episode 87
プレゼント
翌日、陽が高くなり始めた頃だろうか、長い眠りから目が覚めたサクラは視界に入った光景に思わず悲鳴を漏らした。何処か澱んだ空気の中に10人以上もの人間が青い顔をして寝そべっている。床に酒瓶やグラスが転がっている事から皆酔い潰れただけだと分かるが、昨晩の宴会の事実を知らないサクラはただただ驚くだけである。
「小狼君!何があったの!?」
「ひ…姫…」
「怪我したの!?誰がこんな酷いこと!?」
「いやー、自業自得っていうかー」
『酒池肉林?』
「いやそれ意味違うと思う……」
思わずソファの近くで倒れている小狼を抱き上げるが、口から魂が漏れ出している気がするのは気のせいだろうか。それを止めようとゆらり、と起き上がったファイは酷く眠そうだが二日酔いと言う訳ではなさそうだ。隣にはモコナの発言に突っ込むレイノも居る。暫くはこの空気の中で過ごさなければいけない様だ。
「何しに行くのー?」
「酒屋さんに行こうと思って」
「黒るんのお酒ー?」
「いえ、侑子のお酒です」
昨晩作り置きをしたレモンサイダーを飲んで頭を覚醒させたレイノとファイは街中をゆっくりと歩いていた。世間の人間達は昨日のお祭りモードから冷めて、日常に戻り切っている。そんな中を眠気半分で歩くのは、少しの優越感だ。途中で見掛けた雑貨屋に視線を向けるとディスプレイには綺麗なブレスレットが飾られていた。自分の趣味にぴったり合っていたが、余り時間がない事もあり、泣く泣く通り過ぎる事となったのだ。
レイノが足を止めたのは街の老舗の酒屋である。そのお店は様々な酒が取り揃えられていて、瓶のデザインにも手を掛けている様だ。
「すいませーん。昨晩予約したレイノですけど…」
「…嗚呼、いらっしゃい。例のお酒、取り寄せておいたよ」
「良かった……なかったらお返し4倍くらいになりそうで」
「あの侑子さんへのプレゼントと聞いてね。爺が久し振りに頑張りましたよ」
少し暗い店内に向かって声を掛けたレイノはカウンターに体重を乗せ、店主である男性に笑い掛けた。知り合いなのだろうか、と気を利かせたファイは店内に飾られている酒瓶を楽しそうに眺めている。あの人もなかなかの酒豪だよね。黒鋼さんにつき合えるんだからすごいと思う。
「…あれ。わたし、二本も頼んでないんです、けど…」
「サービスじゃよ。あの人と呑みなさい。大切な人なんじゃろう」
「え…」
「酒を呑むとね、馬鹿になれる。そんな馬鹿に付き合ってくれる人と、一緒になりなさい」
渡された袋には、二本の酒瓶が入っていた。年季の入った、高い代物だ。少し申し訳なくて返そうとそれを取り出そうとするが、意外に強い店主の握力で押し返される。そして、相手にバレない様にファイを指差した。思わず振り向きそうになるが、店主の目力に圧倒されそうに、なる。そんな店主が紡いだ言葉は、わたしの身体に染み渡って行った。幸せになるべきなんて、言われた事がなかった。何で今なんですか、何で今、そんな事を言うんですか。そんなこと言われたら、ファイさんを感じてしまったら、駄目なのに。駄目なはずなのに。
「君は、幸せになるべき、だと思うよ」
幸せになりたいと、そう思ってしまうじゃないですか。
「…あ、レイノちゃん。ちょっと待っててくれるー?」
「え…あ、ちょ、ファイさん?」
「すぐ戻るからー!」
侑子宛の酒も買えた事だしトレーラーに戻ろうと歩を進めたレイノとファイだったが、突然彼がある店に足を入れたのだ。そこは酒屋に行く途中にレイノの目に留まった店だった。まさか、とは思うが自惚れてはいけない。それに何より、久し振りに見た満面の笑みを浮かべるファイに思わず目を奪われてしまってそれどころではないのだ。嗚呼もう本当、昨晩から振り回されっぱなしだなあ。
「な、何なの……」
「ごめんね、お待たせー」
「あ、あの、何しに…」
「はい」
「……へ」
「プレゼント」
「こ、れ…」
「黒んぷ達には、内緒ね?」
