episode 123
隠された恋心

『王様、目を覚ましたよ。ファイ、聞こえる?』

 言葉を変えてそれをファイに伝えたチィの声色は、数年前と何も変わっていない。それに僅かな安堵感を覚えた彼だったが、その直後、脳裏に浮かんだアシュラに、僅かに瞳を揺らがせた。思い出すのはこちらに手を差し伸べ、優しく、柔らかい笑みを浮かべてくれるアシュラの姿である。


(……聞こえてるよ)
「…ファイさん」
「なぁに?」
「何かあったんですね」
「何も…」
「言いたくないなら言わないでもいいんです。でも、笑いたくない時に…笑わないで」

 唐突に聞こえたベッドのスプリング音に何時もの笑みを浮かべるが、ふと、サクラの指先がファイの唇に触れる。その瞬間、笑みをなくしてしまった彼は、自身の覚悟が如何に脆い事を悟った。情けないなあ、弱くてごめんね、と。そんな言葉を送りたい人物は、この場には居ないのだが。


「だったら、サクラちゃんもオレの前ではそうして欲しいな」

 目の前で顔を歪めるサクラを視界に収め、ファイは彼女の手を取り、その言葉を送ってみせた。そして、インフィニティに来て彼女がチェスに参加する、と宣言した後の彼女の様子が気掛かりだった、と紡いだ。その要因として、彼女に明確な目標が出来た事が挙げられる。
 もう迷わない、と決めた彼女はただただ小狼を求めて旅を続けている。そんな彼女が、この国に来てからは特に『小狼』を避けて、部屋に閉じ籠ってばかりなのだ。そして今日の対戦では、レイノらに自分の決心を、レイノらと居る事を迷っているのだと伝える為に、サクラはわざと迷っている様に見せたのだと、彼は感じたのである。


「だからね、あの忍者さんにも、言っておいたんだ。「サクラちゃんが迷ってる」って。余計だったかな?」
「……いいえ。いつから分かってましたか?」
「君がみんなの前で次元の魔女さんにチェスの賞金の事を話した時くらいかな」

 ファイが自分の考えを言った後、サクラの表情は一変した。影があるその表情はある意味彼女らしくなく、しかし、ある意味で今の彼女にとっては、最も相応しいものに思えた。再び長々と言葉を紡ぐ彼は、彼女にとある違和感を抱いた、と言う。小狼が壊した国への復興として何かを送りたいと、以前の彼女が言ったのであれば何も問題は無い。しかし、今の彼女には明確な目標がある。更なる非劇を起こさない為にも、賞金稼ぎをしている時間があれば、小狼を追い掛けるだろう。そう考えたファイは、「賞金の他に、この国に留まりたい理由があるのではないか」と思ったのだ。


「……欲しいものがあるんです」
「それは、知ったらリビングにいる人達が怒っちゃうようなものかな」
「きっと…特にレイノちゃんには、もっと嫌われちゃうかもしれませんね」
「…それでも欲しいんだね」
「はい」
「…了解。全て、君の望み通りに。それが、オレの望みだから」

 たった一言を告げたサクラの表情は先程と何も変わらなくて、ファイは何を言っても無駄だろうと、瞬時に悟った。しかし、唐突に耳に入った「レイノ」と言う名にひゅっと息を吸い込む事になった。おそらくサクラにそう言った気は無いのだろうが、このタイミングで言われるのは些か辛いものもある。そんな複雑な気持ちを抑え込む様にして、彼はサクラの手の平にそっと口付けた。――もう時間は、残り少ないかもしれないけど。

 オレに出来る事なら、何だってしてやりたいんだ。




「ふう……」

 黒鋼から貰った一杯だけの酒を呑みほしたレイノは一足早く浴室に籠っていた。軽い水音が響き渡っている密室で息を吐くが、おそらく外には何も聞こえていないだろう。インフィニティに来てからと言うものの、心休まる場所は浴室と自室のみとなってしまった。以前ならば一行が集まるリビングが一番リラックス出来たのだが、今の状況ではただただ気まずいだけである。このタイミングでリビングにファイしか居ない、となった日には死ねる気がする。思わず自己嫌悪に陥りそうになるが、自身を鏡に映した時、ふと左足の刺青が視界に入った。


「これがバレた暁には『小狼』と黒鋼に殺されるかもしれない……」
(まあ、消し方知らないんだけど)

 左の太腿にある、何処か違和感を感じるその刺青は、ミッドガルド国で夢に入り込んで来た飛王によって付けられた物である。その証拠に、この刺青の中央には蝙蝠のマークが刻まれていた。通常時に痛みは無いのだが、気まぐれで疼く時がある分厄介な為、消したいのだが、なかなか上手く行かないものである。通常時には色が薄くなるそれはレイノにある記憶を呼び起こさせた。それは断片であるにも関わらず、彼女の中に懐かしさを込み上げさせるものだったのだ。




『旅をしてるんだね』
『うん……本当は、父様も一緒なんだけれど…悪い人に捕まっちゃったから』
『……寂しくない?』
『……さみ、し、い?』

 しんしん、と静かに雪が降り積もり、一面は銀世界だ。そんな中、二人の幼子は互いに暖を取り合う様に擦り寄っていた。つい先ほど知り合ったばかりの二人は探り合う様に会話を進めている。その中で度々引っ掛かる違和感に、少年は思わず眉を顰めた。どうやらこの少女は人間としての感情が著しく欠如しているらしい。


