崩れ去ったルーチン

大学二年生にもなると一人暮らしにも慣れたもので。
大学へ行って、サークルに顔を出して、バイトへ行って、たまに飲みに行く。この4つのルーチンだ。人並みに友だちだっているし、別に退屈はしていない。少し残念なのは数か月前に彼女を失ったくらいだ。だけど引きずったりもしていない。あの子がいなくなって寂しい、ではなくて「彼女」と呼べる存在がいなくなって寂しい、と松川に言ったら「サイテー」と返された。うん、俺もそう思う。


今日は珍しく大学の図書館で明日提出の課題を済ませてから家に帰った。時刻はもう午後8時。ぐぅ、と腹の虫が小さな悲鳴を上げた。何か食べるものはないかと一人暮らし用の小さな冷蔵庫を開けるも、腹の足しになるようなものは見当たらない。一昨日最後のインスタント麺を食べたところだ。畜生、どこか寄ってから帰ってこればよかった。給料日前なので懐が寂しい。今日はいつものコンビニではなくて少し先にあるスーパーへ行ってみよう。さっき脱いだばかりのスニーカーをもう一度履きなおして玄関の扉を開けた。


確かあのスーパーは10時までやっていた筈。この時間なら、もしかして安くなっている弁当とかもあるかな、なんて思っていたら、やっぱりあった。半額と書かれたシールがぺたりと貼られている弁当や惣菜。俺と同じような状況であろう学生くらいの男や、スーツを着たサラリーマンがそのコーナーに数名いた。これは早く選ばないと人気商品はなくなってしまう。幸いなことにそのへんの一般男性よりは背も高いし腕も長い。惣菜を吟味している小柄なサラリーマンの上から腕を伸ばしてラスト1つだったカツ丼を手に入れた。1つ惣菜を追加し、ついでにスイーツコーナーに立ち寄るとシュークリームが目に入ったので、こちらも問答無用で手に取った。これと同じ量をコンビニで買うと千円は超えてしまいそうだが、そこは流石の半額シール。ワンコイン行くか行かないかで俺の腹は満たされそうだ。


会計の為レジに向かう。10台ほどあるレジはこの時間は2台しか稼働しておらず、それぞれ男性と女性が立っていた。どうせなら女の子にやってもらおう、そんな浅はかな考えで女の子が立つレジに並んだ。前に並ぶサラリーマンの会計が終わり俺の番になる。レジ打ちの店員は「いらっしゃいませ」と控えめな声で挨拶をして商品をレジに通した。店員にしては愛想がいいとは言えないけれど、顔は悪くない。可愛いよりも綺麗という言葉が似合う。年齢は同い年か、少し上くらいか。髪はロングの方が好きだけど、ショートカットがよく似合っている。あり、全然あり。むしろいける。

「580円です」

落ち着いた声によって現実に引き戻され、慌ててジーンズの後ろポケットに入れていた財布を取ろうとしたが、明らかにポケットに財布が入っているような膨らみはない。嘘だろ。慌てて上着とジーンズ全てのポケットを探すも、やっぱりない。どうやら一回家に帰った時に置いてきたようだ。ちらっと後ろに目をやるとさっきの小柄なサラリーマンが早くしろと言わんばかりの顔で俺を見ている。無理だ。諦めよう。さよならカツ丼。諦めて1回帰ろう。

「もしかして財布、お忘れですか?」

顔を上げると店員さんが心配そうに俺を見ていた。

「そうみたいです、すんません。これ戻して貰っていいですか?財布持ってまた来るので」
「どれくらいで戻られますか?」
「走れば5分もかかんないですけど、」
「じゃあ、商品お預かりしておきますね。」

彼女は今日の俺の救世主だ。ありがとうございます、とお礼を言って俺は久しぶりに全速力で走った。玄関を開けてすぐの暗い廊下に財布が寂しそうに落ちていた。

「俺の馬鹿野郎!」

財布を握りしめて再びスーパーへ走る。店内に入って救世主のいるレジに向かう。

「あ、お帰りなさい」

彼女はさっきまでの無表情なイメージを覆すには十分すぎる笑顔で俺を迎えてくれた。

「すいません、助かりました」
「いえ、この時間にカツ丼戻すとすぐ取られちゃいますから」
「え、やっぱそうなんすか」
「はい、じゃあお会計していいですか?」
「お願いします」

5分前と同じように淡々と商品をレジに通す彼女。正直、さっきの笑顔は凄く良かった。もっと無表情な子だと思っていたのに。ちらりと名札に目をやる。苗字さんというらしい。

「580円です」

この会計が終わったら、もうあんな笑顔は見せてくれないのだろう。それはちょっと嫌だな、なんて思ってしまって気付いたら俺の口は勝手に動いていた。

「明日もいますか?」


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