数十分が経った頃だろうか、軽快な足音が近付いて来る。思わず顔を上げれば何時ものへらっとした笑みを浮かべたファイが駆け足でこちらに来ているのだ。おそるおそる用件を聞こうと口を開いたが、それと同時に右腕に僅かな圧迫感を感じる事となった。そこには、酒屋に行く前の道で気になっていたバングルタイプのブレスレットである。桃色基調で仕上げられているそれはとても可愛らしく、男っぽさが前面に出ているバングルを丁度中和する様なデザインとなっていた。驚きの余り思わず顔を上げれば、そこには初めて見る笑顔の彼が歯を見せて笑いながら唇の前に人差し指を翳してみせていた。何その顔、狡いよ。
幸せだなんて、思っちゃうじゃないですか。
「モコちゃん!魔女さんとお話、出来る!?」
やっと意識がはっきりとして来たお昼頃、太陽は直上にまで昇って来ていた。そんな時間帯、トレーラーの二階から嬉しそうな叫び声が響き渡る。駆け足で現れたのは、黒い生地を抱えたサクラとそれを嬉しそうに見つめる知世である。サクラの要望を聞き入れたモコナは、額(と言って良いのかは不明だが)の宝石から光を放ち始めたのだ。
『あら、モコナ』
『おでかけなの?』
『これからちょっとね。どうかした?』
『サクラがね、ご用があるんだって』
「お礼、出来ました!」
「あ、魔女さん、わたしもあるんだけど良いですか?」
『あら』
「知世ちゃんに手伝ってもらって作ったんです!知世ちゃんの会社の人に布を縫う機械を運んでもらって」
「縫布機って言うんですわ」
モコナの宝石から放たれた光は大きな円形を描き、そこには何処かに出掛ける直前であろう侑子がこちらを横目で見つめている姿があった。相変わらず色気のある身体付きをしている。侑子と通信を繋いだ同時間、レイノとファイはちょうどトレーラーに着いていた。そろそろ移動の時間なのだと、無意識に感じ取ってしまうのはもう仕方のない事である。
サクラが先程からずっと抱えていたのはバレンタインデーにてチョコレートをくれた侑子へのお礼だったらしい。それに便乗して難を逃れようとするレイノはなかなか肝が据わっている少女であろう。――知世に手伝って貰って広げられた黒い布はタイトなワンピースである。侑子のイメージにぴったりだ。幾ら知世に手伝って貰ったからってこの数時間で出来る代物ではないだろう。おそらく、かなり努力した事が伺える。モコナがワンピースと酒瓶を吸い込むと、侑子の手にはその二つが渡っていた。安心したのも束の間、お礼とカウントされるのはレイノとサクラだけらしい。まあ、そうだろうね。
『さすが侑子!』
「ぜってー礼なんかしねぇぞ!」
「うーん。オレ、何にしよー」
「ファイさん絶対真剣に考えてないですよね」
しっかりとオチを付けてから通信を切った侑子は抜かりない。それに対しての反応は各者各様である。しかし、真剣に考えているのは小狼のみの様に感じる。実際にレイノの問い掛けに、ファイは笑顔で誤魔化していた。この人絶対人生で失敗しない気がする。話がひと段落着いた所で、モコナは羽根を広げた。次の世界に行く時が来てしまったらしい。トレーラーの件については知世が何とかしてくれるだろう。モコナの足元に魔法陣が浮かび上がると、一行を風が包み込む。
「レイノちゃん、腕大丈夫ー?」
「平気で…――あ、あの」
「んー?」
「……ちょっと動きにくい、ので、触れてて良い、ですか?」
「…ふふ」
「な、何笑ってるんですか!」
「いや、可愛いなあって」
「か、かわ…っ」
久し振りに感じるこの強めの風はこれからの出会いとこれまでの別れを思い出させた。ちらり、と隣を見下ろせばくるくるとした長めの茶髪が風に揺らめいている。伸びて来た前髪がうっとおしそうに顔に刺激を与えている。その光景が少しおかしくて、笑みを堪えながらレイノの様子を覗き見ると、そこには僅かに風に靡く上着を引っ張り、いじらしげにこちらを見上げる彼女が居た。嗚呼もう、可愛いなあ。そんな想いと嬉しさが混じって良く分からない気持ちが胸をいっぱいにさせた。ねえ、君のその顔、ちょっとは期待しても良いのかなあ。そんな気持ちを胸に、一行は新しい出会いに向かって進んで行くのである。
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