02
「――で、やっと約束を取りつけたのね?」
呆れた様にそう言い放った少女――茉莉――は、ボイルされたウインナーを一切れ、口に放り込んだ。その一方、麗は何処か恥ずかしげな様子で白米を口へと運ぶ。その一口は、何時もより小さかった。――昨日、寝る前、数日振りにメッセージアプリの通知音が鳴った。お風呂上がり、ちょうど自室に戻って来たタイミングで鳴ったそれに、思わずびっくりしちゃった事はひみつ。届いたのは「変に予定は入れないこと」と言う業務連絡に近いもの。でも、その一言に雲雀くんの気持ちが溢れて、多分、その時のわたしはにやけてた。
「あんたら、ちゃんと付き合っても展開が遅くてむずむずするって言うか…」
「え、えへ」
「聞けば、あいつの気持ち知ってたくせに焦らしてたんだって?悪女じゃない」
「言い方に語弊がある!」
「そう言う事するタイプだっけ?あんた」
茉莉がそう言うと、麗は図星を突かれたかのようにぐ、と口篭った。こう言う顔をする麗は、案外誰かに話を聞いて欲しかったりする。雲雀が今更その事にとやかく言うつもりがない事は知っているし、わざわざ麗の答えを伝える義理は無いけれど、散々心配を掛けた自身には教えてくれても良いんじゃなかろうか、と茉莉は思う。どうやら、そんな茉莉の気持ちにも気付いているらしい麗は「んぐ、むぐ」などと人語とは思えぬ声を発している。しかし、ようやく決心が着いたのか、こちらの様子を窺う様に見上げる麗には、やはり何処か色が含まれていた。
「……だ、だって、ちょっと優しくされただけですきになっちゃう、とか。絶対告白しても『勝手に勘違いしないでくれる?』とか言われそうだもん。そんなこと言われたら、わたし一生立ち直れない……!」
「そこであの『ヒバリ』に、すきにならせるのがすごいんだけどねえ」
「……もしかしてわたし、どえらい事しちゃってた……?」
恐る恐るそう問い掛ける麗に、茉莉は手を伸ばす。手の平と頬の間に吸い込まれた、丸みを帯びた茶髪をひと房手に取れば、ぱらり、と宙へと散らしたのである。その行為に、呆気に取られる麗の一方で、茉莉は満足気に笑んでみせた。――今でさえ雲雀は、麗には気持ち悪いくらいにクソ甘いけど、知り合ってすぐの頃に告白してれば失恋街道まっしぐらだったでしょうね。その程度の執着だったら笑って済ませられたのよ。その程度じゃない事に今更気付くだなんて、本当にこの子は馬鹿な子。そんな麗に向かって、私はもう一度わざとらしく笑った。
幾らデートの約束を取り付け、双方の間にそわついた空気が流れるとしても、委員会の執務中に限っては無かったものとされる。パソコンのキーボード音や提出用、資料用の書類を捲る音が時折響くも、わざわざそれらに、気を取られる程に集中力が散漫となっている訳でもなかった。何時も麗と雲雀の近くに居る草壁でなければ、気付かない事実であろう。――そんな厳粛な空間の中、布の擦れる音が唐突に響き渡る。その音の発生源へふと視線を向ければ、そこにはソファに寝そべる麗の姿があった。
「……ちょっと」
「休憩ですよ、休憩。少しくらいなら良いでしょう?」
「……その足癖の悪さは誰に似たんだろうね」
「そんなの一人しかいないじゃないですか」
「へえ……?じゃあ、その固有名詞をお答え願おうか」
「ごめんなさい!」
膝小僧を曝け出すスカートの短さに、雲雀は思わず眉を顰めた。しかし、そんな彼の表情の変化に麗が気付く訳もない。そんな恋人を最も理解している彼は、溜め息を吐きつつも感嘆なる一言を漏らした。――こんな光景を見れるようになったのもつい最近のこと。黒曜の拉致誘拐事件を筆頭に、日比野が涙を流す機会は途端に増えた。いつも寂しそうに委員長を見上げて、けれど何も言わない姿に、委員長もきっと苛立ちを募らせていただろう。だが、今の委員長はそんな気持ちを忘れたかのようにひどく幸せそうでもあった。
「……帰るよ、日比野」
「…えっ、書類捌き切れたんですか?」
「もう集中する気もないんだろ。時間の無駄だ、さっさと用意して」
そんな雲雀は、書類や筆記用具などの作業道具をそのままに、バイクの鍵だけを手に立ち上がった。唐突に目線が上へと向かった事実に瞳を丸くさせるも、彼はそちらに見向きもしない。しかし、その理由さえ分かりきっている麗は何も口にしなかった。寧ろ、嬉しげに頬を緩めるのである。――そんな一連の様子をただただ眺めていた草壁は人知れず、苦笑を浮かべた。「委員長」と言えども惚れた女を前にしてはただの男か、と。そんな思いを見透かされたのか、応接室を出る瞬間、鋭い視線を向けられた気がした。
「……ね、せんぱい」
――あまく、この女はそう呼ぶ。その度に僕がどんな想いをするかも知らず、無垢な
「……ぶりっ子は止めろ」
「ぶ、りっ子じゃないです!」
「じゃあなに?煽ってるの?」
そう聞くと、この女は控えめに頷いた。……ばかなんじゃないのか。こいつは男の欲深さを一mmたりとも理解していない。焦ったように顔を赤くしているけれども、煽っているようにしか見えなかった。そんな麗の頬を撫でると、こいつは拒む事もせずに目を瞑る。――ほんとうに、本当にばかだと思う。思わず顔を歪めたら、麗は擦り寄るように近付いて来た。そんな事をされたら抱き締めるに決まってるのに、びっくりしてる姿は少しだけ面白いな、と思う。
