◎77777記念(記憶喪失)
目の前の、緋色瞳を持つ、片目の男性は寂しそうに瞳を細めた。
緑の髪の人も、やっぱり同じようにするけれど無理矢理笑顔を作っている。
あたしの横たわる無駄に大きなベッドのサイドの椅子に腰掛けるのは白衣の男性。
どうやら医者らしく、困ったように眉を歯の字にしていた。
それもこれも、何故だかわからないけれどあたしのせいらしい。
「一時的な、記憶障害でしょうね。日頃の精神負担が大きかったのではないですか?
このような離れた孤島に立派な屋敷を構える程の方ですし、事情はお伺いしませんが…」
お医者さんはそう言って曖昧に笑った。精神疲労?あたし、そんなにヤワじゃないし。
というか、ここあたしの家なの?確かに実家は富豪と言えるほどの財産のある家だけれど、あたしの家ではなくて両親や、良き理解者であった亡き祖父のもの。
否定しようと口を開こうとしても、緑の人がやんわりとあたしの肩を掴んで制した。
背の高い、茶髪(栗色のような、こげ茶色の髪だ)の男性が眼鏡を一回指の腹で押し上げて頭を下げた。
「
わざわざこのような場所までご足労いただいて、すみません」
「それが私の仕事ですから。薬は出しませんが、不眠などの症状が出た場合またご連絡ください。
それでは、ヒスイさん。どうぞゆっくりとお休みください」
それが心にも体にも良いのですから、と白衣の男性が笑った。
一時的な記憶障害。所謂、軽度の記憶喪失。別段これといってあたしは取り乱したりはしなかったけれど、やけに周りのものが新鮮に見えた。
何故これほどまでに男性という男性に囲まれているかはわからないけれど、とりあえず、あたしは記憶喪失している真っ最中だということは理解できる。
お医者さんが茶髪の男性に送られてこの広い部屋から出て行ってすぐ、黒髪の少年があたしの体を跨ぐようにして座った。
覗き込むかのように、あたしと視線を合わせて向かい合わせに座る。
「
ヒスイ、ほんッとーに記憶ないんだ?」
「
ヒスイの嘘の下手さは嫌ってほど知ってるでしょ?
真顔で性質の悪い冗談が言えるほど、彼女は嘘を吐きなれてない。」
先程あたしを制した緑の髪の人がようやく、口を開けた。
つかまれていた肩はもう解放されていて、行く先もなく彷徨っていた手があたしの頭に乗る。
慈しむように、優しく撫でる手付きは亡き祖父のそれと似ていた。
「
ごめんね、ヒスイ。僕たちにはどうすることもできないんだ。
だから少しの間は何も考えずに、ゆっくりと過ごして欲しい。」
「…あなたは、あたし付きの執事か何かですか?」
ようやく話すことを許可されたような気分になって、制止を受ける前にあたしは口を開いた。
とはいっても誰もあたしに制止をかけたりはしなかったけれど。
あたしの質問に唖然としたのか、緑の髪の青年はあんぐりと口を開けたままあたしを見る。
いやいや、そんなに見なくても。まるであたしが的外れな質問をしたような気分になる。
まぁ一般家庭ではそうかもしれないけれど、ほら、ここは私の家で、とても広いし。
でも執事がこんなに馴れ馴れしいはずもないか、と思い直して、的外れだったと納得する。
なんでもない、忘れて、と言えば片目の赤い男性があたしを睨むように眼を細めた。
最初に見せた表情とはまるで違うもの。
「
お前の家には執事がいンのかよ?」
「はい、たくさん。あなたはあたしの家について知らないんですね」
「
…"紅霞"だ」
チッ、と一回舌打ちをされて、"コウカ"と彼は答えた。コウカ?高価、硬化?どう反応していいかわからずにあたしは俯いた。
考えるためにそうした行為が癪に障ったのか、また彼は舌打ちをした。勿体無いな、こんなに顔がいいのに。あたしが顔を上げずに別の話題に思考をとられそうになっていると、隣に座っていた緑の人が指を一回ぱちんと鳴らす。
「
"紅霞"、いくらなんでも舌打ちはやめなよ。ヒスイが怖がるかもしれないよ」
「
ンなことわかってるっつーの…!でもコイツ、俺のこと"アナタ"なんて呼びやがって!」
彼らが言い争いを始めた狭間で、あたしはひとつ、理解することができた。"コウカ"は彼の名前なんだ。彼はそれを誇りに思っているから、プライドが傷つけられたんだ。
そしてそれはあたしにも彼にとっても大切な意味がある。なんとなくだけど、あたしはそう直感した。だとしたらとても悪いことをした。
「思い出せなくて、ごめんなさい、コウカさん」
「
ッ…!」
びっくりされてしまったみたいで、彼、コウカさんは目を丸くした。
間違ったのかな、と一瞬思ったけれど…この聡明そうな緑の髪の人なら教えてくれるはずだ。
何も言わないのは、合っているから…だと思う。
そう思うと、なんだか…この、ずっと不機嫌面の、不器用な彼が少し可愛く思えて口元が緩んだ。
記憶がなくなる前のあたしもきっとこんなに穏やかな心だったんだろうな。
"現実世界"とは全然違う…張り詰めた、雰囲気で……
「…現実、世界?
