03 : Ten more days








 車内はアルコールの匂いが充満している。運転している本人以外は摂取していないのだから、これは立派な飲酒運転である。しかもこれから事件の捜査に向かおうとしているわけだから驚きだ。
 しかし運転にはアルコールの支配は感じさせられない。珍しく人を乗せて運転しているからだろうか。それとも運転しているハンク・アンダーソンが慎重に運転しているからか。

 旧式の車のシートはかたく、前方にはなぜかフラダンスを模した人形が腰を揺らしている。

 事件の詳細を、ハンクは隣に座るアンドロイドから聞いている。


「害者は家賃の滞納により家主に発見され、20時に通報が入りました。
ヒスイがいなければ、あなたを見つけるのにもう少し時間がかかったでしょう、警部補」

「んなことに女を連れ回してんじゃあねえよ。ヒスイ、次右で合ってたか」


 「あ、はい」後部座席に座る彼女が、膝上に鎮座するノートパソコンに向けていた視線をあげて頷いた。
 カタカタとキーボードをタイプする音が響く。今聞いた事件の報告をまとめているのだろうか。

 無遠慮にコナーが続けようとするが、ハンクの右手が突き出され制止される。


「いいか、プラスチック。ヒスイは事務員だ、事件の話なんかすんじゃねえ。降ろしてからだ」

「でも、コナーさんが事件を持ってきたということは変異体の可能性があるということですよね?」


 でしたら私も向かいます。
 きっぱりと言い放ったヒスイの瞳がバックミラー越しにハンクとぶつかる。

 だめだ。いきます。だめだ。残業代目当てでも物珍しさからでもないです。だめだ。

 しばらくの応酬のあと、車が停まる。鞄から本日の収穫だけを取り出して「コナーさん、傘お願いします」と言って彼女が車から出ようとすれば、傘を差してコナーも車外に出る。
 彼女は頭がいい。ハンクが舌打ちした。残された鞄やノートパソコンを現場に持っていくわけにもいかない。それどころか、プラスチックの話を遮ったおかげで事件現場の重要な詳細も聞けていなかった。
 そして、その重要な人物をするりと自身についてくるよう促したのだ。

 プラスチックの塊からすれば、現場の凄惨さやヒスイの事件への免疫のなさなんてどうでもいいのだろう。
 事件に同行させること自体はファウラーからお咎めがあるわけじゃないだろう。単純に自分につかせるというだけならさすがに問題があったが、名目上はあのコナーと名乗ったアンドロイドがどこまでできるか、試験運転の結果が必要だとかなんだとか、そういった建前があればいい。

 しかしハンクは彼女に現場などは知っては欲しくなかった。
 できれば字面で、なんとなく悲惨そうだな、それくらいに留めておいてほしかったのだ。自分のように血に塗れた世界を体験させてしまいたくはなかった。

 が、彼女にぴたりと寄り添うあのプラスチックはどうだ。とぼけた顔をして、何を腹に抱えたもんかわかったものじゃない。

 雨の中彼女に寄り添うコナー自身も、アンダーソン警部補の反応から彼女を連れていくことを渋っているのは百も承知だ。
 しかし現場がどれほど悲惨な状態であったとして、人間は忘れる生き物である。いずれはそんなことも思い出さなくなるはずだ。

 それに二ヶ月前に、彼女は死亡したジョン・フィリップスの遺体を確認している。
 あの”SWAT”のことをアンダーソン警部補が知らないにしても、コナーは二ヶ月前の彼女を知っている。


「ヒスイ、おかえりなさいませ」

「カーラ!」


 玄関先で出迎えたのはAX400型のアンドロイドだった。カーラと呼ばれたアンドロイドは柔らかく微笑み、そして視線をスライドさせてコナーを見た。
 「こんばんは、送ってくださったようで、ありがとうございます」丁寧に彼女が微笑めば、ぎこちなく「いえ」と彼も微笑む。

 そうじゃないのと割り込むのはヒスイだ。母国語で、彼女が早口でまくし立てた。


「ごめん、今日の晩酌はパスさせて。あとでお母さんに謝っておくし埋め合わせはするから!
私、ちょっと仕事の用事ができちゃったの。お母さんのこと、頼める?今晩は帰ってこないと思うから」

「お任せください。奥様の相手はわたしが、おつまみを買ってきてくださってありがとう。
気をつけて行ってきてくださいね」


 物分かりのいいアンドロイドだった。長い付き合いなのだろう、ヒスイくらいの年頃の母親といえば、警部補よりやや年上ぐらいだろうか。
 少なくとも彼と同様、アルコールの摂取量は多そうだ。嗜めるためにアンドロイドを購入したのかもしれない。

