011
トラヴィスと別れるころには、すでに夕闇が迫っていた。夕食はどうしようか、と考えながら、肌寒くなってきたので何か羽織る物を宿まで取りに戻ることにした。
宿に入ると、宿屋の主人がロビーの拭き掃除をしていた。
「こんばんは。」
「おお、こんばんは。」
互いに挨拶し、私は部屋へ向かおうとする。しかし主人が何か言いかけたように見えたので、足を止めた。
「お客さん、この国へは何をしに?観光かい?」
若い女一人で宿をとる客は珍しいのだろう。私は努めて明るい笑顔をつくり、頷いた。
「はい。群島諸国に興味があって、いろいろ見て回ってるんです。」
「へえ、若いのに珍しいね。一人でかい?」
「はい、気ままな一人旅です。ここへ来る前は、ラズリルで2ヶ月ほど暮らしていたんです。」
「そうなのか。じゃあ、しばらくはこの国で?」
「はい。しばらく、居ようと思ってます。仕事が見つかれば、ですけど……。」
はぐらかすように笑うと、主人はなぜか真剣な顔で私をよく見た。
「そうだね、お客さんさえよければ、うちでウェイトレスとして雇ってもいいんだけど……。」
「!本当ですか!?ウェイトレスなら、ラズリルでもやっていたんです。きっと、お役に立てると思います!」
「ううん、でもねぇ……お客さん、ウェイトレスじゃあちょっともったいないなあ……。」
「え?」
主人の意図がわからず、私は目を瞬いた。
「いやぁ、ねえ。お客さん、ここらじゃ見ないくらい、器量が良いから。」
「ええ?いえ、そんな……。」
私は俯く。すると、そうだ!と主人は手を叩いた。
「歌は、歌えるかい?」
「……えっ?」
そうして、夜が来た。
私は主人に渡された白いワンピースドレスに着替え、髪を下ろした。奥さんがメイクをしてくれて、酒場の裏口へ案内される。
「いい?時間になったらお店の灯りを半分にするから、そうしたら出ていくのよ。最初の曲は、あなたの歌に合わせて伴奏を始めるから。そのあとは、打ち合わせ通りにね。」
「は……はい。」
「緊張してるわね。でも、私たちの前でしてくれた通りに歌ってくれればいいのよ。」
奥さんにあたたかい手で頬を撫でられ、元気づけられる。
「ほら、行って。」
その声に押され、私は店内に入った。
薄暗くなった店内で、お客さんのざわめきが響く。しかし私がお店の中ほどまで進むと、何かを感じたお客さんたちは、次第に静かになった。
店の端に、リュートを持った男性の姿も見える。彼は宿屋の主人の息子さんで、歌の伴奏をしてくれる。彼と目で合図をしあって、私は深く息を吸い込んだ。
翌朝目が覚めると、白い日差しが部屋に差し込んで、静かな陽だまりを作っていた。
昨日の夜のことが夢の中の出来事のような心地がした。大成功だった、と言ってもいいと思う。また今夜あの拍手の中に立つのだと思うと、やっぱり緊張してしまうけど。
着替えて身支度を整え、町に出た。
町の人が皆私を見ているような気がする……。手を振ってくれる人や声をかけてくれる人もいて、嬉しいけれど恥ずかしくて、なんだか休まらない。
人気のない所……トラヴィスの所に行こうかな、と考えていたときだった。
「あれ……リルちゃん!?」
なんだか聞き覚えのある声がして、振り返ると、目を丸くしたタルと、ジュエルと、チープ―と……ラズロがいた。
「ええ〜!リルちゃん!どうしてここにいるの〜?」
チープ―が駆け寄ってきて、私の顔を覗き込む。その後から、タルとジュエルも駆け寄ってきて、ラズロもゆっくりと歩み寄ってきた。
「お引越ししたんです。今のラズリルは、なんだか……怖いから……。」
ジュエルとタルは不思議そうな顔を見合わせた。
「みなさんがいなくなったあと、ラズリルはすごく変わったんですよ。なんとなく、騎士団との間に溝ができて……町の人たちも、浮かなくて、疑心暗鬼で……なんだか、嫌な予感がしていたんです。」
そう言うと、ふたりは何となく納得したようなしないような顔をした。
「それに、いろんなところに行ってみたいと思っていたんです。この国も、来たばかりですけど、とても良い所ですよ。私、また宿屋の酒場で働いているので、みなさんよかったら来てくださいね。」
「うん、行くよ、絶対!」
タルが力強く頷き、ジュエルがやれやれとタルに苦笑した。チープ―は、「そこってチーズはある?ミルクは?」と、心配している。
「あっ!リルちゃんだ!」
「本当だ!おーい、リルちゃーん!」
遠くから呼ばれて、振り返ると、階段を上ってきた若い漁師たちが手を振っていた。たぶん、昨日の夜酒場にいたお客さんだろう。
「こんにちはー!」
私が手を振りかえすと、彼らはおおっ!と歓声を上げた。
「リルちゃん、今夜もお店に行くからねー!」
「はーい!ありがとうございます!」
「ここでも大人気ねえ……タル、ライバルは多いみたいよ?」
「……ほっとけ!」
ジュエルとタルは小突きあって内緒話をしている。私は彼らの後ろで静かに立っているラズロに視線をうつした。
「ラズロさんも……よかったら、来てくださいね。」
おそるおそるだったがそう伝えると、ラズロは、感情の読めない表情で、小さく頷いた。