episode 4
虎の国

『……いだ』
「何……?誰の声……?」
『お前のせいだ』
「フェンリー!」

 頭の中に直接響いて来るテノールの声が、そこにはあった。それは馴染みのある声で、懐かしい。けれど、優しくは無い、棘のある鋭い声である。それが辛くて、切なくて。自分のせい、その筈なのに。涙腺が緩んで来るのはきっと、自分が弱いせいだ。そう思ってしまう程には、自身の精神はきっとボロボロだった。


『お前のせいで国は滅んだんだ!』
「分かってる……分かってるから!お願いだから…言わないで!」
『お前が、お前さえいなければ!』
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!わたしは貴方を、あなた達をもう一度!だから、だから!」

 こんな事を言う人じゃなかった筈なのに。その信頼さえなくしてしまう様な刺々しい言葉らはグサグサと、自身の心を蝕んで行った。そんな嫌な闇の悪夢から目が覚め、一番最初に映ったのは、整った顔立ち、雪の様な白い肌、何もかも見透かす様な蒼い瞳、柔らかい金色の細い髪を持つ魔術師、ファイだった。


「大丈夫ー?」
「え…?」
「泣いてるけど」

 優しく抱き締める様に頬を緩ませたファイは、夢の中の人物とは似ても似つかない。少しでも似ている、と思っていた自分が恥ずかしい。そんなレイノの気持ちに気にも留めず、彼は彼女の瞳を指差した。その先にある彼女の薄い桃色の瞳からは、透明な涙がポロポロと零れていたのだ。


「えっ…あ、あの…」
(初っ端から泣き顔見られるなんてさいっあく……!)
「だ、大丈夫…です」

 まさかずっと見られていたのか。それよりも何で起こしてくれなかったのか。そんな羞恥心がレイノの心を巡って行く。しかしそのお陰か、何時の間にか涙は引っ込んでしまったのだ。殆ど初対面に近いファイに泣き止まされた事は悔しさで溢れているが、そこにはありがたい気持ちもあった。


「そう言えば、名前…」
「あ、教えてなかったねー。オレはファイ・D・フローライト。ファイでいいよー」
「で、その黒…いのは?」
「黒いのじゃねぇ!黒鋼だっ!」
「…どうせ名前にも『黒』入ってるんじゃないですか」
「ああ?」
「おれは小狼です。で、えっと…眠っているのがさくら、です」
「わたしはレイノ・アン・クォーツです。レイノで良いですよ」

 レイノは話題を変える様に、小さめの声を発して、黒鋼を指差した。ぼそっと言った筈なのに黒鋼に啖呵を切られた事に顔を歪めた彼女は、案外取っ付きやすい人物なのかも知れない。一通り全員の名前を聞いた後、彼女は隣に居た小狼に緩く抱き締められているサクラの体に触れた。生気を感じられないくらい冷たい身体は、触れた途端自身の身体にもそれが染み渡って来る程である。


「この子…大丈夫なんですか?死にかけってくらい身体冷たいんですけど」
「うわっ!!」
「なに、してんだ。てめぇ」
「これ、記憶のカケラだねぇ。その子の」
「え!?」
「君にひっかかってたんだよ。ひとつだけ」

 会って間もないレイノまでにも言われた死の宣告は、小狼に焦りを抱かせる原因となっていた。焦りながらも羽根の事を考え込んでいると、ファイが小狼のマントの中に手を突っ込んで弄り始める。黒鋼が引く様な目でファイの手を見つめるのは仕方のない事なのかも知れない。そうして現れたのはハートの紋章を彩った不思議なオーラを纏った羽根だった。これが「記憶の羽根」と呼ばれるものなのだろう。それはファイの手から放れ、スウ、とサクラの体内に自然と取り込まれて行く。


