カモフラージュ・コーチ


 翌朝、馨が目を覚ましたときには既に外は明るくなっていた。
 いつもは朝練用のアラームより早く目覚めるため、起床後、カーテンを開けなければ日光を浴びることはできない。なのに今、馨が目覚めた理由は外因的な眩さ、つまりカーテンの隙間から燦々と差し込む日差しであった。夢を見たかも思い出せない眠りの底からゆったりと引き上げられ、やがて自身を包む光の明るさを知った馨の寝起き一番の思考は

「寝坊!」

 ――というものであったが、覚醒と同時にベッドから跳ね起きてすぐ、それは勘違いであるということに気が付いた。
 携帯のアラームは鳴っていない。何故なら昨夜、自分が設定をしなかったからである。昨日の朝まで使っていた雷門サッカー部朝練用の時間設定は既に解除した。フットボールフロンティアは昨日で終わり、今日から馨は彼らの練習に参加する必要が無くなったので、来週帝国サッカー部のマネージャーに復帰するまではアラームを使わなくても良いかと思ったのだ。
 そう、フットボールフロンティアは昨日で終わった。雷門は世宇子との死闘を見事制し、晴々しい祝福の声が響く中、掴み取った優勝トロフィーをその手に掲げることができた。馨が優勝報告に赴いた先では帝国イレブンが揃って祝勝してくれて、その後訪ねた病院では豪炎寺の妹である夕香が遂に目を覚ました。ずっと待ち続けていた彼女の目覚めを、豪炎寺と共に抱き合いながら喜んだ。
 昨日は本当に、いろんなかたちの幸福が馨の周りに溢れ返っていた。誰も彼もが嬉しくて、幸せで、最高の一日だと思っていた。まさしくそうであるはずだった。
 ――奴らがやって来るまでは。

「……」

 馨はぐしゃぐしゃと寝癖のついた髪を掻き混ぜ、長く深い嘆息を吐き出した。とりあえずベッドから抜け出し、カーテンを開けてたっぷりの日光を室内に取り入れる。窓を開けると、ぬるま湯のような陽気を孕んだ風が吹き込んできて、起きたばかりの頬を柔く叩いた。
 そうして寝起き特有の気怠さが消えたところで、ふとサイドボードの上に置いてあった携帯を手に取り、パチリと開く。特に新着のメッセージは届いていない。その確認ついでに、馨は昨夜までに交わしたたくさんのメールを再度流し読みし始めた。
 雷門サッカー部メンバー、帝国サッカー部メンバー、鬼瓦、響木、叔父――文面は情報共有だったり安否確認だったりと様々でありながら、その内容は皆統一されている。昨日、フットボールフロンティア後にやって来た突然の来訪者、満たされていた幸福を無情にも破壊した侵略者――『エイリア学園』についてのことだ。
 刑事である鬼瓦曰く、警察も早速謎の侵略者について調査を始めているらしい。しかしまだ確定的かつ有用な情報は何も得られておらず、自称宇宙人である彼らが何故地球にやって来たのかも、やはり不明なままであるそうだ。
 ただ、彼らがサッカーを用いて破壊活動を行うその理由については、『サッカーが地球に於いて勝敗を決する手段の一つであるから』という調べがついたとのことだった。そう聞くと、宇宙人側にとっては必ずしもサッカーである必要は無いのかもしれない。
 しかし、昨日鬼道から聞いた話を思い返すと、ジェミニストームと名乗ったそのチームはかなりサッカー慣れをしているように思われた。
 馨はカチカチと親指を動かし、帰宅後にやり取りした鬼道とのメールを掘り起こす。やがて見つけたその中には『奴らのパスワークはかなり機動的です』という一文があった。鬼道の目から見てそう映ったということは、やはり相手はそれなりに経験のあるサッカーチームなのだろう。それに、黒いサッカーボールなんてものを所持していた辺り、向こうは初めからサッカーでの侵略行為を目的にしているとしか考えられなかった。――何故、サッカーなのだろうか。
 とはいえ、そんなことを馨がここで真剣に思い悩んだところで答えなど見つかるわけもない。宇宙人の考えていることが地球人に理解できるのなら、今頃世界からはあらゆる争い事が消えているというものだ。
 今の自分たちにとって必要なのはエイリア学園と対話をする慈愛ではなく、一刻も早く彼らの侵略活動を止められるだけの力だろう。あまり力に拘りたくはないけれど、とにかく相手を制することができなければ何も始まらない。このまま野放しにし続けていればどんどんと中学校が破壊され、被害が拡大していくだけだ。
 相手がサッカーによって勝敗を決めようというのなら、こちらもその条件を呑まない手は無い。現状、それが最も可能であるはずの雷門サッカー部が敗北してしまったというのは痛い現実だが、ここで諦めるようなチームならばそもそも全国優勝など果たしてはいないし、世宇子にも勝てることはなかった。
 だから、きっと皆ならば、今回だってそういう道を選んでいくはずだ。

