新薬の、開発と聞いていた。
日本の薬学科大学を留年することなく無事卒業した私は、学内でも一目置かれるほどには優秀だったと言えるだろう。謙遜ではなく、ゼミで研究したガン治療の新たな治療薬の可能性を論文にし発表した時に、私は次世代の薬学分野のリーダーとなるだろうとお偉い方々から賞賛されたのだ。学内でも一目おかれる程度にはなるだろう。私が研究したのはガン細胞の活性を逆手にとった細胞の培養であった。ガン細胞の増殖力を利用し体の組織形成を補助、尚且つガン細胞への抗体をもった細胞を形成する事でガンの進行を阻止。あとは体の中から除去する事でガンの再発が起こらない事を証明して見せたのだ。どこの研究所も私という人材を欲しがったものだ。

さて、ここで思い出して欲しいのが日本の薬学界隈。

日本という国は技術に金は出さない癖して何か大きな功績を残すとすぐに日本の誇りだとかなんとか大きい声で叫びだす。「こんな研究、なんの役にたつんですか?」素人の純粋素朴な疑問に怒りを覚えることも少なくない。素人の癖して何を以ってして”こんな研究”と言うのだろうか。本当に厚顔無恥とは見ていて哀れみしか覚えない。君たちが手にして普段なんともなしに使用しているもの全てがこれまでの技術の塊だというのに。だったら君たちは今手にしている文明の利器全て役にたっていないといえるのか?

ここまで酷いと沸々と怒りが沸いて出るというものだ。
そこで私は日本のスカウト全てを蹴って海外の研究所に入ることにした。私の論文を読んだ人は喉から手が出るほど私を欲しているらしく、海外からもいくつもスカウトの声がかけられていたのだ。

その中で、ひときわ私の目を引いたのがこの研究所の求人だった。

当研究所は無人島にかまえられており、日々生体実験による細胞の培養、再生を研究しております。きっとミスなまえの研究分野にとてもぴったりな環境だと思われます。また、ミスなまえの論文の新薬の完成まで最新の研究設備や資金はふんだんに提供すると誓いましょう。私たち研究団体アグライアはミスなまえを歓迎します。
ーールミア島研究所 アグライア

ルミア島研究所。噂で聞いたことある。とても優秀な人材、最新の設備、どこから沸いてくるのか多額な資金。何もかも潤沢なその研究所は架空のものであると思われてきた。一度も大学宛に求人が来るでもなく、またどれだけ探してもルミア島なんて場所、存在しないかのように地図上では探せない。どこの国にあるのか、どの海の上にあるのかもわからないのだ。資料をぱらぱらめくると場所は亜熱帯の海上、資金源に連なるスポンサーは軒並み聞いたことのある大手財閥、設備も日本のどこを探しても見つからないだろう最新のものばかりだ。私は思わずつばを飲み込んだ。

「ルミア島か…架空の研究施設だと思っていたんだけどね」
「あ、教授…」

ひょこっと私の手元の資料を覗き込んだのはゼミの教授である明石教授だった。明石教授はこの大学に古くからいらっしゃる一人で、そろそろ定年退職の年を迎える方だ。最後にこんな優秀な生徒を見れて幸せだよとやさしく笑いかけてくれたことを私は一生忘れないだろう。なんと言っても、この論文発表が無事に成功したのは教授のおかげだからだ。女にはこんな研究必要ないだろ、と私の研究を横取りしようとした奴は数知れず。全て教授が守ってくれた。私は教授には感謝しきれないほどだ。

「教授はルミア島研究所の事をご存知で?」
「いや、詳しくは知らないねえ。確か、私たちの間では地殻研究所という名目で広まっていたと思うんだけど…」
「地殻研究所…?」
「そう。海底火山の調査を主にしている、だったかな。元々ルミア島も人が住んでいたんだけどね。研究所が海底火山活動の兆候があるとしてルミア島から島の住民たちを避難させたんだ。それからは、研究員以外の人間はルミア島に立ち入る事は出来ず、今は研究所が稼動しているかどうか知るものもいないって話だったねえ」

