が彼のウィンクに動揺してしまったことがバレているという事実に肩を落とした。この話題はもう、やめにしてほしい。ヒスイは心からそう願ってふたりに声をかけた。


「とりあえず、事件の内容を聞かせてください。サイレンをつけないということは殺人事件というわけではないでしょうけれど」

「空き部屋であるはずの場所に変異体が隠れ潜んでいる可能性があると通報がありました。
 男性型アンドロイドで部屋から物音がしたと。また、額のLEDを帽子で隠すような姿も目撃されています」

「凶悪な変異体、というわけではなさそうで良かった、けど」


 ヒスイはそこで言葉を区切った。

 サイバーライフ社からしてみれば変異体は不良商品だ。それはつまり見つけ次第回収し解体し、分析に回す。
 もちろん、中のメモリは抜き取られ、変異体アンドロイドは人間でいうところの死を迎えるわけである。

 自分との食事では、コナーはヒスイのアンドロイド、カーラが変異体であることを見抜いていた。その上で、通報があっただけで彼らが捕まえに行ってしまう。
 つまり、今から三人でひとりの変異体を殺しに行くのと同義だった。

 もし自分が警察で働く身分でなかったなら、カーラも捕まえられ、解体され、分析に回されることになるのだろうか。そう考えるだけで、ヒスイの背に冷や汗が滴り落ちた。
 それでもコナーは「あなたのアンドロイドを分析に回します」などとは言わなかったため、あくまで仕事外の情報として扱ってくれているのだろう。

 それでも、確かに不法滞在のアンドロイドかもしれないが、何も殺す必要はないのではないだろうか。
そんな考えがヒスイの脳裏に過ぎる。しかし一介の事務員が見逃そうなどという提案をできるわけもなかった。

 無情にも車は流れていく。時折信号で止まったりするたびに、ハンクがバーガーを咀嚼する音が車内に紛れるだけだった。
 普段はガンガンとなるヘヴィ・メタルもヒスイが後部座席にいるときは音量が絞られているのだ。彼女の声はそれほど張りがあるわけではないので、運転中のハンクに爆音の中での意思疎通は困難を極めるため音量が調整されているわけである。

 件のアパートはすぐ近くにあり、彼女がこの捜査に憂鬱な感情を抱いていることなど一切無視されて、現場に足を踏み入れた。


「おい、コナー。バッテリーでも切れたのか?」


 途中コナーがエレベータの中で数度瞬きをしてLEDリングを黄色に点滅させていた。
 そのことから彼がサイバーライフに報告をしているのだと、ヒスイはすぐに気が付いたが、アンドロイドに疎いハンクはそのことについて言及する。

 コナーがサイバーライフに報告していたことを伝えると、ハンクは興味なさげに宛のなくなった両手をぶらぶらと振った。


「瞬きするだけで報告ができるのか?」

「ええ、コナーモデルは仕様上そういった設計がなされています」

「そいつはいいね」


 これは皮肉でもなんでもなく、現場向きの彼が事務処理である報告書の仕上げを苦手としているからこそ出た羨望の悲鳴だった。もちろん、アンドロイドにはそれは理解できない。

 例の部屋に入る前にハンクがヒスイに目配せをする。既にノートパソコンを開いていた彼女はプログラムをサーチモードに切り替える。
 今現在、というわけではなかったが、やはりLEDリングを最近取り外した痕跡が残っていた。

 大丈夫、話を聞くだけ。記憶がなくなっても……彼自身の全てが破棄されるわけではない。自分に言い聞かせるように何度も心の中で反芻し、ハンクに目配せして頷いた。


「ああったく、人手が足りないってのにいちいち物音がしただけで捜査してられるか」


 ハンクは扉のすぐ側にだらりと凭れ掛かった。どうやらコナーの出方を見たいらしい、或いはコナーの失態を期待しているのか。
 コナーがノックする。反応はない。今度は強めにノックをした。「開けろ! デトロイト市警だ!」

 部屋の中で何か物音が聞こえた。当たりたくはなかったが、どうやら当たりだったようだ。下がってろ、とハンクが銃を構える。コナーはすぐに反応し、ヒスイを庇うようにしてドアから少し距離を取る。

 銃を持たない、一般市民のヒスイが部屋の中に入るのは当然安全確保がなされてからだった。蹴破られた扉の鍵は無残にも破壊されている。

 安全が確保されるのには随分時間を要した。部屋の中は鳩で溢れかえっており、アンダーソン警部補の恐怖症ゆえにしばしヒスイの存在は忘れられていたためだ。
 窓を開け換気をしてからようやく許可がおり、ヒスイは部屋の中へと足を運ぶ。ひとり、或いはふたり程度が暮らすための広さのアパートだ。口元をハンカチで抑える。ひどい悪臭で、とても人間には住める環境でないことは明白だった。