「……行くか」

 何だか無性に居ても立ってもいられなくなって、馨はすぐに雷門中へ行こうと決めた。そこで何かをするつもりがあるわけではないが、今一度奴らの残した痕跡の前に立ち、このごちゃごちゃとした考えをしっかり纏めたいと思ったのだ。
 その前に病院へ寄って五人の見舞いと、昨日は結局会えず仕舞いだった佐久間と源田の様子も見に行きたい。後者の二人には昨夜のうちにメールを送っておいたのだが、未だに返事が来ていないのが少し気がかりだった。一目で良いから顔を見て、せめてちゃんとこの口から世宇子を倒したことだけは伝えておきたい。そんな場合でないことは解っているけれど、一応、一つのけじめとして。
 頭の中で予定を組み立て、そこで会いたい者たちの顔を思い浮かべると、徐々に気分が明るくなってきた。宇宙人なんて意味不明な相手を前にして、やれることは無いかもしれないけれど、でもやりたいことならたくさんある。そうやって一つでも目的を持って前へ前へと動けているうちはまだまだ自分も上手くやっていけるのだと、そんなささやかな自信を持てる気がした。
 そうと決まれば、いつまでもぼさっと突っ立っている場合ではない――両頬をバチンと挟み込んで気持ちを正し、寝巻きから私服へと手早く着替え始める馨。普段通りの適当な格好に身を包み、顔を洗って気分と顔面をすっきりさせ、寝癖を整え。やがて鏡の前で完成された江波馨の姿によしと独り頷いてから、軽い手荷物と共に玄関へ向かおうとした。

 ――ピンポーン。

 そのとき、タイミングが良いのか悪いのか、訪問客を告げるチャイムが鳴らされた。

「はーい」

 普段来客など滅多に無いのに、こんなときに限って一体誰なのだろう。
 中途半端に靴を履いたままドアを開けた直後、馨は思わず間抜けた声を出した。

「へ? みこ姉?」

 そこに立っていたのは、昨日振りに見る瞳子だった。

「ど、どうしたの? ていうか、何でここが私の家だって知って……」
「いきなり押し掛けて悪いわね。馨、これに着替えてちょうだい」
「は?」

 教えた覚えも無いのに自宅へやって来たと思ったら、今度は突然大きめの紙袋を押しつけられた。つい反射的にそれを受け取ると、いつの間にか瞳子ごと室内に押し戻された挙げ句、後ろ手にドアを閉められてしまった。
 一体全体何が起きている? 何もかもが解らない――昨日から続く突飛な行動についていけず怪訝ばかりが膨らむ馨だが、問題の瞳子はその疑問へ一切答える素振りも見せず、ただ早く着替えろと言って急かすばかりだ。

「着替えろって……言われても」

 渋々といった調子で渡された紙袋の中身を引っ張り出すと、どこにでもありそうな白い無地のポロシャツと濃い色合いのスキニーデニム、さらにその奥からは黒いショートヘアのウィッグと、さらには女性用と思しき大振りのサングラスが出てきた。
 服はまだ解る――飽くまで“着替えろ”の範疇としてという意味で――のだが、後者はさすがに理解しかねる。馨は困り果てた顔で瞳子に説明を求めた。

