episode 128
優しき懇願
視界に流れるのは赤い血、手に伝わるのはまだ生暖かい人の体温だった。オレが突き刺している剣を支えに力なく身体を揺らすレイノちゃんとサクラちゃんに表情は無くて、強いて言えば体内に入る異物に顔を歪めている、と言った所だろうか。その姿が過去にオレが犯したあの場の子に似ていて、ただ何をする訳でもなく目を見開いた。
『呪いは、解けない』
今まで思い出した事もない言葉がなぜか今になって頭の中をぐるぐる回って、オレの思考回路を縛り付けていた。この手を、二人を刺している剣を持つ手を離せば良いと、分かっているはずなのにそれが出来ない。地上ではきっとあの二人が呆然とこの光景を見上げているんだろう。
こんな時に限って脳裏をよぎるのは二人の記憶で、ピッフル国のレースで優勝してモコナと抱き合ったりとか、桜都国で洗い物をしている途中に寝ちゃったりとか、霧の国でぎこちなく微笑んだりとか、東京で血だらけになりながらオレに手を伸ばすサクラちゃんだ。そして、阪神共和国で声も出さずに泣く姿とか、霧の国で「ずるい人」と笑う姿とか、ミッドガルド国で墓穴を掘って照れる姿とか、酷い事をしたはずなのにただただ優しくオレを抱き締めるレイノちゃんの姿がオレの脳内に浮かび上がる。
『たった今これから、自分を一番大切にすると、貴方の一番大切な人の傍にいる、と約束して下さい』
『貴方はわたしを守りたいって言うくせに、わたしには貴方を守らせてはくれないんですね』
散々守ると決めたはずだった。もう誰にも傷付けさせないと、もう絶対に泣かせないと、そう決めたはずだった。なのにこの手はいつだって君に牙を向けて大嫌いな泣き顔ばかり生み出してしまう。そんな自分が憎くて、嫌いで嫌いで堪らなかった。君を守れないと決め付けて、そんな君の代わりにサクラちゃんを守るだなんて最低な事を何度も何度も繰り返した。それでも君はオレを受け入れて、優しく笑って抱き締めるんだ。
そんな君が憎くて、嫌いで、嫌いになりたい、そうなりたかったはずなのに、いつだってオレは君を求めてた。馬鹿みたいに好きなんだ。なのに、何でオレは君を刺してる?失ってしまうかもしれない、と言う恐怖から手の震えが止まらない。あれだけ守ると決めた君が、レイノちゃんが、どうして血を吐いているんだ。
「剣を抜くな!」
「レイノ!さくら!!」
地上で声を張り上げる黒様と『小狼』君の言葉は耳から通り抜けて行って、ただオレは叫んだ。それと共鳴してしまったのか、周りはオレの魔力でいっぱいになってた。オレの身体から放たれた雷撃は「チェス」のステージをバラバラにして瓦礫になっている。その衝撃で二人の身体から抜けてしまった剣には二人の血がべったりと付いていて、支えを失ったレイノちゃんは血だらけになった身体をこちらに倒れ込ませている。その様子が過去の情景と重なって、魔力の暴走がより強くなったと感じた。多分、この場には誰も近寄れないんだろう。けれど、そんなオレの手に触れたのは刺されたはずのサクラちゃんだった。そのサクラちゃんは「間に合った」と、確かにそう紡いだのだ。
『大丈夫、わたしとレイノちゃんの命は消えてない。まだここにある』
そう言ったサクラちゃんはオレの血だらけになった手を握り、優しい声を響かせる。それが今はもうほとんど記憶にない母を思い出す様で、こんな状況なのに懐かしささえ感じた。サクラちゃんの言葉にレイノちゃんを見下ろせば、ぴく、と動いた気もした。それに目を見開くと、オレの身体は温もりに包まれる。サクラちゃんだ。サクラちゃんは「これからも未来は変えられる」、そう言うと名残惜しそうにオレの身体から手を離す。そしてレイノちゃんの頭をひと撫でしたあと、下にいる人達の方を見た。
『ごめんなさい。レイノちゃんとファイさんを、お願い』
その言葉は罪悪感でいっぱいの、所謂「懺悔」の様に聞こえた。特にレイノちゃんに対してはその気持ちが強かったように思う。きっとオレの知らない所で、この二人の溝もきっと深くなっていたんだろう。けれど、何も言えなかった。レイノちゃんとぶつかり合う術を、オレは持ち合わせてはいなかった。あの二人もそんなオレに苛立っただろう。呆れただろう。分かってても自分が壊したこの関係の直し方なんて、知らないんだよ。だからオレは、この空間から消えて行くサクラちゃんを呆然と見上げる事しか出来なかった。
『また、会えるまで』
――「未来は変えられる」、その言葉だけがオレの救いだった。シュル、と羽に包み込まれたサクラは、あっと言う間にこの次元から消え失せた。それをただ見上げる事しか出来ないファイは呆然と目を見開く。力なく動かした右手からはぼたぼた、と混じり合った二人の血が夥しく垂れていた。その手で空を掻き、その様子を、彼の蒼い瞳に映す。しかし、その動きは頑丈な黒鋼の手と膝の上で僅かに力むレイノの手によって止められる事となった。
「その剣でもう誰も傷つけるな、おまえ自身もだ」
