episode 3
再会と邂逅

 ふわふわと漂う。そこは次元と次元の狭間である。マーブル柄に囲まれたそこは不思議な感覚で纏われている。水の中に居る様なそれである。目を開けていれば、先程の惨劇が脳裏に永遠にリピートされる。お前のせいだと、お前が来なければと、ありもしない誹謗中傷の言葉達が脳裏を掠るのだ。それらから逃れたくて、思わず目を瞑れば真っ暗な、静かな空間を楽しむ事が出来る。それをしばらく行った後、空間が歪む様な、変な感覚が身体に纏う。痛む身体に鞭打って、ボロボロの顔を上に向ければそこには初めて見る筈が懐かしい、とある顔が見えていた。


「あな、たが、『次元の魔女』…」
「……ええ、そうよ。願いは?」

 現れたのは、全身が傷で塗れている、立ってるだけで体力を消耗する筈なのに、何とか意識を保とうとしている小さな一人の女の子だった。そんな少女が初めて発したか細く、弱々しい声はソプラノの高い声色でとても心地が良かった気がする。複数の視線がビシビシ、と痛い。それらに眉を顰めながら、彼女は再び小さな唇を動かした。


「ここに行け、と。そう言われて…」
「何か望みは無いのかしら」
「――敢えて言うなら、『あの人』の力を無駄にしたくない、から、前に…進みたい」
「……そう。その願い、あなた達が持つもっとも価値あるものでも払いきれるものではないわ。けれど、四人一緒に払うならギリギリって所かしら」
「なにいってんだ、てめー?」
「ちょい静かに頼むよぉ、そこの黒いの」
「黒いのじゃねぇー!」
「あなた達四人の願いは同じなのよ」

 さっきの弱そうな悲しい笑みを浮かべた少女の面影は何処にもなく、意志の篭った強い瞳に黒髪の女性の、侑子を映す。そして、悲しい表情を浮かべる侑子も強く言い放った。しかしその言葉は小狼の行く手を阻むもので、彼は悔しそうに、眠っているサクラを眉を顰めて見つめている。しかし、その後の言葉に小狼はサクラを強く抱き締めたままはっとした表情を浮かべ、レイノは視線を濡れている地面に落とし、俯いた。一方で、ファイは両頬に手を添えて黒鋼の苛立ちを沈めようとしている。だが、黒鋼は叫び、逆に怒りを誘ってしまった様である。しかし、そんな事を何食わぬ顔で素通りしたファイは向こう側を向き、耳を塞いでしまった。


「その子の飛び散った記憶を集めるために色んな世界に行きたい。この異世界から元の世界に行きたい。元の世界へ戻りたくないから他の世界に行きたい。己の願いのために色んな世界に行きたい」

 玖楼国の平凡な一人の熱き少年――小狼、日本国の最強の黒き忍者――黒鋼、セレス国の白き魔術師――ファイ・D・フローライト、魔術の国の血だらけのハンター――レイノ・アン・クォーツ。その四人が今、ここに揃ったのだ。この時には夢にも思わなかったのだ。自身の気持ちが変わる事など、新しい感情を覚える事を。「好き」だと言う、下らないそれを覚える事を。


「目的は違うけど手段は一緒。ようは、違う次元、異世界に行きたいの。ひとりずつではその願い、かなえることはできないけれど、四人一緒に行くのなら、ひとつの願いに四人分の対価ってことでOKしてもいいわ」
「俺の対価ってなんだよ」
「その刀」
「なっ!銀竜はぜってー渡さねぇぞっ!!」

 侑子が指差したのは黒鋼がこの「日本」に来た時から肩に担いでいた綺麗な刀である。彼はよほど思い入れがあるのか、焦った様子で刀を体の後ろへやった。しかし、彼女の視線はそれから外れる事は無かった。嫌そうに顔を歪める彼の反応を見れば、彼女が指定した対価の価値は充分だと言えるだろう。


「いいわよ。そのかわり、そのコスプレな格好でこの世界を歩きまわって、銃刀法違反で警察に捕まったり、テレビに取材されたりするがいいわ」
「あ?けいさ?てれ?」
「今、あなた達がいるこの世界には、あたし以外に異世界へ人を渡せるものはいないから」
「んなデタラメっ!」
「本当だぞー」
「マジかよ!?」