「これ、何なの? いきなり着替えろって言われても困るよ、訳解んないし」
「今はまだ説明できない……と言うより、私にもまだはっきりとは解らないわ」

 一度目を伏せ、「けれど」と呟くと、また馨を見つめる瞳子。

「お願いだから言うことを聞いてちょうだい。……貴女のためなの」

 冷静に、けれど心底懇願するようにそう言って、瞳子は服を抱える馨の手を上からぎゅっと握り込む。「お願い、馨」――これまで見たこともない程に真摯な目をして繰り返されれば、馨はもう何も問い質すことはできない。ここまで込み上げてきていたあらゆる疑問をぐっと飲み込み、静かに了解するしかなかった。
 言われた通りに服を替え、慣れないウィッグを被り、最後にサングラスを装着する。部屋の姿見で確認した姿は、つい数分前に見た江波馨とは全く違う、自分でも誰だか解らないものに仕上がっていた。身体のラインさえ気にしなければ一見男にすら見える、言うなれば完全なる変装だ。
 瞳子は、自分に変装をさせたいのだろうか。そうしなければならないだけの理由なんて、自分が誰かに追われているというくらいしか浮かばないけれど、特に思い当たる節も無い。彼女自身も「まだはっきりとは解らない」と言っていたし、己の理解が及ぶ状況ではないのかもしれない、が――最後にウィッグの前髪をさっと横に払ってから、馨は一つ溜め息を落とし、玄関方面で待機している瞳子の前へ改めてその姿を見せた。

「これで良いの?」
「えぇ。それじゃあ、付いて来て」

 見違えるまでの扮装に対する感想も何も無い。相変わらずクールな口調でそれだけ言い、踵を返したかと思えばさっさと外に出て行く瞳子。あまりの素っ気無さに思わず苦笑いしつつ、馨はそれ以上の追及を諦め、大人しく従うことにした。目的地も用件も一切話しはしない、そんな強引なところも最早割り切っている。そうでなければ付き合いきれないし、それに、彼女がここまで本気で強行させているのにはきちんとした理由があるのだと、そう信じているからだ。
 家を出て以降、瞳子はまさに一心不乱という様子でずんずんと先を進んで行く。時々、その半歩後ろを付いて歩いている馨のことを横目で振り返っては、きちんとそこにいるかどうか確認しているようだった。そんなに気にするならばいっそ手でも繋いだらどうかとすら思った馨だが、言えば躊躇い無く実行されそうなので口にはしないでおいた。
 瞳子が突き進んでいくのは雷門中や病院のある方角だ。それに気付いたところで、ふと家で考えていたあれこれを思い出した馨は、一歩半程前を歩く瞳子の横顔に向かっておずおずと声を掛けた。

「みこ姉、私、病院に寄りたいんだけど……」
「病院?」
「うん、昨日の宇宙人との戦いで雷門の子が入院しちゃったから、そのお見舞いに」
「悪いけど」

 どうせ断られるだろうなと解りきっていたので、口調からして一刀両断されたことも予測の範疇ではあった。

「あまりあちこちうろつかないでほしいわ。それに、今の格好では変に怪しまれるだけよ」
「あ……」

 そこで今の自分はまるっきり別人に扮しているのだということを思い出し、馨は肩を落とした。こんな格好で見舞いになんて訪れたら皆を驚かせるだけだし、変装だと説明したところで余計な心配をかけさせることにしかならない。諸々落ち着かせ、きちんと元の姿に戻ってからにした方が良いだろう。
 ただ、今の瞳子の物言いからは、馨の行動を止める理由がそれだけではないということも多少は読み取れた。彼女はどんな理由であれ、とにかく馨にその辺をほっつき歩いていてほしくないようだ。

「ねぇ、もしかして私って誰かに狙われてる?」

 追及しないとしても、自身の予想を持ち出して確認するくらいならば馨にだって権利はあるはずである。少し足を速めて瞳子の隣に並びつつ、馨はサングラス越しに彼女の瞳をじっと見つめた。
 対する瞳子は歩く速度こそ変えないものの、視線だけで馨を一瞥してはふっと短い息を吐いた。呆れでも嘲りでもない、けれど何となくやれやれと言いたそうな吐息だった。

「貴女、やっぱり年を重ねたのね」
「どういうこと?」
「てっきり何も考えられないまま付いて来ているのかと思ったわ」
「さすがにそこまでじゃないよ」

 小バカにされたような気がし、ややむっとして言い返す馨。
 瞳子が比較対象にしたのは十五年近く前の、まだ小学校にだって上がっていない幼い頃の馨なのだろう。その当時に比べれば順応性が増し、幾分か冷静に物を考えられるようになったと、彼女はそう言いたかったに違いない。いくら何でも未就学児と比べるのはどうかと思う。
 馨が口をへの字に曲げたところで、肝心の瞳子は何ら気にせずといった様子だ。表情を変えないまま、ひたすら前だけを向いて歩みを続けていた。語る口調はどこまでも淡白で、聞きようによっては冷徹にさえ思えるくらいに落ち着いている。