そういえば、あなたたち、随分派手な恰好ですね」
今更とも言えるけれど、特に緑の髪の人はあまりに現実離れした恰好だ、髪色もだけど。
でもさらさらと流れる髪は痛んでいるようにはとても見えない。つまり自然な髪色だってことだ。
赤や黒、出て行った茶色の人なんかは現実にいるだろうけれど…(勿論日本人という概念は取り払うことにする)(あまりに日本語が達者すぎる、けど)。
もしかして、ここは、あたしの住んでいた世界なんかじゃなくて、何処か別の…同じあたし、所謂"ヒスイ"という別の人間と人格だけが入れ替わったとしたら?
パラレルワールドが存在するとしたらの仮定だけれど…。
…なんて、何処かの少女漫画じゃあるまいし、ね。
「
ヒスイの世界ではこれが派手なのかい?(…現実世界、ね)」
ほんの少し、本当に、ほんの少しの間を空けて一瞬真剣な顔をした緑の人が、すぐにころりと表情を変えてあたしに笑いかけた。
さしてあたしも気にせずに頷いた。…けれど、あたしの予想は当たらずも遠からずなんじゃないだろうか。
あれは、驚いた表情とはまた違ったような…でも。
「あなたの名前は?」
「
…翠霞、だよ、ヒスイ。宝物なんだから、忘れないでよ」
そういって目を細めて笑ったスイカ、さんの表情をどこか、記憶の中に微かに残っていたのか懐かしい気がしてあたしも同じように、眼を細めた。
戻ってきた栗色の長身の男性がコウカさんとスイカさんを呼んで、あたしは黒髪の少年とふたりきり。
赤い瞳が印象的で、目鼻立ちもはっきりとしている。目は少し、釣り目だけれど大きい。
国民的少年青年アイドルグループもびっくりな整った顔だ。
…それにしても栗色の人も、この子も、コウカさんとスイカさんも。
何故こんなにも整った顔立ちの人ばかりなんだろう、居心地悪い…あたしが平凡すぎて劣等感がこう、ずーんと…。
「
くだらないこと考えてないで、少しは思い出す努力でもしたら?」
「ッ…くだらないこと、だって言い切れないじゃない」
びっくりした。言い当てられたようにどきりと心臓が大きく喚いた。
まるでも心を読まれたような…。
「
ごメイトウ。そ、ボクはそのちゃらんぽらんになった心を読んでるの。
ホントに、なんにも憶えてないんだね…」
意地悪な彼が表情をいっそう歪ませてあたしを睨む。
そんなことされたって、思い出せないよ。思い出せない、はずなのに。
どうしてこの表情を見ると息が詰まったように苦しくなるんだろう。
"また"あたしは彼を傷つけてる、素直にそう思うくらいあたしはこの表情を見たくないんだ。
「ごめんね、っ…」
すっと出てきてくれるかなと思った彼の名前も、やっぱり出てこないままで。
あたしの複雑な表情に彼の鼻に皺を寄せたまま何も言わずに部屋から飛び出してしまった。
あたしより背の高い彼は、きっとずっと幼い。そんな純粋な心をあたしはきっとずたずたに切り刻んでしまっている。
意図していないからこそ、痛みはずっと鋭いのに。彼はあたしに悪態をつきたかったはずなのに。
きっとあたしのために堪えてくれた。なのに、あたしは何もできない。
「あたしは…どうしたらいいの?おじいさま、あなたならなんてあたしに声をかけてくれるの…?」
朗らかに笑う記憶の中の祖父はいつだって優しく、あたしを人間として扱ってくれた。
宝物をたくさんくれた祖父はもう他界してしまったけれど、だけど、いつもあたしにヒントをくれた。
彼なら…この困難な状況にだって、ヒントをくれる。けれど。
「あたしが失くしてしまったものなのだから、あたしが、拾わなくちゃ」
開けっ放しの窓の先に見えるバルコニーから飛び込んだ風に誘われて、ベッドから裸足のまま縺れる足を動かして手を伸ばした。
あたしの歩みは塀ごときでは止められやしない。
荒療治かもしれない。けれど、あたし自身がそう望んでる。