 マシンガントークを繰り広げながら詰め寄る侑子だが、黒鋼には聞き慣れない言葉ばかりで頭に疑問符を浮かべていた。再び声を発したファイの言葉に、黒鋼は分かりやすく耳を傾ける。黒鋼の暗い雰囲気とは打って変わってほんわかした雰囲気を出しながら柔らかく笑うファイが、そこには居たのだ。肯定の意味を示している事を理解した黒鋼に、早く出して、と言う様に手を伸ばし、彼女は意味深な笑みを浮かべた。その表情に痺れを切らした黒鋼は必ず取り返す事を豪語して彼女に刀を差しだしたのだ。


「あなたの対価は、そのイレズミ」

 次に頂くのは、ファイの対価だ。侑子がきっぱりと言い放ったその言葉に彼の顔からは笑みが消えた。しかし、再び笑みを貼り付ける様子から、本音は奥深くに溜めている人種なのだろう。その様子を、浅い呼吸を繰り返しながら少女は横目で見つめていた。そんな中で脳裏に浮かぶものは何なのか。それを知るのは本人のみである。


「この杖じゃダメですかねぇ」
「だめよ。言ったでしょ。対価はもっとも価値あるものをって」
「仕方ないですねぇ」

 己の身長よりも高い魔術具を差し出そうとするが却下され、表情を暗くしてフードを外す。だが、すぐに笑みを貼り付ける。しかし、それは笑みというより苦笑と言うべきだろう。観念したファイが背中を微かに丸めると、深い青色の複雑なイレズミが現れ、それは侑子の手に渡ったのだ。


「貴女は…そうね、そのチョーカー」

 それは、レイノに残された唯一の親の形見だったのだ。簡単に手放せる訳がない筈なのだが、彼女はあっさりと了承した。涙で既に潤っている薄い桃色の瞳は虚ろなものとなり、ローズクォーツのチョーカーは仄かに光を放ち始めた。頭の中がふわふわする。嗚呼、そう言えばこの封印を解いたのは久し振りかも知れない。そんな事を思う程には、彼女の意識は今に夢中なのだ。


「大丈夫ー?」

 独特な浮遊感を感じているレイノはそのまま地面へと落ちるかと思われたが、ファイの手によってそれは制される事となった。しかし、彼女はそのまま胸に寄り添う事はせず、苦々しく微笑み、差し伸べられた彼の腕を掴んでは優しく地面へと落とした。「拒絶」と言う反応を示したのだ。


「あなたはどう?自分の一番大切なものをあたしに差し出して、異世界に行く方法を手に入れる?」
「はい」
「あなたの対価が何か、まだ言ってないのに?」
「はい」
「あたしができるのは、異世界へ行く手助けだけ。その子の記憶のカケラを探すのは、あなたが自分の力でやらなきゃならないのよ」

 小狼はサクラの頬に雨で張り付いた明るい茶色の髪を優しく払い、愛おしそうに見つめた。ここから旅立てば、侑子から手は出せなくなる。それは即ち、干渉は許されないと言う意味を孕んでいた。それでも尚、小狼はサクラを救いたいのだ。そんな彼の姿に、侑子は僅かな期待を込めた。


「……はい」
「…いい覚悟だわ」
「って、ふえてるしー!」
「来たわね」

 胸に白と黒のぬいぐるみらしきものを抱え、何やら叫びながら屋敷の中から飛び出して来たのは四月一日である。侑子は一言、静かに呟くと、その中の一つの白いそれを手に取り、レイノらの前に出す。動く事は無いそれは、生きているのか無機物なのか、皆目見当も付かない。


「この子の名前はモコナ=モドキ。モコナがあなた達を異世界へ連れて行くわ」
「おい、もう一匹いるじゃねぇか。そっち寄こせよ。俺ぁ、そっちで行く」
「そっちは通信専用。できることは、こっちのモコナと通信できるだけ」

 持って来たぬいぐるみは普通のそれではないらしく、短い手を可愛らしく挙げていた。侑子の言葉で移動出来ないと分かった黒鋼は、歯痒い気持ちから小さな舌打ちを一つお見舞いしている。だが、侑子はそんなこと気にも留めず、自慢を付け足し、白と黒のそれを交互に指差した。


「モコナはあなた達を異世界に連れて行くけれど、そこがどんな世界なのかまではコントロールできないわ。だから、いつ、あなた達の願いがかなうのかは運次第。けれど、世の中に偶然はない。あるのは必然だけ。あなた達が出会ったのも、また、必然」

 レイノらの前に差し出されたモコナは不思議な雰囲気を纏っていて、それには多大な魔力が込められていると、魔力を持つ者ならすぐに分かる事だろう。それを纏う柔らかな風に当たれば、どれだけ気持ちの良い事か。しかし、それが出来ない程にレイノの身体はボロボロである。痛い。そんなレイノの状況など露知らず、侑子は小狼の名を呼んだ。


