01
「――あんた、まだデートもしてないわけ?」
「はあ?」と、心底理解できない、と言いたげに溜め息を吐き出した少女――橘茉莉――は応接室に居座りながら、自身で淹れた紅茶で喉を潤している。黒の革張りソファに凭れ掛かり、草壁が用意してくれた焼き菓子を食していた。そんな様子を眺めつつ、この場の支配者――雲雀恭弥――の眉間には、徐々に皺が刻まれる。雲雀の両隣には山の様に書類が積まれており、彼はこれから時間を掛けてこれらを消費して行かなくてはならない。そんな多忙時に茉莉の小言などは聞いていられないのだ。しかし、麗の話題となってはその決心が無駄になってしまう事も嘘ではない。
「……うるさいな、と言うか何で君がいるの。僕が呼んだのは日比野なんだけど?」
「麗が来るまでの場繋ぎ」
「心底いらない」
「ひどい男ね」
「誰が?それは君の方でしょ。散々邪魔して来やがって」
「私から麗を奪った罰よ。自業自得じゃない」
――これが俗に言う「冷戦」…。――応接室に居る雲雀の部下は、一様に心の中で呟いた。雲雀は書類に、茉莉は焼き菓子に、それぞれ視線を落とすも意識は確かに、双方に向かい合っている。そして、そんな空気を自然と変えてしまう様な奇特な人間は今、この場には居ないのである。――焼き菓子を噛み砕く音、ペンを走らせるそれのみが響き渡り、まるで心臓を鷲掴みにされた様な感覚だ。
そんな時、応接室の扉が煩雑にも開かれる。そこから現れた人物は乱れた髪を直しつつも、雲雀の姿を視界に捉えた瞬間にはぶわり、と弾ける様な笑顔を浮かべたのだ。
「ごめんなさい、遅れちゃって…!」
「自習じゃなかったの?」
「早めに終わったので行こうと思ってたんですけど、先生に捕まっちゃって…」
「風紀の腕章見せれば良かったのに」
「これ通行パスじゃないですからね」
少女――日比野麗――の腕には30枚程度の書類が抱えられている。どうやら自習の時間に少しでも進めてくれていたらしい。そんな麗の姿を視界に収めると、雲雀の双眸は僅かに弧を描く。仄かに和らいだ彼の雰囲気に安堵の吐息を、呆れた様に溜め息を吐き出す者と、反応は様々である。そんな周囲を放置して、麗は出来上がっている分の書類を雲雀のテーブルに置いた。そして、新規のそれを受け取り、茉莉の横に腰を落ち着かせようと踵を返す。
その瞬間、麗の指先に雲雀の温もりが掠る。擽ったくもあり、酷く幸せでもあるその感覚に、彼女は思わず頬を赤らめた。そして、その様子を見てしまった茉莉は残っていた紅茶を飲み干し、その場から立ち上がる。
「――茉莉?もう戻るの?」
「群れるの嫌いなんでしょ。あんたの
「か、彼って!」
「麗のこと不安にさせたらシバき倒すからね」
「分かったからさっさと行って」
「草壁さん、このクッキーすごく美味しかったです。ご馳走さまでした」
「それは良かったです」
「ま、茉莉!」
羞恥心における麗の呼び掛けを華麗に避け、茉莉は最後に雲雀を一瞥して応接室から出て行った。その場に残ったのは淡々と業務を
「…なに照れてんの。事実でしょ」
「そ、そうですけど…!」
「けど?」
「――は、はずかしい……」
冷静な雲雀の反論に、麗は喰い気味に喰い付いた。しかし、彼の事細かな追及には何時も根負けしてしまうのである。赤く熟れた表情を書類で隠し、目を瞑る。その姿はぷしゅう、と音が出るんじゃないか、と思う程に熱が篭っていた。――なんだこの恋愛初心者は。…いや、僕も慣れてる訳じゃないけど。今まで焦らしに焦らしてたくせに、気持ちを白状したらコレだ。こいつを不安にさせたら?……ふざけないで欲しいな。どれだけ我慢をさせられたと思ってるんだ。
思考を巡らせている内に苛立ちが溜まって来た雲雀は、麗を手招く。――あれだけ恥ずかしがってたくせに、暢気に寄って来るこいつはやっぱり良く分からない。
「三連休、あるでしょ」
「来週のですか?」
「そう。予定は?」
「か、買い物くらいで特には」
「……空けといてくれる?」
「へ」と否定とも肯定とも取れない声が響く。ぱちぱち、と何度も瞬きを繰り返す瞳はやはり大きい。――僕とちがって、キラキラとしてる
意識も朧気の中、雲雀は麗の表情を見上げる。収まっていた熱が、再び燃え上がるのを感じた。しかし、それは羞恥だけが原因ではないらしい。
「…………空け、てます」
「…そうなの」
「一日でも会えないかな、って、…空けてる、ので」
「……会う?」
「えっ」
縋り付く様に雲雀の指先をきゅ、と握る。草壁を含む風紀委員らは奥の作業場へ引っ込んでしまった。僅かに力の込められた箇所にはじんわり、と麗の温もりが宿る。僅かながら強張った表情が、震える唇が、緊張している事を教えてくれている。それから解放してやる様に、雲雀はぽつり、と小さく問い掛けた。ぱっ、と変化した彼女の表情は酷く煌めいている。――変わり身が早い。でも、ころころと変わる
「…嫌なの」
「い、ッやじゃないです!……う、嬉しくて」
「――そう」