「さっきも言ったけれど、私にも未だによく解っていないところが多すぎるの。だから貴女の疑問を解決できるだけの説明はしてあげられないし、貴女も、現状をあまり深く考えすぎる必要は無いわ」
「……とりあえず、訳も解らないまま言われた通り変装だけしてろ、と」

 結局はそういう結論になるのなら、確かに馨がいろいろ考えて予測を立てるだけ無駄ではありそうだ。答えが返されないと解っていながら問いを投げかけ続ける程、馨も諦め悪くはいられない。追及をやめた自分の判断自体は間違っていなかったということを、隣の瞳子のあっけらかんとした返答がさらにしっかりと裏付けた。

「有り体に言えばそうなるわね。……いえ、それだけというわけでもないのだけれど」
「え、他にまだ何かあるの? 今度は偽名でも使えって?」
「あぁ、それもあったわ。初対面で身元が判明していない相手には偽名を……そうね、『篠宮』を名乗りなさい。念のために」
「はぁ……」

 冗談で言ったつもりだったのに、まさか本当にそうしなければならなくなってしまうとは。しかもそれは叔父の、母方の苗字である。どうせぱっと思いついたからそれにしたのだろうと察し、馨はいよいよげんなりとした曖昧な相槌を打つようになった。“念のため”ならば仕方ない、とはいえ。

「馨」

 ずり落ちかけたサングラスを人差し指で押し上げていると、今度は向こうから声をかけられた。馨がもう一度そちらを見ると、瞳子は顔を僅かに傾けて馨のことを目に留めている。

「貴女、前は帝国でマネージャーをしているって言っていたけど、今はまた別のことをやっているのよね?」
「えっ、あ、うん、入ったのは最近だけど雷門でコーチを……何で知ってるの?」
「気にしないで。それより、コーチっていうのは何をするの? 貴女がやっていたことは?」

 自分は答えにもならない答えをあっさり返すだけなのに、質問内容はさらに深く掘り下げていく。まるで尋問でも受けているような心持ちになりつつも、馨は「えーっと」と指折りながら、これまでの活動内容をざっと振り返ってみた。

「選手の動きやチーム全体のプレー内容を観察、得たデータをもとに分析して、動作の細かい部分とか連携のかたち、あとは必殺技を修正して精度を上げていく……ってのが主だったかな」
「観察……貴女の得意分野ね。戦術については?」
「あー、相手チームの情報があるときなら組み立ててはいたよ。練習内容にも口出しさせてもらってた。まぁ、昨日の決勝戦の相手なんかは事前に一切情報が無かったから、殆ど何も役に立てなかったけど」

 世宇子に対して何も手を打てなかったことは、苦い思い出として未だ鮮明である。馨は僅かに声の調子を落としたが、瞳子はそれに気付いているのか気付いていないのか、質問を続けた。

「情報というのは予め用意されたデータベース? それとも貴女自身の目で見るもの?」
「どちらもあればより正確だけど、どっちかっていったら自分で観察できたものの方が信じられるかな。相手チームの分析も、一応可能な範囲でやってきたし」
「つまり、見れば解るというわけね?」
「うーん、普通の選手ならば……でも、さっき言った決勝相手の世宇子ってところはドーピングで異常な力を身につけてたんだけど、そういう常識外れな部分を見抜くことまではできない。観察眼って言ったところで、結局はちゃんと見えるものしか見えないわけだし、見えなきゃ分析もクソもないし」
「なるほど」

 矢継ぎ早に聞くだけ聞いた最後には一言だけ返し、瞳子は髪を靡かせて再び前へと向き直った。今の問答で、彼女が必要としている情報はきちんと揃えられたらしい。横顔は依然涼やかで、ただただ凛としている。そんな相も変らぬ瞳子節にもとっくに慣れきっている馨は密かに嘆息するだけで、それより先はこちらから口を開くことをしなかった。


 やがて瞳子によって連れられて来たのは、昨日以来の雷門中だった。
 感傷に浸る間も無く、一夜明けても変化の無い悲壮感漂う校庭を一直線に横切り、イナビカリ修練場内へ入っていく。何故瞳子がこの修練場の所在を知っているのかと馨はますます疑念を膨らませたが、全てが当たり前のように行われている今現在、もう彼女に対して些細な疑問は抱かない方が楽なのだろう。そう諦めをつけると、膨らませていたものがしおしおと音も無く萎んでいった。
 瞳子は勝手知ったるといった具合で修練場内を進み、さらに今まで見た覚えの無いエレベーターに乗ってさらに地下を目指した。潜っている間にも、何やら下方から人の話す声が聴こえてくる。地下に誰かいるのだろうか。