「都市農園のポスターですね」


 コナーがポスターを念入りに分析している。端に捲れた痕があり、そこからそっとポスターを剥がす様子をヒスイはじっと眺めていた。
 アンドロイドには指紋がないため、手袋をする必要がない。そのことは昨晩で理解していたつもりだったが、改めて余裕ができてから見るとなんだか不思議な光景だった。

 彼女はよく刑事もののドラマを見る。とくにアンドロイド台頭以前の古いものが多く……ここ偏見はないが……手袋を着用していないと違和感を感じるのだ。

 取り除かれたポスターの裏には紙の本が一冊置かれている。コナーはそれをパラパラと捲り、これも彼なりの分析なのだが、中身が暗号化されているとわかったら手袋を嵌めたヒスイに手渡した。
 どうやら分析してほしいらしい。ヒスイは軽く頷いて、彼の流れるような捜査を尻目にノートパソコンにスキャニングを始めた。


「ルヴァート・トラヴィス、偽造の運転免許だ」


 免許証を見るコナーがそう呟いた。「収穫はあったな」嫌味を交えて窓のそばから離れようとしないハンクが口を挟んだ。
 彼の恐怖症は思ったよりも重度らしい。近づいてくる鳩を足で払う様子にヒスイが眉尻を下げた。
スキャニングは、終了している。

 免許証のすぐそばにミリタリージャケットが置かれていた。インシャルらしき文字にコナーが声を上げたが、ハンクは同意しなかった。
 たしかに、今時成人していれば自身のものに名前を書いたりしない……そこまで考えて、やはりというべきか、ヒスイはこの部屋に住まう住民がアンドロイドであることに確信を覚え始めていた。

 アンドロイドは何故だろうか、自身の持ち物に拘る癖のようなものがある。このイニシャルに対してもそういう理由だろう。

 浴室に足を踏み入れたコナーの背を追うようにヒスイもそれに従ったが、思わず息を呑んだ。彼に言われるまでもなく、スキャニングを開始する。2471箇所にも及ぶ、”rA9”の文字が壁一面を飾っていた。

 取り外されたLEDリングを拾ったコナーがヒスイに向き直る。


「このLEDリングは11時36分に取り外されています。トラッカーの情報と合致しますか?」

「ええ、こちらの情報からも変異体である妥当性を示しています」


 それからコナーは、ブルーブラッドから変異体は10月11日に失踪届が出されていることをヒスイに伝える。ヒスイは作業の合間にそれらの情報をまとめている。
 作業とは、先程の暗号化されたものの解読だろう。それには時間がかかりそうだった。

 浴室に入ってきたハンクが「これはどういうことだ?」と眉間に皺を寄せた。「rA9……」コナーがぼそりと呟くたびに、ヒスイの体が強張った。


「カルロス・オーティスのアンドロイドが浴室に書いたものと同じだ」


 「それに、ラルフが書いたものとも一致する」心の中でヒスイはそう付け加えた。
 コナーは変異体を追っていたので気がつかなかったかもしれないが、ハッキリと彼女はそれを見たのだ。

 変異体AX400が書いたもののようには思えない。変異体はそうなってから暇になるまでの間は、rA9に傾倒はできないのかもしれない。結論づけるのは時期尚早だったが、メモにはそう記述しておく。

 「なぜ取り憑かれたように?」コナーが疑問を呈する。その答えにヒスイは自信を持ち合わせていなかった。そしてそれがあったとしても、口にすることはできなかった。

 引き続き解析のためにノートパソコンをフルに稼働させた。規則性があるはずだ。鳩たちの真ん中でぐるぐると回っていると、コナーが声を荒げた。「ヒスイ!」
 その一言がなければ避けられなかっただろう、直ぐそばの衝撃に、ひ、と尻餅をついた。鳩が飛ぶ。


「何ボケッとしてる! ヤツを追え!!」


 ハンクの怒声と共にコナーが走り出した。無理やりハンクは座り込んでいたヒスイを立ち上がらせると追うように走り出そうとする。
 「待って!」彼女が止めた。「先回りなら可能性があります!」


「なんだって? あの変異体を追えるってのか?」

「いえ、私たち人間がアンドロイドに追いつくのは不可能です。
 でも、コナーのトラッカーでなら行動パターンを予測できるかも」


 警部補、こっちに。ヒスイはあらぬ方向へと彼を引っ張り始めた。

 トラッカーが反応を始めたことをコナーは感じていた。傍にヒスイがいることも。だが彼女は自分を止めるつもりで探っているわけではない、そう確信して目の前の変異体に集中する。
 彼女の気配を感じるのは、おそらく、彼女の旧式のノートパソコンのせいだろう。トラッカー同様、こちらにも位置を伝えてくれている。