白髭を撫でながら教授は窓から空を見上げた。そこには二羽のカラスが飛んでいる。

「いつのまに細胞に関する分野も研究することになったのか……なまえくん、虎穴にいらずんば虎子を得ずというが、君子危うきに近寄らずとも言う。慎重に、自分の将来は決めるんだよ」
「……はい、教授」

なまえは、ぱら、とまた資料に目を落とした。
どれだけ求人を見ても、ルミア島の設備に勝る研究施設はない。なまえは探究心の塊のような人間だった。

「……教授は、私に期待とか、してますか?」
「ああ、勿論だよ」

この一言が、私の背を押した。




「まさか、こんな、違法がまかり通っているなんて」
「違法?」

こてんと首を傾げるナジャとかいう女に眉間にシワが寄る。アグライアのスカウトを受けた私は自分の論文の塊と、少しの衣服や生活品を持ってルミア島に連れて行かれた。島の場所は資料に載っていた亜熱帯地域ではないようで、場所は極秘だからと目隠しされて連行された時は肝が冷えたが、常時、迎えの人がずっと私に話しかけてきてくれたので、そこまで恐怖を感じる事はなかった。その人は、確か、トーマスと言っただろうか。自分も新人なんです、ここに最初に連れてこられる時は僕もそうでした、怖いですよね、ごめんないさいと親身に私に謝罪し、そして世間話をしてくれた。だから油断していたのかもしれない。到着した先で通された光景は吐き気を催すものだったのだ。

「ふざけないで!あんた達がやっている事は違法よ!人体実験で定期的に殺人が行われている!?それを生き返らせる!?記憶のバックアップに、ッ、いい加減にして!そんな非人道的な事、私は目をつむれない!」
「でも、今回は結果的に誰もまだ死んでいないわ」
「まだ!?誰も!?あんた、血も涙もないわけ!?」

ギッ、ナジャを睨み付ければ、何がおかしいのか、肩をすくめてクスクスと笑い始めた。

「あとこの研究に足りないのは、昔から課題のガン細胞に対する抗体を持った細胞のコントロール能力。それで、あなたの論文を読んだ所長があなたを誘致したってわけね」
「ッ、これだけ言ってもわからないの!?誰がこんな非人道的な実験に手を貸すかって言ってるの!早く私を日本に帰して!」
「無理ね」

ひんやりと、室温が冷えた気がした。
ナジャは依然として笑みを携えているだけなのに、私は冷や汗が止まらない。

「だってあなた、ここ出たら、言いふらしちゃうんでしょ?まあ、私たちには絶対的なスポンサーがいるから、あなた個人の発言なんてもみ消しちゃうのは簡単なんだけど、それでも煙のたたない所に噂はたたないって言うでしょ?所長は完璧主義だから、…あなた、死んじゃうかもね」
「ひ、」

おもむろにナジャは胸ポケットから万年筆を取り出す。そしてその万年筆を私の頬に押し当てた。研究所はいろんなものを傷めないようにする為基本的に室温が低い。万年筆もひんやりと冷気をまとい、私の恐怖心を煽る。

「言うとおりにしていれば、悪いことにはならないわよ。だってあなた、実験体ではないもの。あなたはあくまで研究員。博士号取得は…していないみたいだけど、それでもあなたの研究を所長は買ったの。日本っていうすごく退廃的な国から、あなたを連れてきたのよ」
「そ、んな、でも、こんな研究、なんの役に、」

ナジャの表情が一変した。
表情から全ての感情が抜け落ち、ただ淡々とこちらを見るナジャに私は涙が出てくる。

「本当に嫌になっちゃうね、日本って国。あなた、本当に研究員?本当にあの論文を書いた人?」
「……あ、」
「正直、所長が何を考えてこんな研究をしているかわからないわ。でも私は研究員。私が”知りたい”事がたまたま”これ”だっただけよ。でもこの研究が完成したら…考えるだけでゾクゾクする」
「だ、だからって、だって、こんな、人を、殺す、なんて」
「だから」