 小さなドールハウスのような可愛らしい家でカーラとすぐに別れて踵を返したヒスイの横で、コナーが口を開いた。


「アンドロイドに晩酌の相手が務まるものでしょうか」

「カーラはよく話すし、軽微の食事や飲酒の機能も追加していますので」


 母の希望で拡張したんですよ、と一言付け加えた彼女が車に乗り込むのを確認して自身のボディも助手席に滑らせた。
 しかし、あのアンドロイドはどう見ても。ひとつの疑念がよぎったが、乗り込んだ瞬間に舌打ちが飛んできたためにそちらに集中する。

 乗り込んですぐに事件現場の住所を口にすれば、サイレンが起動した。








 いいか、おまえらはここで待ってろ。

 ハンク・アンダーソンがそう口にして、有無を言わさずに運転席から降りる。
 相反する命令の処理をしていたコナーは後方からの声にわずかに反応が遅れた。とはいえ、人間にはわからない程度の誤差の範囲だ。


「行かなくていいんですか?」

「いえ、相反する命令だったため、優先順位を確認していました」

「でしたら行きましょう」


 彼女がノートパソコンを大事そうに抱え車から飛び出した。すみません、チャンネル61のものですが、という声が聞こえる。ノーコメントです、と彼女が人混みを駆け抜けたのを確認して、コナーも車を降りた。
 行動のはやい彼女は玄関先の屋根の下に避難して、警部補や先に事件の捜査にあたっていたベン・コリンズを待つ間、ノートパソコンのキーボードを叩いている。

 アンドロイドは立ち入り禁止です。立ち入ろうとした際に言われたが、少し離れた場所からハンクが声をあげた。


「俺のツレだ。まったく、いうことを聞きやしねえ」

「アンドロイドとヒスイのお守りだなんて、ハンク、お前も大変だな」

「そりゃどうも」


 コリンズはコナーに目もくれず、ヒスイに声をかけた。事件の詳細を先に彼女に伝えているのだろう。
 それは彼女が事務処理を素早く行うためではない。効率を考えれば、同じ話を自分たちと彼女とで分ける必要はない。

 ではなぜか、そう視線をスライドさせると警部補と目が合った。


「現場がどういう状況が理解してから立ち入るのと、立ち入ってから知るんじゃワケが違う」

「ワケ、とは?」

「アンドロイド様にゃ理解できねえだろうな」


 それだけ言うと警部補は現場に踏み込む。通り過ぎるときにコリンズ巡査が彼女に鼻と口を覆うものを出しておくようにと言ったのが聞こえた。
 嗅覚が常に働いている人間は不便なものだ。現場検証を始めたコナーは、現場を見、青ざめ、裏口に証拠を踏み荒さないように早足で通り過ぎた彼女とは打って変わって冷静だった。アンドロイドが取り乱すことはないが、人間の彼女はその限りではないらしい。

 裏口に出た彼女の嘔吐ぐ音が聴こえてくれば、頭を抱えた中年男性ふたりが会話を中断し、わざわざ近くでその続きを始める。
 状況報告の詳細は続けたいが、記録係が吐いていて中断はできない、といった具合だろうか。幾分か外の空気を吸ったヒスイが顔色悪く謝罪すれば、それを責めずにまた中へと戻ってくる。


「これは、たしかに、変異体が関わっているはずです」


 口元をぬぐいながら彼女がきっぱりと断言した。「その血文字は、サイバーライフ社のフォントです。アンドロイドはほとんどが登録されたフォントしか使用できません」
 血液を分析するために指を固まりつつある血だまりに滑らせ、舌で確認する。

 おいおい、と警部補が声をあげたが、ヒスイはその様子をじっと見つめるだけだった。
 視線が合うと、彼女が力なく苦笑いを見せる。彼女にも気持ち悪いと思われたのだろうか。

 構わず彼女がタイプを始めたので、証拠から導き出された推察をアンダーソン警部補に始めた。彼女は黙って、それを聞いているだけだった。







「ブルーブラッドの痕跡を辿れば、見つけられるはず」


 そう口にして数分、日付はすっかり変わってしまい、事件はコナーが変異体を屋根裏で発見したことで解決した。
 とはいえ状況証拠だけではすべて解決したことにはならない。自白を得るか、メモリにアクセスするか、といった状況である。現場から出る前に、ヒスイはひとつ連絡を入れていた。


「こんばんは、ファウラー警部。ハマサカです。現在、アンダーソン警部補と共に現場にいますが、この後の変異体への事情聴取に同席しても構わないでしょうか」

『ハマサカ? なんだってハマサカが……いや、そうか。ハンクの説得に協力してくれたのか、感謝する。
変異体は確保できたんだな?』

「はい。コナーモデルにより、円滑な移送を行なっております」

『わかった、変異体絡みの事件だ。報告書はわかりやすく頼む。必ず成功させろ』


 通話を切り、ハンクの車の助手席に乗り込んだ。その顔色は幾分か良くなってはいるが、明日の仕事にも支障を来すかもしれない。
 自分のように昼過ぎに出勤するような不真面目なタイプではないのは確実で、今回だけにしてくれとハンクは願うばかりだ。


