私と夢現


 苦しい、辛い、悲しい……寂しい。
 暗い、何もない空間で、私は昔、むかし、……大昔のように感じられる記憶を手繰り寄せながら思う。
 友人たちに会いたい。大好きな人たちに、会いたい。お母さんとお父さんに、会いたい。何故、何故許されないのか。なんでここに、この世界で生きているのか。辛い、つらい、ただひたすらに……苦しい。
 本当にこの14年間が夢だったらいいのに。今までの暮らし全てが夢で、目が覚めたら思いきり泣いて、とびきり不思議な悪夢を見たんだよって、両親や友人に話して。それがいつか笑い話になって。
 こんなことが、叶わぬ夢ならば。
 この願いが叶わないなら、いっそ、消えてしまいたいなぁ。

『そう、なら、私が殺してあげる』
 みんなで一緒に、逝きましょう?

 視界はぼやけている。はっきり見えていないのに、記憶にあるこの声はこんな話し方だったのかもわからないのに。
 その声に、その顔に、その言葉に。私は、ひどく安堵してしまうのだ。普通ならば狂っているとしか思えないその女性の提案にも、とてつもない喜びを感じてしまった。
 ……いっそ、両親と友人に囲まれた、優しい、やさしい夢に溺れたまま醒めないでいようか。
 真綿でゆっくりと首を絞めるように、ゆるやかにこの世からさよならを。



「な……なんだ、これは」
 太宰との任務の確認を早く終わらせ、一通りやるべき事を終わらせたあと、俺はまたなまえの様子を見に行った。そして、なまえの寝ている場所のカーテンを開けた瞬間。

 そこには医務室とは思えない、惨い光景が広がっていた。
 
 床はひたすら赤い血にが広がっていて、カーテンにまで返り血が付いている。寝台の周りには比較的若いと思われる少年少女の死体と中年男性と思われる死体。それらの顔は死んでいながらも笑っているように見え、不気味だ。
「う、ぅ……ッ」
 ハッと声の方向に顔を上げると、寝台の上には服が血で汚れた女性。垂れ下がった髪で顔はわからない。四つん這いになりながら両手を下に伸ばしている。
 その両手が掴んでいるのは____なまえの首。
「なまえ!!!」
 異能力でその女を引き剥がそうとした。しかし、その女はなまえの首を絞めたまま動かない。その両手は徐々に力を込めていく。焦る気持ちのまま足を踏み出す。足元でちゃぷ、と音がした。真っ赤な液体が、はねあがる。
「ころす、ころす、ころしてあげる、」
 ブツブツと呟く女の肩を押し返そうとするなまえの細い腕。だがやがてその腕はゆっくり寝台へ下ろされた。そして徐々に指先から透明に、消えていく。
 顔がピクリと動いた。細めた目から一筋の涙をこぼして、口は弧を描いてて、夢現で、まるで、ずっと切望してたみたいに嬉しそうに。

「…ぉ、かぁ……さ、」



「異能力、人間失格」
 その瞬間、眩い光に包まれた。瞬きをすれば、そこはいつもの医務室だった。
血も、死骸も____あのなまえを殺そうとした女もいない。
 寝台の方には、なまえの頭を撫でている太宰と、どこか悲しそうな表情で寝たままのなまえがいた。乾いていない涙の跡があった。消えかけていた指や腕も元通り。
 まるで、自分だけが夢を見ていたようだ。

「なあに呆けているのさ、中也」
 太宰に言われて気が付く。あの女を止めようと動かした足が止まり、あの瞬間、ずっとなまえのあの顔を、あの光景を見ていたことを。すぐにあの不気味な女をアイツから引き離そうとしなかったことが、我ながら情けなかった。あの時、俺はあの光景に、あの表情に、引き込まれていた。
 何故抵抗をやめたのか?何故泣いたのか?あの女はアイツの母親なのか?何故あんな顔をして笑ったのか?……そんなことを考えても、今の俺には何一つわからなかった。
 いつから太宰が来ていたのかも疑問ではあるが、もしかしたら俺が来た直後に来たのかもしれない。今はそれより、話すべきことがある。
「おい、太宰、いまのは……」
「あぁ……この子を誰かが襲撃してきたわけじゃあない。今のは、異能力で作り出された幻覚、だねぇ」
 そういう太宰の顔は思案するような顔だ。
 異能力で作り出された幻覚。最近だと幻覚を作り出す異能力は、ついこの前に太宰の部下となまえが参加した任務のところの奴にしか覚えはないが、そいつは既に亡くなったと聞いた。だとすれば?
「なまえの異能力……?」
「私が妹に触れて幻覚が消えたのだし、そうだろうね」
「だが此奴は精々光を操る、壁を作る程度しか、」
「今回の任務の影響かもしれないね。それで能力が突然目覚めたんじゃないかい?」
 そして、体が弱っている今、知らぬ間に異能力が暴走した。
 そう、太宰は淡々と述べた。いつもどおりに冷静に。
「まぁ、この子の異能力の元は光だ。幻覚まで応用できても不思議じゃないよ」
「……そうだな」
 俺にも異能力の強化形態に汚濁がある。強力だが命を削るうえに、太宰の異能力無効化がないと止めることが出来ない面倒なものだ。なまえが身を守る術が増えたことは喜ばしいことだが、戦闘に駆り出される任務に奴が出されたり、制御ができず太宰に頼る他ない状況になるのは癇に障る。此奴が目覚めて回復したら、制御できるように特訓させなければならない。

 そう俺が思っているなか、太宰は目を鋭くして、まるで何かに対して訝しむように口をひらく。
「だけれどね、どうしても……一つ疑問が残る」
「?……なんだよ」



「先ほどの女性は、私達の母親じゃない」

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