「ここは……」
「すぐに解るわ」

 ぽろりと零れた問いにも即座に返事が成され、馨は素直に口を閉ざした。そんなささやかな会話の最中でも、地下からの声はその距離を縮めるのと比例して徐々に大きくなっていく。

「オレ、監督いないなんて嫌っス!」
「オレもでやんす!」
「心配するな」

 明らかに覚えのある声と語尾がそう言ったのが聴こえたところで、ポーンという気の抜けるような音が鳴ってエレベーターが止まり、扉が開かれる。
 その瞬間視界に飛び込んできたのは、数人の雷門イレブンと響木、火来校長、さらに雷門理事長だった。

「な……」
「紹介しよう、新監督の吉良瞳子くんだ」
「え?」
「えーっ!?」

 ――新監督?
 怒涛の展開にすっかり口を半開きにしてフリーズする馨。瞳子は問答無用と言わんばかりにその手首をがしりと掴んでエレベーターから降り、理事長に向かって一直線に歩き出した。

「ちょっとがっかりですね、理事長」

 現れるや否やいきなり冷たい口調で話し始めた瞳子、そしてそんな彼女にぐいぐい引っ張られているだけの馨――恐らく誰一人馨だと気付いていないだろうが――を、やや不安げな表情の円堂たちが目で追っている。ざっと見た限り、入院している五人以外はマネージャーも含めて全員その場にいた。皆揃って物言いたげだったが、誰よりも現状把握ができていないのは馨自身他ならない。物を言いたいのはこちらの方である。

「監督がいないと何もできないお子さまの集まりだとは思いませんでした。本当に、この子たちに地球の未来は託せるのですか? 彼らは一度、エイリア学園に負けているのですよ?」
「ちょ、みこ姉……!」

 理事長の目前で立ち止まり、そこでやっと解放してもらえた馨。容赦無く辛辣な言葉を吐く瞳子に抗議の目を向けるが、馨がそれ以上言う前に、背後から円堂の溌剌とした声が飛んできた。

「だから、勝つんです」

 ぱっと後ろを振り返れば、皆がこちらを真っ直ぐに見据えている。サングラス越しでは暗いのであまりはっきりと見えはしないが、例え視界が悪くても、皆がどんな顔をしているのかなんて容易く想像がついた。

「一度負けたことは、次の勝利に繋がるんです」
「頼もしいわね。でも私のサッカーは今までとは違うわよ……覚悟しておいて」

 仰々しいまでの動きで髪を払ってそう宣告した瞳子に、周辺の空気も少し変わったような気がした。ぴりっとした程良い緊張感に包まれる雰囲気の中、瞳子の言った通り、選手たちはしっかりと覚悟を決めている様子だ。傍らにいた響木や火来たちは、そんな双方を見比べて頼もしげに頷いていた。
 ――ところで。
 ここにいるということは一応当事者であるらしい馨は、先程から、それこそ家を出たときからずっと、今起きている出来事に何一つついていけてはいなかった。良い話だと纏まりかけているときに水を差すのはどうかと思ったが、わけが解らなさすぎて訊かずにはいられない。
「ごめんなさい、ちょっと」――そんな控えめな前置きをしてから、腰に手を当てたまま雷門イレブンを正視していた瞳子に向けて、思い浮かぶ質問を一気にぶつけた。

「みこ姉、監督ってどういうこと? ここ何なの? どうして皆が? これから何をしようとしてるの?」

 姿を見せて以降初めてまともに喋ったことにより、声を聴いた何人かが眉をぴくりとさせる。これだけでも正体が判った者もいたようで、向けられる視線の質が若干変化したことを馨は肌で感じた。
 一方、それだけでは判らなかった者たちは、未だに新監督の連れてきた謎の人物をじろじろと見つめて首を傾げている。その中から代表として訊ねてみたのは風丸だった。

「瞳子監督、その人は誰なんですか?」
「……どうやら効果は出ているようね」

 言葉無く扮装を解く許可をされたので、モニターの明かりの下でウィッグを取り、サングラスを外し、漸く素顔を晒す。見当づいていなかった者たちが、口をあんぐりと開けて驚きの声をあげた。