「あなたの対価は…関係性」

 それは、何よりも残酷な言葉だった。


「あなたにとって一番大切なものは、その子との関係。だから、それをもらうわ」
「それってどういう…?」
「もし、その子の記憶がすべて戻っても、あなたとその子はもう同じ関係には戻れない」

 侑子の言葉が理解出来ない小狼は、困惑の表情を浮かべながら恐る恐る問い掛ける。聞かなければ良かったと、何度思っただろうか。それは、サクラが死ぬ事よりももっとずっと残酷な事なのかも知れない。けれど、死なせたくなかった。失いたくなかった。この手からもう、逃したくはなかったのだ。


「その子はあなたにとって、なに?」
「幼なじみで…今、いる国のお姫様で…俺の…俺の大切な人です」

 侑子にサクラの存在意義を問い掛けられ、小狼は未だ眠っているサクラを見下ろす様に見つめては必死に考え込んだ。そんな彼は先程よりもサクラを抱き締める腕の強さを強める。サクラのせいで散々な目に遭ったが、最後にはサクラの温かい笑顔に励まされたのだ。しかし、これからはそんな事もなくなるのだ。寂しい、悲しい、悔しい。そんな負の感情に苛まれるが、ドクン、と心臓が波打つ。嗚呼、違うじゃないか。傍にいてくれれば良い。そう思うと、自然と恐怖がなくなるのはきっとサクラのお陰である。


「……行きます。さくらは絶対、死なせない!」

 小狼は、そう断言した。願いを言い放ったレイノと同じ様な意志の篭った力強い瞳に侑子を映して。嗚呼、変わらない。きっとわたしの知っている彼ではないのだろうけれど、きっと、目の前の彼も変わらないのだ。何処か悲しいのは、きっと気のせいだ。すうっと脳みそが回らなくなって行く。それに気付いた時には既に、レイノの意識はここにはなかった。

 嗚呼、やっぱり、変わらなかった。


  異界を旅すると言う事は想像以上に辛い事だと、侑子は言う。様々な世界があるのだ。レイノとファイ、そして、黒鋼が居た世界が良い例である。黒鋼は真っ黒な兜やマントなどを羽織っており、ファイはもこもこの温かそうな上着を着込んでいて、どちらも重そう、と言う印象を受ける。また、彼女はしっかりとした生地の両足を隠すワンピースと言った、どちらかと言うと動く事には向きそうにもない、と言う印象を受けていた。次元によって同じ魂でも周りの環境が違えれば、それだけ人格も変わるのだ。それは当たり前で悪にも善にも変化する。そんな中で何処にあるか分からないサクラの羽根を探す事は想像以上に辛くて、困難を共にするのだ。


「でも、決心は揺るがない……のね」
「…はい」
「覚悟と誠意。何かをやり遂げるために必要なものが、あなたにはちゃんと備わっているようね」

 侑子はまるで最初から小狼の答えが分かっていた様な意味深な笑みを浮かべ、論す様に「では」と静かに呟いた。彼女の手の平に乗ってあるモコナを空へ掲げると、それを中心に優しい風が吹き始める。そんなそれは宙に浮き、足元には侑子の魔法陣が現れていた。ゆっくりと開かれる羽は、これからの旅路を暗示している様にも見えた。


「行きなさい」

 その言葉が合図だった様に、体には合わない程の大きな羽が姿を現す。モコナは小さな口を驚くほど大きく開けて、五人を吸い込もうとしていた。突然放たれた眩しい光に三人の目は眩む。力がなく、押さえるものがなくなったレイノは重力に従い、どんどん宙に浮き、モコナに近付いて行く。それにいち早く気付いたファイはレイノの血に塗れたか細い腕を引っ張り、己の胸の中に沈み込んだ。黒鋼は顔を歪め、小狼は眠っているサクラを咄嗟に抱き締め、ファイもレイノを抱き締める腕の力を強め、微かに顔を歪めたのだ。
 五人を飲み込んだモコナは、侑子の魔法陣と共に消え失せた。さっきまであれだけ激しく振っていた雨は止み、温かい日の光が庭を照らす。緑の葉に溜まっていた雨水が地面に落ち、軽快な音が静かな庭に響き渡る。そして、完全に出て来た明るい太陽を嬉しそうに見つめ、そっと見上げたのだ。


「彼らの旅路に幸多からんことを」

 侑子のその願いが一行に届く事は、無いのだけれど。

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