そう悔しげに、嘆く様に溢した黒鋼の表情は酷く歪んでおり、何も出来なかった自分を悔やんでいる様だった。それは『小狼』も、レイノでさえも同じである筈なのに、黒鋼はただただ無力な自分を憎むのだ。後ろに立ち尽くす『小狼』の表情も悲痛に歪んでおり、その琥珀の瞳は何かを訴え掛けている様にも見えた。そんな時に鼻孔を擽る彼女の匂いはファイの正気を戻すには充分で、ファイは震える唇を何とか動かす。
「レイノ、ちゃ…」
「っ…もう、だいじょうぶ。泣いてもいい、から」
「け、ど」
「死な、ないで」
のそのそ、と何かを探し求める様に身体を起こすレイノは、光のない瞳をファイに向けた。そして、『小狼』との戦いとファイに刺されたせいでボロボロになった両腕をゆっくりとファイの首に回したのだ。浅くなっている呼吸が、耳元で囁かれる。それに混じる言葉は、酷く優しかった。
いっぱいいっぱい傷付けたのはオレなのに、どうしてこの子はこんなにも優しく、笑えるんだ。今にも気を失いそうになってるくせに。オレがいなきゃ、倒れてる、くせに。こんなんじゃ、死ねる訳、ないじゃないか。薄い桃色の瞳が姿を消す。安心したのか、首元にある体温も離れて行く。それと一緒にオレの魔力も、なくなって行っている気がした。
「…ご…めん、なさ…い」
ファイが気を失った途端、周りに浮かび上がる瓦礫達は力をなくした様に、一斉に地へと落ちて行く。そんな中で気を失ったファイは黒鋼に、レイノは『小狼』に、それぞれ支えられる事となった。ここ一帯に広がる赤は全て彼女の血である。これだけの出血をして先程まで意識を保っていた彼女には、何処か尋常じゃない執着心を感じた。
「何がどうなってんだよ!!」
「未来は?」
「…変わった。あの4人は死ななかった」
「どういう意味だ」
ぐったりとしたファイに手を伸ばした『小狼』にそれを任せ、黒鋼はレイノの身体に手を伸ばす。膝の裏と腰に手を差し込み、その細い身体を抱き上げた。白い服を着ていたお陰で気付いたが、血生臭い腹部は既に塞がっている様だ。思わず目を細めるが、その状況は変わらない。それに、聞き逃せない言葉も出て来た。殺気の籠った視線をイーグルに向けると、それを守る様にジェオとランティスが前に出る。その様子を見届けたイーグルはそっと言葉を紡いだのだ。
「ご説明します、あのひとと一緒に」
その時に浮かんだ笑みは、酷く悲しげだったのを覚えている。
『みんな!!その血、どうしたの!?怪我したの!?』
医務室の様な場所に運ばれたレイノらは、駆け込んで来たモコナの様々な問い掛けに対して何も返す事は出来なかった。ベッドに寝かせられたファイは、まだ意識が戻っていない。大きな椅子に下ろされた彼女は腹部を中心に広がる夥しい量の血をそのまま放置している。それ以上にモコナの言葉が身に沁みているのだ。そんな時、モコナの額の赤い石が光を宿した。
『侑子!』
『姫は、この中にいるわ』
「その中は…」
『店がある所と違う』
『そう。店とは、また別の場所。『夢』の世界、さくら姫の魂は今、夢の中にある。これは姫が望んだことよ』
「あのお姫様は、夢で未来を知る事ができたようですね。うちのランティスと同じく」
光から現れたモニターには侑子が映り、その手には真ん中で区切られた大きな筒の様な物が抱えられていた。彼女曰く、この中にさくらが居るらしい。俄かに信じられる事ではないが、それが事実だと言うのだ。思わず眉を顰めたレイノは既にこの事を理解している。だからこそ、止めたかったのだ。
「夢を視た。チェスの最終戦、あの姫が彼に刺され死に、仲間三人を殺し、彼は壊れ、その後…」
『やめて!そんな酷い事…』
『その夢を姫は変えようとした、命を賭けて』
ランティスが視た、と言う夢の内容は聞くに堪えない、凄惨なものだった。それを聞いて、モコナが涙を流してしまうのは仕方のない事だと思えた。結果としては守れた、と言うべきなのだろうが、サクラもファイに自分を刺させたくなどなかった。しかし、それは回避出来ないほど強い呪いで、彼女の手ではどうにも出来なかったのだ。だからこそ彼女はその後の未来だけでも変えようと決心した。「その後の未来」で、レイノが乱入して来た事は予想外だったが。
『己の強運を対価に望む世界を目指し、貴方達が死なないようにもうひとつの対価を支払うと』
「何を…」
「あの…右足か」
『足は怪我で動かないんじゃなかったの!?』
『治る可能性はあった。けれど、もう、あの足が二度と動かなくても、貴方達を、そして、ファイ自身を死なせないように、かけられた呪いを解きたかった』
その後に続く「それはレイノも一緒ね」と言う言葉に、この場に居る全ての人間の視線が彼女に注がれる。――魔女さんめ、余計なこと言わなくて良いのに。これはわたしが全部知ってたから決められた事なのに。嗚呼ほら、黒鋼がすごい顔でこっち見てるじゃん。ほんっとやなんだよ、こう言う時の黒鋼。多分怪我の治りの早さにも気づかれてるし、まあ聞かないとは思うけど。
そんな事を心の中でぐちぐちと溢している時、ゆっくりとファイの身体が起こされる。そして、ぼそり、と呟かれた言葉は黒鋼やモコナが目を見開くには充分だったのだ。
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