英雄嫌いの前日譚
今日は進路調査の個人面談のため、普通科は午前授業で終わりだ。しかし、さつきは食堂に足を踏み入れる。一人暮らしである彼女は食費を浮かせる為に、なるべく学校の施設を利用していた。普通科以外は夜までのカリキュラムが組まれており、食堂には何時もの賑やかさがある。鋭い視線や悪態などは気にしていられない、生きる為だ。テラス側に空席を発見し、彼女はそこに腰を落ち着けた。本日のメニューはハヤシライスである。それを口内に運ぼうとすると、おろおろ、と行列の中へと入って行けない後ろ姿が視界の端に見え隠れした。
――あの特徴的に垂れた紺色の髪は、今年から「BIG3」としてまとめられた人。名前は確か、天喰環。同い年みたいだけど顔を合わせた事は無い、と思う。わたしがヒーロー科の人間をとことん避けてるからだけど。なにを欲しがっているのかは皆目見当も付かないが、列に並んだかと思えば人に挟まれ、居た堪れなくなりまた看板を見るふりをしている。それを何度も繰り返しているうちに諦めたのか、落ち込んだ様に空席を探していた。どうにも見て見ぬふりは出来ず、さつきは「ねえ」と声を掛けてしまったのである。
「――これ、食べる?」
「…………へ、えっ?」
「ご飯、買えなかったのかと思って。そこでずっとおろおろしてたでしょ」
「み、見て…………、死ぬしかない……」
「別に死ななくて良い。座れば?」
コツコツ、とスプーンの先端を盆に当てる。その音で漸くさつきの存在に気付いた環は、ぱちくり、と吊り目を瞬かせた。しかし先程の姿を暴露されては、項垂れながら顔を覆い隠したのである。対人恐怖症なのか何なのか、彼は頑なにこちらと目を合わせようとしない。そんな姿に思わず溜め息を吐き出し、お冷に手を伸ばす。その時、彼女は一つの仮説を脳内にて立てたのだ。それは己を追い詰め、なおかつ自虐的に貶すものである。
「……別に、食べても犯罪者にはならないよ」
「っ、そ、んな、なんで、そんなこと…」
「良いから、食べなよ。午後から訓練ないの?」
「ある……」
最後の押し、と言いたげに「ほら」と言えば、環は漸く恐る恐るスプーンを握る。ちらりと視線を僅か上へ寄越すと、そこには惣菜パンを頬張るさつきの姿があった。――事情は知らない。けれど、俺たちと何ら変わりないただの女の子。ただ、ヒーローが嫌いだと言うこと、そのくせ雄英高校に入って来たことで有名だった。そんな彼女はいつも淡々としていて、それでもって、いつも寂しそうな
瞳をしていた。
俺が初めて彼女――深海さつきさん――の事を知ったのは、「人殺し」の噂が出始めた頃だった。その騒ぎを収めたのがプロヒーローではなく当人だった事もあって、彼女に恐怖心を持つ人間も少なくなかった。人間、得体の知れないものには恐れを抱く。俺も、そのうちの一人だった。だって、怖いだろう。報道規制のかかった事件に関わった子で、噂を肯定するも否定するでもなく、ただ独りで生きているなんて。でも、そんな彼女を蔑む事は出来なかった。どれだけ同情しても、彼女を貶すなんて事は決して出来やしなかった。
一年の時の体育祭には参加していなかった。けれど、二年の時にはその姿を見かけたから、おそらく担任にでも言われたんだろう。死んだような目で、宣誓する生徒を眺めていた。よほどやる気がなかったのか早々にリタイアをしていて、正直もったいない、とさえ思った。きっと、本気で戦えば良いところまで行けるのに。でも、誰も言わなかったし言えなかった。恨むような目で、会場を見下ろしていたから。
とある放課後、少し自主練をしてから帰ろう、と思い、トレーニングルームに寄った日があった。授業中に使用する事はあれど、放課後に使用中サインが点滅する事は滅多になかったため、良く覚えている。そこの扉が少しだけ開いていて、防音壁の意味は成されていなかった。その隙間からは、ときどき耳を塞ぎたくなるような鈍い音が響いて来る。――どうやら、俺の中にも好奇心とやらはあったらしい。恐る恐る覗いてみると、そこにはイレイザーヘッドに修業をつけてもらっている深海さんの姿があった。
『どんな時でも周りの状況は把握してろ。それだけで余裕が生まれる』
『はい』
『あと、――その恨みは表に出すな』
『……そこはまだ許して下さいよ。そう簡単に消えないので』
『…………甘いな、ヒーロー嫌い』