「コーチ!?」
「姉ちゃん!? な、何でそんなカッコしてんの?」
「さぁ……」

 変装している本人が事情を知らないとは変な話である。肩を竦めつつ視線だけで瞳子を指すと、それだけで皆は一応納得したようだった。よく解らないが、とりあえずコーチもこのやたら強気な監督の意向に巻き込まれているのだろうな、と。
 さて、謎の人物の正体が解明されたところで、今度は周囲が馨の疑問に答える番だ。主に響木と雷門理事長が、今何が起き、これから何をしようとしているのか、要点を掻い摘んで説明してくれた。
 要するにここは対エイリアの対策本部で、雷門メンバーはエイリア学園に対抗できる地上最強のチームを作りあげることになった、というのが今回発足された計画の全貌である。
 現在の雷門サッカー部では太刀打ちできる戦力に届いていないうえ、入院する者が出たことによって選手の数自体が足りていない。そこで、チーム作りのためにこれから皆で日本全国を回ってスカウト活動を行うというのだ。
 フットボールフロンティアに参加した学校以外にも、日本各地には様々な事情で公には出てこないすごい学校、すごい選手もいるだろう。そんなまだ見ぬ有能な選手たちを求めて各地を巡り、仲間を集め、最終的にはエイリア学園を倒す。まさに地球の命運を握る大変な役目の根幹に、全国一の称号を持つ雷門が抜擢されたのだった。
 そして、響木は理事長直々に命じられた別の任務を遂行することになっているため、代わりに瞳子が監督の任を引き継いだとのことだ。響木の任務については、今はひとまずエイリア学園絡みであるということだけを教えてもらえた。
 端的に、それでいて懇々と続けられたその話は、理事長の咳払いによって一旦の幕を閉じられた。

「説明は以上だ。何か質問はあるかね?」
「いえ……今のところは大丈夫です、ありがとうございます」

 敢えて何か一つ挙げろと言われたら、何故自分がここにいるのかと言っても良い場面かもしれないが――それはあまりに野暮な問いであろう。理事長、それに響木や火来校長の湛える面持ちが、馨がここにいる理由の全てを物語っていた。それに対して異議も無いし、なるべくしてそうなったのだとも思えている。
 計画について質問は無い。彼らの説明は非常に解りやすく、さながら寝起き直後の混乱具合だった馨の脳味噌にもすんなりと浸透していった。エイリア学園と戦うため、地球の平和を守るため、これから皆と未知なる戦いへ赴く。何もやれることは無いと思っていたその矢先に、こうしてやるべきことを目の前に突きつけられたのだ。
 仲間を集め、チームを強化し、宇宙人を打ち倒す。並べてみれば解りやすい、単純明快な話である。だから理解自体はできていた――のだが、説明を聞いている間も聞き終わった後も、どうにも妙にふわふわしていて現実味が無いという感覚が否めない。昨日から何度も耳や目にしている“宇宙人”だの“エイリア学園”だのという、あまりに非現実的すぎる単語がそうさせているのだと、馨は自分で思う。未だ実態の見えてこない宇宙人、学園と言うからには恐らく集団であるのだろう、そいつらを相手取って戦っていくということについて、いまいちはっきりした未来のヴィジョンが見えてこないままだったのだ。
 しかし。

「新雷門は私が監督、そして彼女、江波馨をコーチとして始動します」

 瞳子よりコーチとして紹介され、背中を叩かれると、途端にその責任の重さが叩かれた部分からずしりと圧し掛かってくるようでならず。
 例えふわふわしていようが、実感が湧かずにいようが、これはとにかく生半可な気持ちと覚悟で挑んではいけないことなのだという自覚だけが、真っ先にこの胸に湧き上がってきた。

「……君たちなら勝てる」

 口にする言葉一つ一つにも、今まで以上の重さが宿る。闇雲なことは言えない、半端な思いではいけない。だから馨は自分に言い聞かせる意味も込めて、静かにゆっくりとそう紡いだ。

「宇宙人なんかには負けないし、必ず地球を守れる。私も全力でサポートするから、一緒に頑張ろう」
「はい!」

 自分たちに、文字通り“地球の未来”がかかっているのだ。エイリア学園には負けられない、必ず勝たねばならない。
 そんな重圧に負けず、今もこうして真剣な眼差しで見構えてくるメンバーのことを思えば、尚更事態を重く受け止めざるを得なかった。




 |  |  |