あの人たちの悲しむ顔は見たくない…だから、これはあたしの"覚悟"なんだ。
それを受け入れてくれるだろうか、あたし自身が、受け入れてくれないと拾えないから。
大切な宝物たち。
飛び出した空は思ったより高かったけれど、覚悟は決めてる。
あとは思い切り頭を打てば、いいだけなんだから。きっと大丈夫、どうせこれ以上は、
「馬鹿にならないんだからっ…!」
目を瞑って迫る地面から現実逃避を始める。
がん、と頭を強く打ったように痛んで、それから、色んな映像がまるで流されてきたかのように流れ込んでくる。
ほら、言ったとおりだった、なんて思って心の中でくすりと笑う。
それと同時にあたしは"この世界"で生きることを決意した、幸運な人間だったことを思い出した。
パラレルワールドの確立はできなかったけれど、ちゃんと、拾うことができたよ。
なんて心の中で喜べばどこからか声が聞こえた。
--
馬鹿者、少しは、自分の事を大切にしろ。
--
今回だけは特別だからな…まったく、少し目を離した隙にこれだから
最近の若者は、なんて言われて言い返そうと目を開ける。
途端、ぽすん、と情けない音と共に盛大なため息が上から降ってた。
『
てめェ…何考えてやがる!』
『
ヒスイ、これは流石の私も呆れて怒る気力も…』
「紅霞っ!!白波!」
黒に近い、濃い赤の腕に抱かれたあたしは地面とキスはせずに済んだようで傷もなくその腕の持ち主の長い首に抱きついた。
あったかい、大好きな紅霞。あたしのパートナー。憎まれ口ばかりだし、セクハラも多いけれど…いつもあたしのことを支えてくれて、困ったときは力になってくれて。
本当はすごく優しい、紅霞。
「ごめんね、ごめんねっ…!もう忘れちゃったりなんかしないから!」
『
は?…え、お前、思い出した、のか…?』
「白波も!背の高いおにーさんとか思っててごめんね!」
紅霞に抱かれたまま半ば無理矢理白波に抱きつけば、彼の腕があたしの頭に伸びて、ゆっくり…優しく、撫でてくれた。
それが嬉しくて、懐かしくて、クリーム色に近い体に擦り寄ればべり、と音が出るかと思ったくらい強く紅霞に剥がされてしまった。
もう、感動の再開をしてたところなのに。
『
せめて地面の上でやれ。…おっかねェんだよ、お前は』
「…え、てっきりもう着陸してたかと…!」
安定して宙に浮いていたからつい紅霞の足が地面にちゃんとくっついていると思ってたあたしは下を見てびっくりした。
意外にもまだまだ地面と距離があって、あたしは一体どれほど無茶をしようとしてたんだろう、なんて考えると自分にゾッとしてしまう。
…けど。
「それぐらい大切だって、忘れてても知ってたんだよね、あたしは…」
『
あ?なんか言ったか?』
「なんでもない!あ、翠霞!真紅ー!!」
紅霞の中でぶんぶんと手を振れば、降下していた体がぴたり、と止まる。
紅霞を見上げればつんとしているだけで翼は動かしたまま相変わらずの静止状態。
くす、と白波が笑ってあたしを紅霞から奪って翼の動きを小さくした。
『
ア゛!?白波、てめェ…!』
『
独り占めは良くありませんよ、紅霞。ヒスイは皆のものなのですから』
ね、ヒスイ。と笑った白波があたしのおでこにキスをして真紅たちのところまで降りるのを紅霞は赤い顔で舌打ちをしていた、なんて。
翠霞と真紅に気をとられていたあたしには知る由もないことだったわけで。
「もう、記憶喪失ーなんてこりごりだ!」
「
3日も"スイカさん"なんてカタコトで呼ばれたら発狂しそうだよ。」
「
次忘れたらヒスイの頭の中いじっちゃうかもしれないから、覚悟しててよね」
「…え゛」
……本当にもう、記憶喪失はこりごり、です。
* * *
2010.04.07 Algorithm.107 Culm
←|
→