『さみしい、は、分からない、けれど…ここ、がきゅっ、て…苦しくなる』
『……君はとても、不器用なんだね』
『ぶき、よう?』
『優しいんだね、ってこと』

 たどたどしく言葉を紡ぐ中で、少女は胸元辺りの服が皺になるくらいに握り締めた。その様子を見て、感情がない訳ではないのだろうか、と少年は思案する。そして、その後に続けた言葉にぽっと顔を赤らめた彼女に、彼はゆるり、と口角を緩めたのだ。ああ、何だ。感情がないんじゃない。どうやって気持ちを出せば良いのか分からないだけなのだと、その時に悟った。その時に、微笑ましい、と言う感情も知った。




『もう行っちゃうの?』
『うん……やる事が、あるから』
『初めての友達、だから、寂しい……』
『…私も、さみしい、んだと、思う』
『…ねえ、ソール、また、来てくれる……?』
『会いに、来る…あなたに』

 止む事がない雪は、二人の間にも割り込んで行く。それと色素の薄い金髪が同化してしまうのは仕方のない事だと思えた。囁く様に言葉を紡ぐ二人の声は空気に吸い込まれて行き、しかしそこには確かに情が垣間見えたのだ。「ソール」と呼ばれた少女は少年の方へ真っ直ぐな視線を向け、少し力を込めて言葉を紡ぐ。しかし、すぐに後ろを向いてしまった彼女は何処からか自身の身長の何倍もある魔術具を取り出し、それをきゅっと握ってみせた。そして、再びこちらに顔を向けたのだ。


『またね、―――』

 その時に浮かんだ笑顔は、紛れもなく本物だった。





「……あーあ」

 いつの間に泣いていたんだろう。全身が濡れているのに、どうしてこんなにも心は熱いのだろう。身体は冷たいはずなのに、このままで良いはずなのに、わたしの身体はただただ温もりを求めていた。誰でも良い訳じゃない。ただあの人に、ファイさんの傍に居たいだけだ。記憶の中の少年の正体も分かっている。それでもそんな訳ない、と拒絶するのはやはり、あの人がわたしを選ぶ訳ないと思っているからだろう。
 ずっとずっと好きだった。「私」がわたしになる前から好きだった。ずっと貴方の笑顔に惹かれていた。苦手だと線を引いて、惹かれるのが恐い、と思っていた事に初めて気付いた。傍に居て欲しかった。サクラちゃんじゃなくて、わたしを見て欲しかった。けれど、こんな汚いわたしを見せたくはなかった。


「さ、みしい…ファイさ、ん」

 ただ貴方に触れたいだけなのに、貴方はそれさえ叶えてくれない。




「おい」

 思い切り泣いたせいで一向に赤みが引かないレイノの目は、誰がどう見ても彼女の顔には似合っていなかった。彼女の白い肌に「赤」と言う色は酷く目立つのである。それに気付いたのは立派な酒豪である黒鋼だけである事が唯一の救いであろう。こんな所をモコナにでも見られれば、彼女は罪悪感や申し訳なさで死ねる気がする。


「っ…く、ろがね…いたんだ」
「……また、泣いたのか」
「…黒鋼は本当目ざといよねえ。何で気づいちゃうかな、恥ずかしい」
「お前はすぐ茶化すよな。それ止めろ」
「……ごめん」

 本当は誰にも見られたくはなかったのだが、もしここに誰も居なくても、明日になればきっと誰かにバレていただろう。その事が分かっているから、レイノは何時もの様にへらり、と軽く笑うのだ。けど、それは黒鋼には通用しない。分かっていた筈なのにやってしまうのは彼女の悪い癖だ。


「…そんなに好きか」
「へ…」
「そんなに好きか、あいつのこと」
「な、に言って…」
「好きか」
「く、くろがね…?」

 僅かに続いた沈黙の後(のち)、黒鋼は唐突に言葉を発した。あまりに前触れのないその言葉に、レイノはぱちくり、と瞳を丸くさせたのである。しかし、その問い掛けが止まる事は無く、二人の距離は決して縮まってなどいないのに何処か迫られている様に感じた。シャワーの後の汗とは違うものが噴き出す中、彼女は唐突に目の前の男に腕を引っ張られ、抱き締められたのである。


「…れじゃ」
「え…?」

 ぼそり、と呟かれたその言葉は確かに耳に届いた筈なのに、レイノは信じられない、と言いたげに戸惑いがちに声を漏らした。黒鋼には珍しい小さな声に驚いてしまったのもその要因かも知れない。頭を押さえられているせいで彼の顔が見れない事も立派な理由になるのかも知れない。そんな多くの可能性を考えて、彼女は改めて自分は無知である事を悟ったのだ。


「――俺じゃ、だめか」

 けれど、その震える声から何かを悟ったのも本当だった。


「……なんてな。驚きすぎだろ」
「……へ?」
「すっげェ間抜けヅラ。それ、小僧に見せてやろうか?」
「や、やだよ!」
「声でけェ、起きるだろうが」
「っ…お酒!呑む!」
「へいへい」

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