「ひ、ばり、くん」
「なに」
「ち、ちかい」
「自分から近付いて来たくせに何言ってんの」
「だ、だって、抱き締めて来るとは思ってな、い」
「学校でさわってないんだからさわるに決まってる」
震える声音が雲雀の鼓膜を刺激する。しかし、それに対して微動だにもしない彼は、麗の肩口に顔を
「ひばり、くん」
「なに」
「…………ちゅー、しないの」
そう言いつつも、林檎の様に真っ赤に熟れているであろう顔は決して晒さない。そんな麗を見下ろしてはぱちくり、と何度か瞬きを繰り返すが、ふと、紫色の双眸を細めた。――麗がそれに気付く時には既に遅く、彼女の身体はベッドの側面に押し付けられていた。か細い指の間に骨張ったそれを侵入させ、時折刺激を与える。すると、彼女のそれはぴくん、と可愛らしく跳ねるのだ。その反応に満足しつつ、雲雀は脚の間に己のそれを割り込ませる。学校指定のプリーツスカートに皺が寄ると、何処か厭らしささえ感じた。何時もより露見する健康的な肌色に掌を這わせ、僅かに汗ばんだ感覚を覚えて行く。
「――僕に全部ゆるすつもり?麗」
試す様に問い掛けるも、その答えを望んでいる訳ではないらしい。顎を僅かに擽り、力の抜けた唇を狙い、塞いだ。何時までも慣れないらしい行為に瞳を丸くさせているが、そんな事は知った事ではないのである。――小さな口を堪能する様に少しずつ、こちらのそれを押し付けて行く。時折漏れる声は、きっと雲雀しか知り得ないものなのだろう。そう思うと、彼の中の熱も昂って行く様な気がした。
「っ、ひ、……り、く」
僕の名前さえ呼べない、僕がいなけりゃ息さえ出来ない愚かな女。怒っている時や泣いてる時も目元は赤くなるけれど、欲が出ればそれ以上に頬も赤らむ事を知った。一度は解放するが、たったこれだけで終わるはずもない。もう一度キスをして、今度は少しだけ唇を突いた。「あ」と声を漏らした瞬間に舌を捻じ込むと、びくんって身体が跳ねる。びっくりしてるのか、頬の赤みがどんどん広がって行った。――僕から逃げようだなんて、馬鹿みたいな事を考えるなよ。
「名前も呼べないの?かわいそうな子だね」
「う、うるさ、……ッ」
嘲笑う色が孕んだ言葉に、麗は思わずそれを汚す。しかし、その語尾は再度の口付けに奪われ、消えた。それに加えて太腿を撫で、時折痛みを与えるものだからその度にびくり、と身体が跳ねるのだ。――すごく、えっちだ。やらしい、こんなのされた事ない。わたしを喰らうように
「だ、だめ」
「だめ?なにが?」
「くすぐったい……」
「なにそれ、常套句か何か?気持ち良いの間違いでしょ」
「ちが、……ッ、ちょ、ばか」
「う」と小さな声を響かせつつも、雲雀は
口内を丹念に愛でれば、麗の身体はくたり、と脱力した。――体力のない女だな――そんな思いを伝える様に瞳を細める。息継ぎが下手だと言う事はたった今知った事だが、それはもうどうでも良い。すり、と頬を撫でる。すると、麗は幸せそうに
「……なに?」
「なにって、なに?」
「さっきからにやにやして」
「うれしいなあ、って」
「は?」
「ずっと我慢させちゃってたから、その反動?って思ったらちょっとかわいくて」
とろり、と甘える様な声音で、馬鹿みたいに甘い言葉を紡ぐ麗は目の前の男の首筋に腕を絡める。薫るシャンプーの香りにくらりとした。――この女が10代前半じゃなくてもう少し大人だったら、高校生になっててもう少し僕以外を知っていたら、僕はこんなに我慢をせずに済んだんだろう。僕の欲も、本音も、何もかも知らない無垢な女。あのクソパイナップルに手を出されていないようで本当に良かった。そう思いながら再び顔を近付ける。しかし、その雰囲気を見事に崩壊させたのは無機質な通知音だった。
「……だれ」
「え、えっと、……ベルくん」
返って来た答えの全貌に、雲雀は思わず溜め息を吐き出した。その瞬間、甘い夜は終わりを告げたのである。――雲雀は決して認めている訳ではないが、麗にとってのベルの存在がどれだけ大きいか、知らない訳でもなかった。時差を考えていない事は言葉にされずともとうに分かっている。彼女はへらり、と笑みを浮かべ、端末を耳元にあてた。つい先刻まで息を荒げる行為をしていたとは到底思えない、あまりに何時も通りの様子である。
そんな様子を、僕はただただ見つめていた。おそらく、僕を相手にする時とは声を変えている。少し畏まった、硬い声。さっきまでだらしなく伸ばしていた脚を折り曲げ、まるで年上を相手にするように話してる。…いや、あながち間違いではないんだけど。――たった数分、しかし僕にとってはとても長く感じた。ようやくこちらを向いた麗は気まずそうに、それでも嬉しそうに
「――ごはん、食べてく?」
そう言って首を傾げる麗は、やっぱり男心なんて何も分かっちゃいないんだ。
何も分かっていない麗と、何も言えない雲雀。