「体が…暖かくなった」
「今の羽根がなかったら、ちょっと危なかったねー」
「おれの服に偶然、ひっかかったから…」
「「この世に偶然なんてない」」

 サクラに生気と温もりが戻って来た事に小狼は安心し、安堵の息をゆっくりと吐き出す。取り敢えずはひと段落付き、静かになった和室にレイノとファイ、二人の高低の声色が響き渡る。本人らも合わさるとは思っていなかったらしく、不思議そうにぱちくり、と瞳を瞬かせていた。


「って、えっと…『次元の魔女』が言ってたでしょう。だから、この羽根も、小狼君が無意識に捕まえたんですよ。サクラちゃんを助ける為に、ね?ファイさん」
「なんてねー。良くわかんないんだけどねー」
「まあ、難しいですしね」
「けど、これからはどうやって探そうかねー。羽根」

 ペラペラと言葉を紡ぎ続けているが、殆どが本人にも良く分かっていない。所謂、ただのハッタリである。その事に気付いているだろうファイはレイノと同じ様に体を曲げて、へにゃと柔らかく笑い、誤魔化した。そんな二人に小狼は戸惑い、黒鋼も無言で冷や汗を掻いており、困った様子である。そんな微妙な雰囲気の中発言したのはモコナだった。


『モコナ、分かる!』
「え?」
『今の羽根、すごく強い波動を出してる。だから、近くなったら分かる。波動をキャッチしたら、モコナ、こんな感じに、なる』

 ソプラノの高い元気な声を発しながら、短い手を上に挙げる。そんなモコナは、今まで糸みたいに細かった目を大きく見開いて、短い手でより目を強調させた。小狼とレイノは無言で冷や汗を掻き、黒鋼に至っては大きく奇声を上げている。その中でたった一人全く反応を見せなかったファイはにこにこと笑いながら、呑気に座っていた。


「だったらいけるかもしれないねー。近くになればモコナが感知してくれるなら」
「わたしも分かります」
「本当ですか!?」
「はい」
「教えてもらえますか。あの羽根が近くにあった時」
『まかしとけ!』
「はい。もちろんですよ」
「…ありがとう、ございます」

 向こうで驚いて壁に手を付けて鼓動を落ち着かせている黒鋼は置いといて、三人と一匹は話を進める。喜んで羽根探しを受け入れた二人を素直に喜ぶ小狼は、異世界に飛ばされてから初めて笑ったんじゃないだろうか、と思う程である。そんな和やかな、ほんわかとした空気を見事にぶち壊す低い声色が、室内には響き渡った。


「おまえらが羽根を探そうが、探すまいが勝手だがな。俺にゃあ、関係ねぇぞ。俺は自分がいた世界に帰る。それだけが目的だ。おまえ達の事情に首をつっこむつもりも手伝うつもりも、全くねぇ」
「はい。これはおれの問題だから、迷惑かけないように気をつけます」
「あははははー。真面目なんだねえ、小狼くんー」

 厳しい黒鋼の言葉に小狼は、真剣な表情を浮かべて真っ直ぐな琥珀の瞳で黒鋼を見やり、きっぱりと断った。案の定、黒鋼は紅い瞳を大きく見開いて、予想外の返答に驚いている。間延びした口調で笑いかけるファイだが、当の本人は意味が分かっていないらしく、頭に疑問符を浮かべている。その横では黒鋼が小さく舌打ちをしていて、レイノは思わず笑みを溢したのだ。


「そっちはどうなんだ」
「んん?」
「は?」
「そのガキ、手伝ってやるってか?」
「んー。そうだねぇ。とりあえずオレは、元いた世界に戻らないことが一番大事なことだからなぁ。ま、命に関わらない程度のことならやるよー。他にやることもないし」
「わたしは…約束しちゃいましたし。した事はちゃんと守らなきゃですよね」

 黒鋼の問い掛けに薄っぺらい貼り付けた笑みを浮かべるファイを、レイノと黒鋼は互いに気付かれない様に鋭い視線で見つめたのだ。しかし彼女のそれは一瞬の事で、気まずいそれを向ける事になる。どうやらこの中での秘密主義者とはファイの事らしい。そんなファイの事が苦手である筈なのに何故か気になってしまうわたしは、何処かおかしくなってしまったのだろうか。しばらく静寂が訪れた。しかしそれは一瞬の事で、その空間には似合わない、賑やかな声が響き渡った。


