episode 120
建前

「次の『チェス』の相手かな。それとも…」
「今までの旅で俺達を見ていた奴等か」
「どちらにせよ…もう傷つけさせない」
「……それは」
「え?」

 流れ続ける黒鋼の血を口内で味わいながら、ファイは瞳を黄金(こがね)色に輝かせた。視界の端に時折映る一瞬の光は、あまりにもあからさますぎるのではないだろうか。そう言っても、「見張られている」と言う事実は変わらないのだが。溢れ出た血を全て飲み干し、指に付いたそれを舌で拭う。その様子を見ていた黒鋼は何気なく言葉を紡いだのだ。その意図は、ファイには分からない。


「それは、誰に対してだ?」

 けど、こんな事を聞かれるなら、さっさと部屋に戻れば良かった。


「……何なの、急に」
「急じゃねーよ。あの小僧や姫の為だって、お前本気で言えんのか?」
「……そうだよ」
「あれだけ『守る』って豪語してたやつがいきなり割り切れる訳ねーだろうが」
「っ…うるさいなあ」
「は…っ」

 微かに血の臭いがする方の手を掴まれれば、ファイは動く事が出来なかった。ただただ黒鋼を睨み、手に力を込める事でしか黒鋼に対抗する事が出来ないのだ。しかしその後に続いた言葉に、ファイは歯を食い縛る。そして、掴まれている手を黒鋼の胸倉に向かって突き出したのだ。思ったよりも大きく響いた衝突音に思わず眉を顰める。


「あんたに何が分かんの?黙っててよ、これはオレらの問題だ」
「おい、落ち着け」
「それとも何?今更好き、とか言わないよね」
「てめェ…」

 黒鋼の胸倉を掴み上げているファイの瞳は再び金色に輝いており、興奮している事が分かるだろう。黒鋼は力んでいるファイの手首を掴むが、力が抜ける事は無い。それに加え、その後に続いたファイの言葉に黒鋼は思わず目を見開いたのだ。そして、暫く睨み合っていた時だった。リビングに繋がる扉が小さく音を立てて開かれたのである。


「な、何やってるんですか……?」
「レイノ…」
「……良かったね。これからは君が守ってあげれば?」

 二人の今までの会話を聞いていないレイノには決して分からない言葉を残したファイはらしくもなく舌打ちを残し、乱暴に自室の扉を閉めたのである。そんな短い間にも、彼女の視線とが交わる事は無かった。バン、と響き渡った衝撃音に思わず肩を跳ねさせれば、彼女は眉を下げている。


「……悪かったな」
「喧嘩…?」
「…いや、まあ、そう、なるのか」
「…初めて見た、ね。あんなに荒れてるあの人」
「……もう名前、呼んでやらねーのか」
「呼ばれてもきっと、困るよ、あの人は。もう、守っても、守らせてもくれないんだもん」

 居心地悪そうに髪を掻きながら、黒鋼は何時もの様に眉を顰めた。そして、隣で不安がるレイノを見ては、沸々と湧き上がって来る罪悪感に苛まれるのだ。彼女は、もう翌朝まで開く事がないファイの扉を見つめており、その瞳は「触れたい」と言う欲求が孕んでいた。どう言葉をかけてやればこいつの笑顔が見れるのか、今ではもう分からない。


「…寂しいか」
「心配してくれてる?」
「茶化すな」
「……ごめんね、有り難う」

 ソファに投げ付けられていた酒瓶を手に取り、その中に入っている液体を喉に注ぎ込む。僅かに熱くなるそこは、心の奥底に溜まる罪悪感を快感に変えてくれる様な気がした。そして何の脈絡もない言葉を送れば、レイノは寂しそうに目を細めて頬を緩めてくれた。その表情が今にも消えそうで、また罪悪感が蘇る。


「さっさと服着て寝ろ。風邪引く」
「…うん。黒鋼、お休み。明日も頑張ろうね」
「おう」

 無意識に伸ばしていた手がレイノの身体に触れる事は無く、濡れそぼっている彼女の長い髪を撫でるだけに終わった。擽ったそうに目を細めている彼女はただされるがままになっており、僅かに眉を顰めている姿を見る事が出来た。そして、笑みを浮かべてパタパタ、と足音を鳴らしながら自室へと姿を消したのである。その瞬間、黒鋼は崩れ落ちる様に壁に凭れかかる。


「……親父か、俺は」

 唯、お前が幸せなら、それだけで良かったんだがな。




『本日の『チェス』は、皆様に楽しんで頂くべく、更に趣向を凝らし…』
「能書きはいいから、さっさと始めろ」

 翌日の「チェス」に参加する事になっているレイノらは既に盤上で鎖に繋がれている。その光景をモニターを通じて眺めているのはこの国の上層部の人々や金持ちであろう。そんな人々は盤上を囲む様にして現れた茨を見ると、面白い、と言いたげに歓声をあげたのだ。やはり人間と言うものは、スリルを好む種族らしい。


「当たると痛そうだね」
「どう思う?『小狼』」
「…血が、いっぱい出そうだな」
「そんな子供の感想文じゃないんだから」

 突然現れた茨についてレイノが『小狼』に聞けば、彼は表情を変えぬまま、ぼそり、と言葉を紡いだ。それに対して突っ込む彼女は何時もと変わりは無くて、どうやら昨日の事を引き摺っている訳ではないようだ。そんな彼女の突っ込みを流して、彼は後ろに座っているサクラを見上げ、「必ず、勝つ」と宣言したのである。


 鎖が引き千切られる音が響いた瞬間、黒鋼は大剣を振り翳して敵を薙ぎ払った。その直後に黒鋼の影から現れたファイは敵の喉仏目掛けて、武器の切っ先を放ったのだ。その後に出来た隙を突いて攻める『小狼』の背後にはレイノがサポートとして入っている。彼女が敵の身体、『小狼』が武器を狙って蹴りを入れると、敵の武器の先端に電流が溜まっている様が見てとれた。
 レイノが『小狼』の名を呼ぶと同時に、『小狼』は彼女を守る様に前に出ている。しかし、雷撃の反動で二人の身体は後ろに飛ばされる形となり、彼女は彼を庇う様にして無数の棘を一身に受けたのだ。

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