episode 127
優しさなんて死んでしまえ
刺々しい電流と刀に螺旋状に絡まれた文字列の桃色の光が交錯し合い、その二つの衝撃は切り傷として、二人の顔に傷を作って行く。その間に微かに鳴るピピッと言った電子音は二人の魔力を強めている証拠だ。二人を中心に激しい風が巻き起こる中、『小狼』がふと吼えた。それは目の前に居るレイノを圧倒せん、と言う勢いだった。
そんな『小狼』を見て、わたしは思わず目を見開いた。負けるつもりなんてなかった。死ぬ覚悟なんて出来てなかったし、何より「あの人と再会する」と言う願いも叶っていなかったから。八つ当たりみたいなものだった。独りじゃないと気づいて欲しかった。そんな独り善がりな説得はすごく空しかったけど、守りたかった。多分思い詰めてるんだろうあの人も、守りたかった。そんな事思ってるなんて二人は知らないと思うけど。もう一度場外にいる黒鋼達に視線を寄越す。そう、そのままじっとしててね。『小狼』の方に視線を戻したわたしはドン、と言った地鳴りが響く直前、優しく頬を緩めてみせた。
ねえ『小狼』、貴方ならきっと意味が分かるでしょう?
その場にはサクラの荒い息遣い、溢れ出した『小狼』の魔力、レイノと彼の魔力のせいで残った戦闘の痕がある。先程の衝撃のせいで立ち上る煙に包まれて、二人は膝を曲げながらも立っていた。勿論、武器も手から離れていない。戦える。そう、戦える、はずだった。けどもう、彼を傷付けたくないのだ。
「まだ続くのかよ!」
「…いや」
「終わったな」
黒鋼がそう言ったと同時に、微かな笑みを携えていたレイノの身体はゆっくりと地面に近付いて行った。意識はまだある。けれど、もう立っていられないのだ。そんな彼女を、イーグルは優しく受け止める。そして、「貴方達の勝ちです」と述べた。『小狼』の勝ちとなった今回の勝負だが、圧勝と言う訳でもないらしい。彼女が倒れた少し後に倒れた『小狼』にも、もう力は残されていなかった。
「お疲れ様です、レイノさん」
「ごめんなさい、負けちゃって」
「最後、手を抜きましたよね?」
「…何の事でしょうか」
「マスター(私)と駒(貴女)はこの首輪で繋がってるんです。貴女の力加減は頭に流れ込んで来るんですよ」
「……ちっ」
「乱暴な方ですね」
自身の腕の中で項垂れているレイノに声を掛ける。申し訳なさそうな声色に聞こえるが、その実気持ちが籠っていない事は良く分かっている。そんな彼女に分かり切っている問いを投げ掛けた。一瞬止まった彼女の動きに思わず笑ってしまいそうだ。こんなに素直な子なのに悪役に買って出るだなんて、優しすぎる。言い逃れが出来なくなった彼女は顔を歪めて思い切り舌打ちを響かせた。――猫被りじゃない方が好きですよ、私は。
だが、和む時間はもう終わりだ。そろそろ来る。そう思った瞬間、ステージの上で眩いくらいの光が放たれ、こちらに落ちて来る。呆然とした様にファイが言った「チィ」と言う名は、おそらく彼の世界での事だろう。
「次元移動能力を備えたこの国、唯一の機械人形です。『彼女』が貴方を、他の世界へ連れて行ってくれます」
「…やっぱりな」
イーグルの言葉を受けて、『小狼』は素早く隣に居るサクラに視線を向けた。さも当然かの様にそのオートマタを見上げる彼女は、この時をずっと待っていたらしい。そして、そんな彼女の思惑を、黒鋼は少なからず予測していた様だ。空からゆっくりと近付いて来るオートマタの手を握ろうと手を伸ばす。その瞬間、イーグルに支えられたレイノが一際大きく「『小狼』!」と叫んでみせたのだ。その声に我に返った『小狼』はボロボロになった手でサクラの手を掴んだのである。
「姫を放すなよ!」
「…小狼君」
「だから!どうなってんだよ!」
「次元の道が、もうひとつ…」
「チィの封印が、解けた……」
