episode 117
本音

 雲が晴れる。雨に濡れた砂漠や都庁が太陽の光に反射され、キラキラと輝いている。そんな、晴れやかな朝だった。早くその景色を見たかった筈なのに、皆がボロボロになり、距離も開いてしまったこんな時に見る事になるとは、何とも皮肉である。しかし、久方振りに浴びる自然の光に心躍る気分になるのも確かだった。


『ありがと。サクラ達の怪我、治療してくれて』
「ここにある薬じゃ完全に治療出来た訳じゃない。特に、その足と、目…」
「いいえ。有り難うございます」
『神威も昴流も、封真もありがと!』
「…別に」
「僕は何もしてないから」

 太陽の光の下では、颯姫らが一行を出迎えている。その傍らには元の国の服装を身に纏った神威と昴流も居た。一行はファイとサクラの怪我を重点的に治療して貰ったらしい。しかし、その行為は完全にまでは至らなかった。貫通していたのがせめてもの救いだろうか。そんなサクラを悲しげに見つめる都庁の人々が居る一方でモコナは神威に飛び付いている。それに対して僅かに頬を染める神威は満更でもないのだろう。


「ごめんなさい、あの羅針盤…」
「大丈夫。あれを発注したのは侑子さんだから、壊れてても良いって。俺の次元を渡れる術を貰った対価はこうやって行く先々で侑子さんに頼まれたものを届ける事だし、分割払いみたいなものかな」

 その後に付け加えられた「まあ、もうひとつ約束してるんだけど」と言う言葉は、封真が何処か遠くの未来を見ているのだろう、と言う気にさせた。その真偽は分からないが、そんな彼に、サクラは言い様のない不信感を抱いたのである。その直後に見せた笑みは、何処か薄ら寒いものだった。


「で、本当に良いのかな」
「…はい」

 都庁とタワーの人々が見守る中、封真が持っていた特殊な容器に入れられたサクラの羽根はサクラの手に渡される。――これは私の記憶、いつかは絶対に取り返さなきゃならないもの。けれど、これがあればこの国の人達を守れるのだと聞いた。これを手放せば、ずっと探していた小狼君との繋がりがなくなる気がして、すごく怖い。けれど、見捨てる事は出来ないから、だから。

 少しの間、お別れね。


 パシャン、と軽い水音が響き渡り、サクラの羽根は水底に沈んでしまったと言う事が分かる。それを追い掛ける事は誰もせず、ただただその行く末を見守っていた。この国にご加護がありますようにと、ただただそれを願いながら。サクラがちらり、とモコナの方に視線を寄越せば、霞月の制止の声を無視したモコナは大きく羽根を広げて魔法陣を浮かび上がらせていた。


「遊人さん…約束、忘れないで下さいね!」
「…うん、頑張ってみるよ。だから…」
「…何ですか?」
「だから君も…レイノちゃんも、死なないで」

 一行の居る空間と東京の人々が居る空間は荒々しい風で仕切られ、暫く会えない事を意味していた。そんな中、レイノは遊人に対して手を伸ばす。微かに触れた遊人の手は冷たくて、無意識に出た言葉は死を感じたからなのだろうか。しかし、その直後に見た遊人の笑みは確かに柔らかくて、思わず目を見開いたのだ。


「もう一度、会いたい」

 その直後の眩しいくらいの笑顔を見て、俺は確かに君に恋をしたんだと、今では思う。


「返せるようにやってみるよ。君達が残していってくれたものを」
「お前達が次に来た時にはな」
「…はい」

 遊人との別れの挨拶を済ませたレイノは『小狼』の横へと並んだ。前ならば、この位置にはサクラがいたのだ。そう思うと、皮肉なものである。モコナが大きく口を開けると共に、一行の身体はバラバラに砕けて行く。そんな時、ファイは唐突に黒鋼の裾をくい、と引っ張ったのだ。


「…何だ」
「……桜都国かどっかでさ、言ってたでしょ。『ヤるなら気持ちを伝えてからの方が良い』って」
「…あ、ああ」
「…出来なかった」
「は?」
「……手、出しちゃった。ごめんね」
「お前…何、言って…」

 やっと自分から声をかけて来たと思ったらやけに昔の事を話しやがる目の前の金髪の男は俺の大嫌いな男だ。そんな男が言った事実に、俺は柄にもなく目を見開いた。意味が分からなかった。今まであれだけ必死に守ろうとして来た女をわざわざ傷付けたこいつの気持ちが分からなかった。こんな時じゃなけりゃ、俺はこいつの胸倉を掴んで殴りかかっていただろう。けれど、出来なかった。何でそんな顔すんだ。目の前の遊人とやらに嫉妬して、痛々しいほど後悔して、笑っているこいつには出来なかった。


「ごめん」

 自分の気持ちさえ言えない俺に、どうして殴る事が出来ようか。




「やはり、旅を続けるか」

 トン、と小さなグラスが机上に置かれ、中に入っている液体が揺れる。それをやってのけたのは飛王である。彼は楽しげに口角を歪めながら目の前の巨大な鏡に映る一行を見つめていた。その脳裏に映るのは野望か願いか、元は同じだった筈なのに、何時からか歪んだそれは飛王にとっては生きる意味である。


「お前達の働きは、無駄にならずに済みそうだ。小狼、そして、フレイ」
「意地が汚いですね、飛王」

 先程とは変わって、巨大な鏡には一行の姿ではなく、返り血に塗(まみ)れながら刀から溢れ出る炎で街を焼き尽くす小狼が映っていた。その一方で、飛王の傍らには細身の男が肘置きに腰を落ち着かせている。その男は「フレイ」と呼ばれ、丁寧な言葉遣いとは裏腹に瞳には禍々しい執着心と狂気を孕んでいる様に見えた。


「何がだ」
「私、特に何もしていませんので」
「これからするのだろう」
「けれど私、『あの子』以外は興味ないですよ」
「その他はどうするつもりだ?」
「殺します」
「分かりやすくて結構だ」

 先ほど飛王が置いたグラスを強引に奪い取り、口を付ける。喉が灼ける様な感覚は大人ならではの感覚で、程よい快感をその身に与えてくれる。そんなフレイに対して、飛王は無表情を貫く。そして、その後に続く言葉の数々に思わず喉を鳴らして笑ったのだ。これだからこいつを手放せないのだ。手懐けるのにかなりの時間がかかってしまったが、手に入ればこちらのもの。


「私は『あの子』が…ソールがまた戻って来るなら、それで良い」

 その為ならば、あの子を殺す事さえ厭わない。

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