「ファウラー警部から許可をもらいました。尋問に参加します」

「ジェフリーは一体何を考えてんだ!」


 怒声とともに車が発進する。さきほどより荒々しい運転ではあるが、言葉ほどではなく、やはりどこか冷静にそうなることを予想していたようにも思えた。
 申し訳なさを感じてはいたが、そもそもきちんと彼が出社していれば私が首を突っ込む余地もなかったんですからね、と開き直っている部分も否めない。

 それに、と前を走るパトカーを見る。あのパトカーには件の変異体アンドロイドとコナーが乗っている。彼の機転がなければ変異体を発見できなかったかもしれない。


「コナーはさすが、サイバーライフの叡智ですね」

「ああ、そうかあ? いや、まあそうだろうけどよ」


 それ以上の会話はなかった。ヒスイはノートパソコンで報告書をまとめ始める。
 次に顔を上げる頃には、署の前に停車していたのだから集中力に関してはハンクは何も言えなかった。只者じゃない、とは思うがどこか幼さが同居する面持ちの彼女に対して自分は何も追求できなかった。
 実際、知られたくないことは自分にだってある。ハンクは秘めたる愛しい存在を思い出し、舌打ちをして乱暴に車のドアを閉めた。

 時刻は、0時半を回っている。


「で、プラスチック相手にどう尋問するつもりなんだ? ハンク」

「さあな……やるしかないだろ」


 当たり前のように絡んでくるギャビン・リードをかわし、尋問室に向かう彼をミラー越しに見つめる。
 ひとり、ノートパソコンを開いて仕事をこなしているのがヒスイだった。当然、それを見逃すギャビンではない。


「今晩はやけに残業が多いな、事務員さん」

「この事件では変異プログラムを遠隔解析するつもりではありますが、成果があげられるとは限りません。きっと、リード刑事を頼らなくてはいけませんね」


 少しだけ顔を上げて微笑んだ彼女を見、気を良くしたのかギャビン・リードはそれ以上彼女に絡むことはなかった。
 ハンクの声以外での音といえばヒスイのタイプ音くらいだった。

 ちらり、と視覚ユニットで画面を盗み見るが、プログラムの解析は視覚ユニットのみでは困難を極めた。彼女の扱う言語は、いわば古語のようなもので、今の時代にはそぐわない。
 変異体のプログラムを収集している? だから、二ヶ月前もあの場にいた……?

 やめだ、と戻ってきた警部補がどかりと椅子に腰かけた。


「プラスチック相手に尋問なんてはなから間違ってたんだよ」

「痛めつければいいだろ」


 口角を上げ、拳を作るギャビン・リードが提案するが、それをコナーはやんわりと否定した。
 同調するように、ヒスイも頷く。


「アンドロイドは痛みを感じません。ダメージは負いますが」

「……それにストレスレベルを上げすぎても自己破壊の可能性が。メモリの損傷があれば、私個人としても、とても困ります」


 眉尻を下げてヒスイが口を開いた。彼女の低姿勢なところがギャビン・リードの手綱に近いらしい。彼は提案が却下されたことに不貞腐れるわけでもなく、大人しく拳を解いてまた壁に背を預けた。

 少しLEDリングを点滅させ、コナーが提案する。


「私が尋問します」


 それに対してはやはりリード刑事が噛み付いてくるが「どうにでもなれ」と天井を仰いだアンダーソン警部補とは裏腹に、彼女は期待の眼差しを見せている。
 ……が、制服の裾を少しつままれた。その穏やかな抑止力に従い彼女に顔を近づければ、ぺとりと何かをLEDリングのある辺りに付けられる。

 そして、一瞬の間に、なにかが変わった。いや、なにかが入った、というほうが正しいだろうか。

 視覚ユニットのブレを感じたがシステムエラーは検知しない。
 眉尻を下げたままの彼女が一言「おまもりだと思って」とだけ口にし、解放する。

 違和感はもう感じなかったが、何かが違う気がしていた。見張られているような、奥底が疼く。
 尋問室に入り注意深くあたりを観察する。このミラーの先に、彼らがいる。とくに、彼女を強く感じる。視覚ユニットには映らないが、なぜか、彼女だけが強く。