サクラをこの場に必死に繋ぎ止めようとする『小狼』の顔は、酷く悲痛だった。普通ならば動かない身体に鞭を打っては力を込め、痛みや辛さで歪めた表情を彼女に向ける。場外から投げ掛けられる黒鋼の叫びがその力を弱めさせない様にしてくれていた気もした。しかし、『小狼』を見つめる彼女の表情もまた歪んでいて、この状況に追い込んだのにも関わらず、望んだ結末ではない事は見て分かった。一方でランティスは手の平に出した小さなモニターを眉を顰めて見つめている。そこには確かにもう一つの道が映されていた。
インフィニティで異変が起こっている様に、セレス国でもまた異変は起こっていた。ルヴァル城の中にある噴水が舞い上がり、それが何かをかたどって行く。それは確かにインフィニティのオートマタと同じ容姿であり、ファイの言った「チィ」だったのだ。
そしてこの瞬間、確かに三つの世界は繋がったのだ。
「一人で別の世界へ行くつもりなのか!?」
そう叫ぶ『小狼』はサクラの腕を掴む左手に重ね合わせる様に右手に力を込めた。――必死に彼女を繋ぎ止める自身は滑稽だと、自分でも思う。けど、これを逃せば、傷だらけのレイノが作ってくれたこのタイミングを逃せば、きっとおれはもう二度と「この」彼女には出会えないのだと感じた。
「…放して」
「おれがいるからか!?」
「違うの、貴方のせいじゃない。でも…行かなきゃ、間に合わない」
「…まさか、サクラちゃん」
両手でサクラの腕を掴んで必死にこちらに留めようとする『小狼』は、「東京」で一行と合流してから一度も言えなかった、けれどずっと聞きたかった事を口にした。それは自身の存在価値をなくすものだ。しかしそれを否定され、『小狼』はなぜサクラが自身を避けるのかがもっと分からなくなった。そんな中で、何かに感付いたファイの脳裏には思い出したくもない光景が映っていたのである。
昔は良く見ていた。飽きるほど見ていたその雪景色は人々が羨む様な銀世界ではなく、不純物が混じった小汚いものだ。何年間もその場にいたオレは寒さに耐え、孤独に、辛さに耐え、日に日に壊れて行く自分の身体に耐えていた。その時はもう既に生きたい、なんて願望は持ち合わせていなかった様に思う。寒さと痛さで震える手を見つめては遥か彼方に見える微かに明るい空を見上げる。その途中にあるはずのオレの大切な者はいつからか、姿さえも見えなくなっていた。
『出たいのか、ここから』
『夢ではない、これは現実だ』
『その願いを、叶えてやろう』
『けれど、出られるのは一人だけだ』
大きい筒の様な場所に響く低い声はオレの判断力をだんだんと鈍くさせていた。そんな場所に何年間もいて、冷静でいろと言う方が無理なんだけど。皺くちゃになった目元を大きく開かせると、その声は可能性を否定する様に強く言葉を紡ぐ。そしてまるで自分が神だと言いたげにオレに言葉を投げ掛けた。その声に縋る様に見上げてしまったオレはきっと凄く弱くて、馬鹿だった。もっと手が、身体が大きければ、力があればこんなにも現実に絶望する事もなかったのだろうか。そんなオレに選択を求めるその声は甘くて、けれどもとても残酷だった。
『選べ。おまえか、もう一人か』
その問いに答えたはずのオレの言葉は、もうオレの記憶にはないんだけど。けれど、目の前で血で塗れるオレの大切な者は確かに現実で、ドサッと言う無機質な音は静かにオレを殺した。上から静かに落ちるそれに、オレはただただ目を見開いた。受け止める事も出来なかった。何も出来なかった。身体が動かなくて、ただひたすらに恐怖を感じて、夢なら早く覚めろと思った所でその前に聞いた「現実だ」と言う声を思い出した。最悪だ。
『おまえは選んだ。その結果がこれだ』
『おまえが選んで消した命、おまえはその責を負わなければならない』
『これは、呪い』
『もうすぐおまえを迎えに来るものが現れる。おまえはここから出られるだろう』