あきれたような声音に私はびくっと肩がはねた。先ほどまでの威勢は一気になくなり、ただただ狼の前のうさぎのように私は肩を丸め、胸の前で手を握るしか出来なかった。

「まだ、誰も結果的には死んでいないって、私、言ったわよね。まあ、これからのあなた次第よ。頑張ってね、新人さん。しばらくは、私が君の面相を見てあげる」

私は涙をぼろぼろ流しながら頷くしかできなかった。




「ええと、ミスなまえ、大丈夫ですか?」
「トーマスさん…」

あの後、ナジャから誓約書を書かされたり実験体に対する指示だしを教えられたり、この島について教わった私はげんなりとしていた。もうここまで来ると逃げられない事は明確で、私は観念するしかなかった。命は惜しい。まだ私はやりのこした事がたくさんあるのだ。こんなところで死んでいられない。そう思いながら休憩室でコーヒーを飲みながらぼんやりしていたら、私の付き添いをしてくれたトーマスさんが心配そうな顔でこちらにやってきた。その手にはカルテのようなものが握られており、ラボへ行こうとした道すがら私をみつけたというところだろう。私はまた実験内容を思い出してため息を吐いてしまった。

「大丈夫、じゃ、なさそうですね」
「ええ、勿論大丈夫じゃないわ。トーマスさん、あなたはこの研究に賛成なんですか?」
「賛成も何も、僕たちは研究員ですから」

その返答にまたなまえはため息を吐き出した。
ここには小学校で道徳を習った人間はいないのかと大声で問いたくなる。こんな優しい顔で虫も殺せそうにない男がしれっと生殺与奪の実験を黙認しているなんて。しかも、当たり前のように。頭が狂いそうだ。

「せめて……刑務所の人とか、そういう罪人ばかりが……実験体なのかなって思ってたのに……」
「最初はそうだったみたいですけど、最近は拉致とかしてますからね。所長なのかミスターメイジが命じているのかはわからないですけど」
「……はぁー」
「ははは……長いため息ですね」

困ったようにぽりぽりと頬をかきながら苦笑したトーマスは、そうだ、とでも言うように手をぽんとあわせた。

「この時間、実験は行われていませんから、少し外を散歩してはいかがですか?僕もたまに散歩、行くんですけど」
「……出ていいんですか?」
「島内なら、実験体たちもよく散歩していますよ」

ほら、と窓の向こうを指差したトーマスの視線の向こうに目をやれば、全身真っ白と言っても過言ではない少女が中庭のベンチに何かを書いていた。トーマスはその後継に少しだけ悲しそうな表情をしたが、すぐにもとの顔に戻る。白い少女を見ていたなまえはそれに気付きもしなかった。

「彼女は17M-RFT27。シセラ・カイルです。よく中庭にいるんですよ。落書きをよくしているのですが、その落書きが”お友達”だそうです。だから、叱らないであげてください」
「……あの子も、人を?」
「……ええ。何度か。その記憶は失っていますけど。この前まで細胞の活性数値が高く、非常に強い生存力を誇っていましたが、最近どうにも落ち着いたようで。また研究が1からとなりました」

トーマスが差し出したカルテを素直に受け取り目を通す。医学分野は薬学分野に通ずることもあるから多少なりとも知識はあるが、全てを理解することは出来ない。だが、彼女が非常に稀有な病にかかってしまっている事は一目瞭然だった。

「常に、激しい、痛み…」
「……彼女は、その痛みから細胞の活性化のポテンシャルを引き出しているんです。これも実験でわかったことです」

じんわりと、視界が歪んだ。ああ、さっきも泣いたばっかなのに。

「……ありがとうございます。これ、使ってください」
「……それは、何に対してのありがとうかしら」

そう問いながらトーマスから差し出されたハンカチを受け取れば、彼はにっこりと微笑んだ。

「彼女のために、泣いてくれて」


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