episode 91
魔力の宿る本
『お空飛んでるー』
「なかなか出来ない体験だよね」
「これも魔術で飛んでるんだねぇ」
「すごいです」
「座席も色々あるらしいんだけど、お金あんまりないからー」
空に浮かぶのは、魔力で飛んでいるであろうシックな印象を持たせる列車、不思議な模様が描かれている球体、そして、何処かに繋がっているのであろう橋である。そんな不思議な景色を見れる様な場所に、一行は居た。記憶を失っているサクラは、初めて見る光景に気分が高まっている様だ。普通に過ごしていたら、雲の間を通るなど絶対に体験出来る事ではない。
「ごめんねぇ。おとーさん、甲斐性がなくてー。その上、飲んだくれでー」
「もはやニート状態ですもんねえ」
「お酒ばっかり飲んでて全然、働かないけど、お父さんはいいひとよ、レイノちゃん!ファイかーさん!」
「レイノさん!ファイかーさん!おれ、父さんの分まで働くよ!黒鋼とーさんの分まで!!」
列車の中で始まったのは、モコナの悪ふざけであった。今回は長くなりそうである。彼女の意図に気付いたレイノとファイは声を出さずに口の形だけを変え、モコナの声に合わせている。そして、次々と位置を変えて間接的に黒鋼を茶化したのだ。すると、ふと力強い何かに掴まれる。視線を向けると、そこには嫌な雰囲気を纏いながら笑みを浮かべる黒鋼が居た。予想通りである。
「少しずつ遅くなってきてる?」
「駅が近いんでしょうか」
列車が進む度に宙に浮かぶ線路から音が漏れ出す。先程のすぐ終わるものではなくゆっくりと絞り出して行く様なそれは目的地が近付いて来ている事を示していた。小狼の声にちらり、とそちらを見れば、サクラの視界には何時もの真剣な顔付きをした彼とその後ろで騒ぐ黒鋼とモコナの姿が映った。それで思い出したのは、図書館での小狼の涙。この長い旅の中、一度たりとも見た事がなかったそれは彼女の心の中に違和感としてしこりを残し続けている。それが少し、悔しかった。けれど、それを貴方に言う事はきっとないんでしょう。わたしが笑顔でいれば、貴方はずっと喜んでくれるんでしょうから。
「着いたみたいだよー。はい、レイノちゃん」
「…有り難う御座います」
「…大丈夫だよ」
「え…っ」
列車が線路を踏み潰す音がなくなると、それが止まる音が一行の耳にも行き渡った。周りの乗客と同じ様に、一行もゆっくりと席を立つ。そんな時でさえも黒鋼とモコナは先程のおふざけを続けており、相変わらずだと呆れるばかりである。そう苦笑を浮かべるレイノの目の前に手が差し伸べられた。ファイである。少し迷った後に触れたそれは仄かに冷たさが宿っていた。それが余計にファイを意識させている。ゆっくりと紡がれるファイの言葉はレイノの目を覚まさせるには充分で、この人に隠し事は出来ないのだと、改めて感じたのだ。
「ここかよ」
「ビブリオって都市らしいよー、黒ぽん」
「本って意味なんだよー、黒ぷー」
「…大きい」
「あれが、中央図書館」
モコナは黒鋼の頭上を気に入ってしまったらしく、おそらくこの国に居る間の定位置に決まってしまったのだろう。彼の問いに答えたレイノとファイの目線は黒鋼本人ではなく、黒鋼の頭上に居座るモコナに向けられていた。ささやかな嫌がらせである。レコルト国最大級と言われる中央図書館は周りが氷で覆われており、何処か人を避けている様な印象を覚えさせる。列車に居た時に視界の端に映った橋はここに繋がっていた様だ。
『感じる。微かだけど、サクラの羽根の感じ』
「可能性、ありますよ。小狼君」
氷の部分は意外にも頑丈に出来ているらしく、五人の人間が体重を掛けても壊れる事はおろか、ひびが入る事もなかった。何の障害もなく渡れた一行は中央図書館の入口を見上げた。そこから感じるのは微かな気配。ここまではっきりと感じ取れたのは何時振りだろうか。そんな素朴な疑問を抱きながら足を一歩踏み出すと、突風の様な風が一行を包み込んだ。そこから現れたのは先程、喫茶店で話に出た番犬である。
「さー、中入ろっかー」
『そう。本借りなきゃねー』
「あれが番犬とやらか」
「あの威圧感だけで帰っちゃう人絶対いるよね」
「やー、何か怖かったねぇ」
「なんだか怒ってたような…」
番犬に対して鋭い視線を向けていた小狼とは対称に、ファイとモコナは何時もの笑顔を絶やしはしなかった。それだけでは飽き足らず、彼女はセンス皆無の即興ソングを歌い始めたのだ。それに呆れながらも背後に居る番犬にちらり、と視線をやると、黒目がないので分からないが睨まれている様な気がした。それはサクラも感じ取っていたらしく、思わず冷や汗が溢れる。
『分かっちゃったんじゃないかな』
「黒鋼が悪い人だって?」
「はい図書館では静かにねー」
サクラの呟きに反応したのはモコナだった。余り見る事がない様な真剣な表情を浮かべており、その雰囲気はサクラと小狼にも感染している。しかし、事の行き先が何となく分かっているレイノは苦笑を浮かべるしかない。そんな緩んだ空気の中なのだから、失言をしてしまうのは仕方のない事だろう。だが、そんな言い訳は黒鋼には通用しないらしい。黒鋼の怒気を感じたレイノはモコナを抱えてかなりの段数がある階段を駆け上がって行く。そんな何処かシュールなこの場所には、黒鋼の声が轟いていた。
「見せてもらうことも出来ないなんて」
「困ったねぇ」
『どうするの?小狼?』
「それでも取り戻します」
「どうやって?」
「…っ、まさか…」
一行は鳥の囀りのみが響き渡る中、とある広場にて腰を落ち着かせていた。結果は惨敗。「記憶の本」の原本は本国の国宝書に指定されており、持ち出す事も閲覧する事も出来ないのだ。それの理由として、過去の事例が挙げられる。その度に入り口の番犬も含まれる守衛機能が全て捕まえたらしいが、レコルト記・三千四年より、閲覧は禁止されているとの事なのである。挙げ句の果てには複本の閲覧を勧められたのだ。
しかし、一行が欲しているのは本ではない。本に保存されているであろう、サクラの羽根だ。しかし、見る事すら出来ないとなると、事を進めるのは厳しいだろう。だが、小狼はそれでもサクラの羽根を諦めてはいなかった。その証拠に小狼の瞳にはまだ希望がある。それによりある一つの答えが出て来たレイノは思わず身を乗り出した。嗚呼、そうだ。この子は全ての手段をやり尽くす、一番厄介な男だったのだ。
「盗みます」
嗚呼やはり、侮れない。
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