身体を支えてもらいながら、必死に型を染みこませて行く。個性を伸ばすのではなく地力を伸ばすその姿に、どうやら俺は見惚れていたようだった。――からかうようなイレイザーヘッドに足を振り翳す。それは簡単に封じられていたけれど、薄く張られた氷は確かにイレイザーヘッドへと冷たさと痛みの刺激を与えていた。プロヒーローを目指す俺たちは、どうしても個性を優先してしまう。けれど深海さんはそれとは別に何か、理由を持ってイレイザーヘッドに喰らいついている気がした。
一年の夏も終わり、季節は秋だ。合宿でくたくたになっていた身体に鞭打って見慣れた学校に着いた。ミリオは相変わらず元気で、高校で知り合った波動さんもいつもと変わらず一人で喋り倒している。どうしてあんなにも話題が尽きないのかは理解に苦しむが、それだけ好奇心旺盛なのだろう。横目でその様子を眺めつつも、意識は別のところへ向かっていた。――のにも関わらず、波動さんは俺の顔を覗きこむ。驚きから思わず飛び退いてしまったけれど、そんな俺を笑わない程度には仲を深められたようだった。
『天喰くんぼうっとしてる!どうしたの?熱?風邪?帰る?』
『か、帰らない……』
『じゃあなになに?なに考えてたの?』
『……深海さんって、知ってる?』
『あ!普通科の子だよね!俺も知ってる!』
けれど、波動さんのこの質問攻めにはいつまで経っても慣れない。どもって答えても何も言われない事には感謝だけれども。そんな彼女も、その隣にいるミリオも深海さんの事は耳にしていたらしい。深海さんは既に、この学校内ではちょっとした有名人だった。――もちろん、悪い意味の。驚きの意味も少しならあるのかもしれないけれども。波動さんの質問攻めはまだ終わっていなかったらしく、「それがどうしたの?」と首を傾げてまた問いを投げかける。
『……この前、たまたま見かけて。――イレイザーヘッドと一緒だった』
『ヒーロー嫌いのはずだったよね?』
『うん。だから、…少し、気になって』
『すきなの?』
『…………えっ、いや、そんなんじゃなくて』
『でも顔あかーい!』
『いや、その…』
『環ってばそうなんだね!早く言ってくれたら良かったのにね!』
『……ミリオと波動さんはもう少し人が話す時間を楽しんだ方が良いと思う』
『急な悟り』
ただ、ちょっとした興味を煽られただけなのに、波動さんと、それに乗っかったミリオのせいで話はどんどん変な方向に向かって行った。そう言うんじゃない。ヒーローが嫌いなくせにヒーローに教えを請い、過去ばかり暴かれるあの子が前を向いて、必死に何かに喰らいつく姿が、妙に俺の中に残っただけだ。だから「すき」だとか、そう言うんじゃない。――その姿がただ強がっているものだと知り、俺はきみの事を忘れられなくなる。
一年の夏休みが明けた頃だったように思う。昼食争奪戦へと向かってしまったミリオを追いかけるため、俺は弁当を持って食堂に向かっていた。けれど今日は限定メニューの初日、人がごった返すに決まっている。半ば諦め半分の気持ちで、しかし少しでも人ごみを避けるように裏庭を通るようにした。――このランチラッシュの時間に、食堂に向かわない人間はほとんどいない。そんな考えがあったから、俺はばったり出くわした人影に思わず飛び跳ねてしまった。
『…………っえ、なに?だれ…?』
声から人の感情が漏れてしまうとは本当の事らしい。それを受け取ってしまった人影の正体――深海さん――は弾くような動きで俺を見上げた。大粒の涙を灰色がかった瞳に溜めて、ぱちぱち、と瞬きを繰り返す。輪郭にかかる長い黒髪が透けて見えた。すぐに視線を逸らした深海さんは、涙を堪える様子もなく、ただただ揺れる草むらを見つめている。そこに吸いこまれて行く涙は、限りなく彼女の本音だった。
『……ずっと、泣いてるの?』
『…習慣なの。そうしたら、止まらなくなって』
『…どうして、ここで?』
『――変わらないから。見せても見せなくても、止めても止めなくても、わたしは『かわいそうな子』みたいだから』
ぼた、ぼた、とずっと音が響いている。止めるつもりもないみたいだ。俺たちが目指しているプロヒーローは、きっと、こう言う子を救けなきゃいけない。救けたいと思う。けれど、言葉が出て来ない。きっと深海さんは身体も心もぼろぼろで、表には出ない本音がずっと泣き喚いているはずなんだ。同情されて、自分でも「かわいそうな子」だと言い聞かせて、ずっと独りで。一向に絡まない視線に俺は、深海さんのヒーローを嫌う奥底を見た気がした。