 ファイルに目を通して、そして目の前の彼自身を観察する。


「ヒスイ、あいつ大丈夫か?」

「はい、安定しています。このままモニタリングを続けます、警部補」


 この中にいるコナーにはわからないが、先ほどLEDリングに接続した吸盤のようなもの。それは、彼のプログラムをモニタリングするためのものだった。
 そして彼や、目の前の状況を見守るアンダーソン警部補もリード刑事もまた、気が付かない。モニタリングする彼女の顔には、いつもの幼さ残るあの彼女も、現場で嘔吐するあの彼女もいない。
 まるでそれしか見えていないように、まぶたを大きく開き、視界を画面でいっぱいにする。

 それはまるで、彼女にとっての”現場”のように。

 ミラー越しのコナーが立ち上がる。飴と鞭でいう鞭に入った。変異体に対してストレスレベルを上げていく。いつの間にこうなったのだろうか、ギャビン・リードがモニタに目を向ければ、ふたつのウィンドウが開き所狭しとなにかを羅列している。
 それを彼女は息を殺して見守ったかと思ったら、突然、何かを打ち込み出した。そのタイプ速度は一瞬だったが、その一瞬が、コナーの動きをほんのわずかに阻害したのをハンクは見逃さなかった。

 視覚ユニットは正常だった。
 しかし、一瞬謎の「警告」が表示された。すぐに立て直す。尋問を中止を推奨します。どういうことだ。診断プログラムを起動させたかったが、少しの予断も許されない。
 攻めなければ彼は自白しない。足を踏み込み、言葉を浴びせる。

 そしてまた踏み込む、その直前に「警告」が表示される。尋問を中止してください、これはいったい。それでも、ボディは動き、声は出せる。あと一歩が必要だった。あと一歩、自白まであと……


「……おい、ヒスイ」


 ギャビン・リードが彼女に声をかけたときには、既に彼女は画面を見ていなかった。
 ガラス越しのコナーを見、そしてコナーも、ミラー越しのヒスイを視た。

 視えたのだ。それはあまりにもしっかりとコナーを見つめていた。先ほどなにかをされた。プログラムに”クラッキング”された。
 これ以上は責めさせない。攻めさせはしない。無垢な顔の裏に、言葉の下に、あの人間は恐ろしいほどの意志を込めている。

 警告で視界が埋められる。尋問を中止します。赤くなり、目の前の彼の姿すら捉えられない。
 LEDリングが赤く激しく点滅を繰り返した。

 どうしても退かせたいか。ソフトウェアエラーが表示され、十秒以上の間をあけて、……退いた。退くしか、手はなかった。そのまま椅子に腰掛ける。


「壊れちゃあ、いないようだな……まったく、ひやひやさせやがって」

「……ふう」


 ぐったり、とヒスイが椅子の背もたれに身体を預けた。

 彼女の油断通り、結局彼から自供を引き出せた。結果から言えばあの警告は正しかったのだ。
 だが……彼女がクラッキングしたのは確かだった。立ち上がり視覚ユニットで彼女を探す。だが突入してきたのはリード刑事とクリス・ミラー警官だった。


「連れて行け」

「や、やめてくれ!!」


 突然彼が抵抗をみせる。ストレスレベルが急上昇するのを検知し「触らないでください」とコナーが声をかけるもリードは続けろと命令する。

 このまま自己破壊となれば結果として変異の原因を突き止めることができない。
 それだけは止めなくては、自分がここにきた意味が。

 彼らを止めるために手を伸ばそうとすれば横を何かが通過して、ギャビン・リードに突撃した。小さなそれに注意が逸れれば、アンドロイドは抵抗をやめる。


「やめてください、リード刑事! おねがい、します……!」

「ヒスイ、おまえの仕事は事務だろ、引っ込んでろ!」

「いいえ! 絶対に、止めます!!」


 そう叫んだ彼女はクリスとアンドロイドの間に立ち、リードを睨みつける。
 先ほどの冷静さはない。彼女に彼らを止める術はなかった、クラッキングも計算もきかない人間に立ち向かうその姿は小さく、頼りなく、とてもアンドロイドの自分を力でねじ伏せたとは考えられなかった。

 リードはそれでも続けようとしたが、背後から金属音がして全員が止まる。
 銃口が、ギャビン・リードのこめかみに当てられている。


「そこまでだ、ギャビン。こいつの言うことを聞いとけ」

「…………覚えてろよ、ハンク」


 盛大な舌打ちを吐き捨て、ついにリードが折れる。出て行くその背後を追う者はいない。
 触れないようにクリスが誘導し、それに警部補が後ろからついて行く。

 残されたのはヒスイとコナーの、ふたりだけ。


「……仕事、終わったので帰りますね。コナーさん」

「夜も更けた、送りましょう」


 その声は恐ろしく冷たく、決して小さな女性を気遣うものではなかった。
 冷や汗が、一筋背を伝う。





20191219 - Ten more days and I’m gonna make it right.
( 僕が正しく進むためには、あと…… )






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