ただ一言、声音を響かせて雲雀の双眸はゆるり、と弧を描く。頬杖をつき、僅かに顔を傾かせるとさらり、と艶のある黒髪が輪郭に沿って垂れた。そしてきっと、彼はその事には気付いていない。――どれだけ傷を負っても、埃を被っても、自分の事には無頓着な人だから。それが少しさみしくて、けれど、とても格好良い。だからすきになった。本当はわたしから誘おうと思ってたのに、茉莉が何か言ったのかな。それを聞こうとすると、ぱっ、と手を離された。さみしい。
「仕事して」
「……はあい」
「――帰り、話す」
「っ、うん!」
「言葉遣い」
「はい!」
山の様に積み上げられた書類を全て捌き切ったのは17時11分。予想よりも早く終わった業務に安堵の吐息を吐きつつ窓を見れば、まだ少し明るい。そのため、麗と雲雀は足を使い、ゆっくりと帰路につく事になった。――空は橙色と群青のそれが混じり合い、妙な色合いを作り出している。日没時間まで、まだ暫く間はある様で二人の影は随分と長かった。丁度夕飯時であるため、商店街は通常時より賑わっている。麗は、その光景を見るのが好きだった。そして、それを見て喜んでいる彼女を見るのが、雲雀は好きなのである。
並盛の商店街は町の境界線の寸前まで続いており、それを抜けると、自然と黒曜町に移動する事が出来る。新道は綺麗に舗装されているが、旧道はぼこぼこ、と足場が悪く、自転車やバイク、原付で走行するには些か辛いものがある。徒歩で良かった。そこで漸く雲雀は口を開く。
「月曜日、用事は?」
「…ないよ?」
「…………あのさ」
「……雲雀くん?」
「……こう言うのって、どこに行けば良いの」
絞り出す様に呟かれた雲雀の一言に、麗はくつ、くつ、と喉奥で笑みを溢れさせた。そして、住宅の影に隠れてきゅ、と彼の手を握る。山本や笹川と比べて線が細いと言うものの、やはり「男の子」と言うべきだろうか。その手は骨張っていて、力強い気がした。――いつもは格好良いくせに、たまにしおらしくなるのは何なんだろう。わたしだけなのかな。ぎゅう、って握ると、雲雀くんも握り返してくれる。わたしだけだ、って思った。
「どこでも良いんだよ。わたし、雲雀くんとだったらどこでも楽しいもん」
「…………だから、そう言うの…」
沈黙の中、随分と歩いていたからか、麗の自宅は目の前だった。白とグレーのピンコロが交互に重なる壁に凭れ掛かり、彼女はうっすらと瞳を細める。そして紡がれた言葉は限りなく、彼女の本音だった。しかし、雲雀にとってはそれ以上の価値があるのである。――付き合う前からそうだ。僕の気持ちに気付いてるくせに焦らしに焦らして。こいつだって僕の事がすきなくせに、へらへらと愛想を振り撒いて。それを無意識でやるから救えない。
普通に握っていた麗の手を組み替え、指同士を絡め合わせる。それを背後の壁に押し付けると、ざり、と音がした。少しだけ短くした指定のプリーツスカートに皺を寄せる様に、脚の間に己のそれを挟み込む。身動きが取れなくなった所で、漸く双方の視線が絡まった。こうすれば、何時も彼女は逆らえないのだ。暗がりを見せる空の下でも分かる程に赤らんだ頬を無視し、顔を近付ける。しっとり、と張り付く様に密着した唇は柔らかい。それを堪能する様に何度か啄み、少しだけ舌先に吸い付いた。こうすると、びくん、と肩を跳ねさせるから面白い。
「ン、ん…っ」
「……苦しい?」
「ッ、…ここでキスするの、癖なの……?」
「……習慣かな」
「も、ばか」
苦しげに、しかし何処か蕩ける様な声を漏らせば、すり、と口端をなぞる雲雀の指がある。そして学校では見せない、甘やかす様な声音も。――やっぱり、はずかしい。何回やっても慣れない、何でこんなに余裕ぶっこいてるの。どきどきして、ぞくぞくして苦しいのに。さっきのしおらしい雲雀くんはどこに行っちゃったの。仕返し、と言いたげに頬を擦り寄せると、耳朶に思いきり噛みつかれた。痛い。
「……月曜日の14時、並盛のショッピングモールね」
「…行く場所、決まったの?」
「決まってない。…けど」
「けど?」
「……買い物したい、ってこの前、言ってたのを思い出して」
微かな痛みに耐えつつ、麗の鼓膜には雲雀の声音が響く。数ヶ月前の買い出しの際、草壁と共に訪れた時以来、近付いていない場所だ。マフィア関連の争いに巻き込まれてからと言うものの、雲雀とリボーンに禁止のお達しを言い渡されたのである。あの二人に禁じられ、それを破る事が出来る人間が居るなら一度会ってみたいものだ。――雲雀と恋人関係になってから、業務が早く終われば徒歩、遅くまで掛かればバイクで送ってくれている。恐らく、麗が言っていた事とは、その道中で何気なく呟いたそれだった。
――雑だと思ってた。なにより、あまり見てくれないんじゃないのかな、とも。戦う事が大好きで、そう言う場所じゃないと生きられない人だから。だから、そんな雲雀くんが、そんな何気ないたった一言を覚えていてくれた事が嬉しい。言葉には出来ない程しあわせだった。
「っ、〜〜雲雀くんありがとう!だいすき!」
「ちょっ、外で急に抱き着くな」
「雲雀くんだって毎日外でちゅっちゅしてるじゃん」
「その言い方止めろ」
初デートのお話です。時系列は未来編直後くらい。5〜7話くらいの予定。お付き合い下さい。