「よう!目ぇ、覚めたか!――んな警戒せんでええって。侑子さんとこから来たんやろ」
「ゆうこさん?」
「あの魔女の姉ちゃんのことや。次元の魔女とか極東の魔女とか色々呼ばれとるな」

 陽気な声と共に開かれた扉の音に機敏に反応し、小狼はさっきよりも腕に力を入れ、サクラを大事そうに抱き締める。現れたのは男女の二人であった。男の人は凄く元気があって笑顔を浮かべており、女の人は長いストレートの黒髪で無表情だったが、とても綺麗な人である。そんな女性はレイノの姿を視界に入れては僅かに眉間に皺を寄せる。しかしその変化に気付いた者は居なかったのだ。

「これを」
「あ!ありがとうございます」
「わいは有洙川 空汰」
「嵐です」
「ちなみに、わいの愛する奥さん。ハニーやから。そこんとこ、心に刻みまくっといてくれ」

 黒髪の女性の嵐は押入れの中から布団を一枚取り出し、微笑みを浮かべながらそれを小狼に差し出した。意味不明な事を言い出す空汰を見事に無視し、彼女はお茶を乗せてあるお盆を取り上げ、全員に配って行ったのである。相変わらず仲の良い夫婦だ。空汰の嵐に対するベタ惚れ加減には笑みが漏れ出す。


「小狼です」
「どうぞ」
「つーわけで、ハニーに手ぇ出したらぶっ殺すでっ」
「なんで俺だけにいうんだよ!!」
「ノリや、ノリ。でも、本気やぞ!」
「出さねぇっつの!!」

 小狼と嵐が礼儀正しく挨拶を交わす一方で、空汰は後ろに振り向き、黒鋼の肩に軽くからかう様に笑いながら、手を置いた。そして、何らかのサインを出しながら再び黒鋼の方に振り返ったのだ。もちろん良い笑顔は忘れていない。どうやら黒鋼の立ち位置は「苦労人」と言う事に決まってしまったらしい。


「さて、とりあえずあの魔女の姉ちゃんにこれ、あずかって来たんやな」
『モコナ=モドキ!』
「長いな。モコナでええか」
『おう!ええ!』
「事情はそこの兄ちゃんらに聞いた」

 黒鋼へのからかいも終わった所で、空汰は手の平にモコナを軽く乗せた。そんなモコナは日本国に居る黒モコナの様に短い手を素早く挙げて、己の名を名乗ったのだ。この世界ではモコナみたいな存在は普通なのか。そう言うと、ファイは柔らかく笑い、黒鋼は苛立ちを見せて怒り、レイノはそんな黒鋼を横目で見やり、苦笑を浮かべている。空汰がこの現状に納得している理由はどうやらファイにあるらしい。黒鋼が話す訳もないし、レイノとサクラ、そして、小狼は寝たきりだったのだから唯一の存在と言うべきなのである。


「とりあえず兄ちゃんら、プチラッキーやったな」
「えーっと、どのへんがー?」
「モコナは次に行く世界を選ばれへんねやろ?それが、一番最初の世界がココやなんて、幸せ以外の何もんでもないでー」

 そう喋りながら空汰はモコナを肩に乗せて、小狼の背後に設置されている窓に向かい、ガラッと勢い良く開けた。意気揚々と言葉を続ける空汰は本当に楽しそうで、この国が本当に好きな様である。そんな空汰をぼうっと見つめるレイノは、何を考えているのかいまいち良く分からない様子だ。――でも、嫌な感じじゃない。そんな感覚を向けた空汰は「ここは」と言葉を続けた。


「阪神共和国やからな」

 ここは人情溢れる、虎の国なのだ。

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