事件が報道された当時、俺は深海さんと同じ12歳。詳しく知ろうとはしなかった。けれど全身血だらけのヒーローディープを見て、死ぬほど恐怖した事だけは覚えている。次の日からクラスではこの話題ばかりで、ヒーローディープのファンだった子たちが大号泣し始めて教室内は地獄絵図だった。この時は、さすがのミリオも少し落ち込んでいた。でも、下校時刻になるといつものようにはしゃいでいたのでミリオのメンタルはすごい。
連日ニュースはこの話題ばかりで、ヒーローディープの逮捕映像がひっきりなしに流れていた。そして、ヒーロー研究家とか元プロヒーローの人たちが勝手に自論をぶちまける。幼いながらに、言葉に出来ない気持ち悪さを感じていた。――どうして部外者が死んでしまった人を責めているんだろう――と。むかむかして、気持ち悪くて、それ以来この話題のニュースを観るのは止めた。そのツケが、無知なまま生きて来たツケがいま、ここで回って来ていた。
『……わたしの噂、知ってるでしょ。一緒にいたら犯罪者の仲間だとか言われちゃう』
『そんなこと…』
それはきっと、言われた事のある言葉だったんだろう。妙に現実味のあるその言葉はなぜか、俺の心をグサグサと抉った。薄っぺらい否定だけで、俺はまた、何も言えない。きみに触れる事も、涙を拭う事も抱き締める事も出来ない。きっと、それをする役目は俺じゃないから。俺が言葉をなくして目を伏せると、少し安心したように、深海さんは肩の力を抜いた。――その時、草むらを踏み潰す音がその場に響く。
『――さつきちゃん!またこんなところで泣いて…!』
『…………う゛、なんで来たの』
『食堂で待ってても来ないんだもん!』
『先に食べたら良いじゃん』
『そしたらさつきちゃんお昼抜いちゃうでしょ!前科あるの、忘れてないんだからね!』
『…………う゛』
俺とは全くもって人種のちがう人だ、どちらかと言うとミリオタイプ。自分の勢いにどんどん周りを巻き込んでしまう人。その人(あとで聞いたら波動さんが「成田睦ちゃん」だと教えてくれた。)は深海さんの頬を思い切り引っ張って叱るように、或いは拗ねたように何やら喋っている。そんな成田さんには何も言えないようで、深海さんはただただ顔を歪めただけだった。成田さんは深海さんを連れて食堂へ向かうけれど、その一瞬、成田さんは俺に一言、こう言った。
『――今の、だれにも言っちゃだめだよ』
あとから聞いた話だけれど、成田さんが深海さんを必死に守っているのだと波動さんから知った。
「……今年は体育祭、出るの?」
「…たぶん。担任にも言われてるし。……なんで?」
「去年、リタイアしてるの見ちゃって…」
「…………ああ、なるほど」
ハヤシライスも残り少なくなり、環は初めて己から口を開いた。来週に控えた体育祭の事である。ヒーロー科の活躍の場であるこのイベントに対して、さつきは本気で取り組んだ事がなかった。一年時はサボり担任にこっぴどく叱られ、二年時は第二ラウンドでリタイアし、これもまた相澤に酷く叱られている。さすがに今年もやらかせば色々とペナルティが待っている、気がした。なので8割弱の力を出して行けるところまで行ってみようと彼女は考えているのである。
「……今年は頑張ろう、よ。体育祭」
「…それ、花形のヒーロー科の人間だから言える事だって気づいてる?」
「そっ、…………う、だけ、ど」
「……ごめん、意地悪だったね。忘れて」
「いや…」
既に昼食を終えたさつきは頬杖をつき、恨む様な視線を環に向けた。しかし、その鋭さに震える彼に気付き、淡々と、それでも名残惜しげに言葉を紡ぐ。――無言が、つらい。なにか言わなきゃいけない気がした。けど、二年と少し経った今でも俺は何も言えず仕舞いだ。ああ、自分が嫌いだ。消えてしまいたい。ここにミリオか波動さんがいれば、……いやだめだ。絶対に地雷を踏み抜く。そんな事を悶々と考えていた時、さつきの肩がぴくり、と跳ねる。
「さつきちゃん、次だって」
「ありがと。…行くね」
「……うん」
先程まで進路調査の面談をしていたらしい睦は、ここまでさつきを呼びに来てくれたらしい。そんな睦と軽く言葉を交わすも環と視線を合わせず、しかし、ぽつり、と声を漏らした。その時、随分と傷の増えた指先が視界に入る。おそらく、相澤との修業によるものなのだろう。――ヒーロー嫌いの深海さんが、どうしてヒーローのイレイザーヘッドから修業を受けているのかは分からない。知る権利を、俺は持っていないと思う。けれど今年の体育祭、本音を零す深海さんを見れるような気がした。
「――体育祭、がんばって。天喰環くん」
僅かに緩んだその
表情が見れる位置に、少しだけ近づけるような気がしたんだ。