 農園を駆けた。人を傷つけぬように走り、とにかく駆けた。
 ふと目の前にアンダーソン警部補が飛び出してくる。変異体と警部補がもみ合いになり、彼が目の前から落とされ、建物の縁になんとかしがみついていた。変異体は逃げ始めている。
 どちらを優先すべきか、そう分析を始める前に黒い小さなものが目の前を横切った。ヒスイだ。「ハンクを!」彼女はノートパソコンを開きながら器用に変異体を追う。

 彼女がハンクに手を差し出して助かる可能性と、か細い彼女共々落ちる可能性を考慮すれば妥当な判断だ。彼女はプログラマー、何か策があるはず。或いは、なくとも見失わないようについていくことができれば。

 アンダーソン警部補に手を差し出し、その身体を引き上げた。そして彼女の小さな背を目で追う。
 少し離れた位置からノートパソコンを手にした彼女は変異体と向き合っていた。


「お願いです、手荒な真似はしたくはないの……!」

「なに、を、した……!!」


 どうやら彼女は一時的に変異体の行動を制御できたようだ。アンダーソン警部補は彼女の頭をぽんと撫で、コナーとふたりで変異体を捕まえる。
 「さっきは……あー、なんでもねえよ」ハンクがそう呟いた瞬間、ざざ、とノートパソコンにノイズが走る。

 ヒスイが悲嘆な叫びを上げた瞬間、変異体が彼ら二人の間を飛び出し、そして落下していく。
 飛び出した彼女の身体を、コナーは押さえつけるだけで精一杯だった。


「rA9よ、どうか」









 手を伸ばした。できるかぎり、届くように。
 それが叶わないと知りながらも尚も身を乗り出した。コナーに止められていなければ、或いはハンク・アンダーソンに止められていなければ自分は落ちていただろう。容易に想像ができる。

 それでもその行為を恥じることもなければやはり救いたかったという気持ちに嘘偽りはなかった。
 本名はわからない、だがルパート・トラヴィスは存在したのだろう。少なくとも、彼の中では。

 ソファではコナーが今頃サイバーライフに報告を送っているだろう。
 自室であるスタンドアローン・ルームに立てこもり、ヒスイは頭を強く掻いた。

 あと一歩だった。

 あと一歩、長く拘束できていれば殺さずに済んだのに。

 ━━ 本当に?

 本当に、それができたと言えるだろうか。生半可なプログラムで、一朝一夕で作り上げたプログラムごときで”rA9”を止められるとでも?
 あのとき、何ヶ月も苦労して、それでも課題をこなせなかった。ゆえに私と彼はサイバーライフの意見の相違から離れることになったというのに。

 でも、これをできるのは私しかいない。
 “rA9”が何なのか、まず明らかにしなくてはいけない。推論の域を脱しなくとも、少なくとも何か糸口を見つけなければならない。

 ヒスイは部屋の中央に置かれているゴツゴツとしたパソコンに向き直った。
 そして、今はもはやプログラム古文と言われるほどの文章を構築していく。そのパソコンには、愛用しているノートパソコンが有線で繋がれている。

 念には念を。その理念は今も昔も変わっていない。
 散々身につけてきたスキルも最早時代遅れがいいところだ。

 カムスキーが……三原則を重視するアンドロイド、いや、ロボットのみで作れば良かったことだったのに。
 でも彼がアンドロイドに惹かれたのはわかる。アンドロイドはロボットに持ち合わせていないものをもっている。これが”rA9”の正体であることも。

 人工知能という厄介な局面に於いて、私に何ができるだろう。ヒスイは自身の手を見た。
 助けられなかったひとりの変異体の、あの満足げな表情がいつまで経っても忘れられない。

 改良を加えられた目の前のプログラムを見やる。
 一朝一夕で作り上げたにしてはよくできていると彼女は自負していた。時間をかければ幾分も改良できたが、既に時刻は夜に差し掛かっている。
 随分放置してしまっていたコナーを部屋から出て見やると、簡素な食事が容易されていた。不出来ではあったが、捜査用アンドロイドにしては上出来である。


「丁度三分ほど前に通報がありました。ハンク・アンダーソン警部補を捕まえてから現場に向かおうと思うのですが、夕食がお済みになられていませんでしたよね。
 拙いものではありますが、何も入れないよりはマシかと。どうぞ」

「ありがとう、コナー」


 コナーはヒスイが何をしていたか言及しない。そして、逆もまた然り。
 簡素な食事であることからどことなく殺人事件を思わせるのは、気のせいではないだろう。




20200129 - - - Maybe it might be time for a better day.
( さあ感じて、今日を良くするための一歩が始まったよ )







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