『けれどいつか、おまえ達がずっとそれぞれの場所に留め置かれた理由、その強大な魔力を凌ぐ者が目の前に現れたら、おまえは』
目の前に広がる次元の狭間を見つめながら、オレの身体には刷り込みの様にその言葉が埋め込まれる。それから逃げる方法は無くて、その時のオレはその言葉に縋り付くしかなかった。それしか逃げ道は無くて、それが神の教えだと言う様に脳内が真っ白になる。しかし肝心な事を聞き逃したオレはやっと出会う事になる。
世界がいくつもある事なんて分かってる、魔力を持っているのだから。けど、それでも、オレの居場所はそこしかなかったんですよ。
『迎えに来た』
ねえ、アシュラ王。
その記憶が途切れた瞬間、ファイの思考回路とある事で埋め尽くされる事になった。隣に居る黒鋼の姿も見えず、ファイの視界は白と黒のチィから現れるサクラの羽根に独占される。自分でもどうやったのかは分からない。けれど、ファイは確かにこの手で黒鋼の拘束を退けた。
「待て!」
そう声を荒げて黒鋼は歩を進めるファイに手を伸ばすが、それは原因不明の衝撃波が壁となり、叶わない。その衝撃波はファイの全身を纏い、サクラの手を掴んでいた『小狼』の手をも弾き飛ばした。それに思わず目を見開いたレイノはそっとイーグルの前に手を翳し、目を細める。さっきの戦いで力を残しておいて良かった。この身体はまだ使い物になるけれど、ファイの様子を見れば残りの時間が限られているのは明らかだ。足の裏に魔力を込めたレイノはそれを飛躍力にし、二枚のサクラの羽根に挟まれるサクラの元に辿り着いたのである。
「サクラちゃん!」
「っ…な、まえ…」
黒のストールを掛けたサクラの細い腕を掴み、レイノの身体は宙に浮かんだ。そして呼んだ名に、サクラは目を見開いては驚いた様にぱちくり、と複数の瞬きを交わしたのである。どれだけ願ったか、望んだかは分からない。それでも嬉しくて堪らないのは仕方のない事なのではないか。泣きそうになったのは、崩れ落ちそうになるのは、必然ではないだろうか。
「…何で、泣きそうなの」
「だって、レイノちゃんが、来てくれたから」
「何それ…」
「嫌われてると、思ってた、から」
目の前の少女の気持ちなど分からないレイノはその表情を見て思わず目を見開いた。そして、その後に続いたサクラの言葉に困惑した様に眉を下げる。だって、わたしの中途半端な態度がそんなにも影響があるだなんて思わなかった。視線を向けられている事は知っていたけれど、そんなに悩ませているなんて知らなかった。今となっては言い訳にしかならないけれど、でもやっぱり、自分の気持ちにうそは吐けなかった。
「嫌いだよ」
だからわたしはいつだって、貴女を傷付けるしか出来ない。
「わたし達の事ばっかり考える貴女は嫌い。もう少し自分の事をいたわって。そうじゃないと、何の為にここに残ったのか分からない」
「レイノ、ちゃん…?」
「『東京』のあの場所で、わたしは貴女を守ると決めた。だから、死んで貰っちゃ困る」
いつからだか、こんな刺々しい言葉しか吐けなくなった。けれど、サクラちゃんはその真意を汲み取ってくれると信じている。独り善がりな迷惑な信頼だとは思っているけれど、それでもわたしは言葉を紡いだ。血だらけでボロボロになって帰って来たサクラちゃんを見て、そんなサクラちゃんを思い浮かべて、守るのはわたしではないと思った。その役目はわたしを守るはずだったファイさんになったのだと思った。けど、幸せになって欲しいとも思った。だからわたしは、この手を離す訳にはいかないの。それがどんな未来になっても、痛い思いをしても。
『おまえは、その者を、殺す』
だいすきな貴方に、刺される事になったとしても。
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