012
「ああ……リルちゃん……」
サロンのカウンターに突っ伏して項垂れているタルの頭を、ジュエルが面白おかしく叩いて笑う。すると突然、タルが勢いよく立ちあがった。
「なあ、今夜にでも行ってみようぜ!リルちゃんの店!」
「面白そー!さんせー!」
「あ〜!ぼくも!ぼくもいく〜!」
ジュエルとチープ―が手をあげて集まってくる。ラズロはふと微笑を浮かべた。
「……わかった、行こう。」
日が暮れて、酒場に入ると、既に満席だった。それでも店の壁際に立って並んでいる客もいる。
「この客、みんなリルちゃん目当てなのか?」
「すごい人気なのねぇ……。」
タルとジュエルが感心するような声をもらした。
「でも、でも、いないよ?リルちゃん。」
チープ―の言葉で店内を見渡したが、確かにリルらしき少女の姿はない。酒場にいる店員は、カウンターの年配の女性と、椅子に座ってリュートを引いている青年だけだ。
不思議に思っていると、カウンターにいた年配の女性が出てきて、店内を回り始めた。どうも、ろうそくの火を消しているらしい。そうして店内が薄暗くなると、リュートの演奏がぴたりと止まった。
ざわめきがぱらぱらと止み、店の中は静まり返る。すると、奥の方から、淡い桃色のドレスを着た少女が歩いてきた。
「あ!リルちゃん!」
「しー!」
声を上げたチープ―を、ジュエルが慌てて黙らせた。
ラズロとタルは食い入るように、しかし静かにリルを見つめる。それは彼らだけでなく、店内にいる客の誰もが、リルの姿に釘付けだった。
リルはリュート弾きの青年に一瞥をくれ、深く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと赤い唇を開いた。
それは人の声とは思えぬ、澄み切った川の流れのような歌声だった。か細く、それでいて力強く、抑揚は胸を震わせ、声の余韻がいつまでも頭の中に残った。
皆言葉も忘れ、その声に聴き浸っている。目尻を拭う者も少なくなかった。
歌いだしは静かな小鳥のさえずりのようだったメロディーが、だんだんと勢いを増し、最後には酒場いっぱいに、それどころか溢れんばかりに力強く歌声を響かせ、その声に飲まれるような感動を人々の胸に溢れさせた。
割れんばかりの拍手が起き、歓声が溢れる。
リルは照れ臭そうにお辞儀をし、はにかんだ。
2曲目。リュートが鳴り始めると、人々はまた息をひそめ、彼女の声を聞き洩らさぬよう、耳を澄ました。
リルは5曲歌いあげ、またろうそくの灯がともされて酒場が明るくなると、客と談笑し始めた。
いくつかのテーブルを回り、お礼を言った後、僕らの方へやってきた。
「来てくれたんですね。ありがとうございます。」
そうお辞儀をしたリルに、タルは身を乗り出した。
「リルちゃん、すげー感動したぜ!」
「ほんと、あたし涙が出てきちゃった!」
タルとジュエルの言葉でリルは少し頬を染め、またお礼を言った。
「すご〜くきれいだったよ〜。また聞きたいなぁ。」
「また、ぜひ来てください。」
リルはチープーにそう微笑むと、店内を見渡して、「では、楽しんでくださいね」と僕たちから離れた。
「あんなに歌がうまいとは、びっくりしたよなあ」
タルが他人事のように呟き、壁に寄りかかって酒をあおる。その時僕は、ケネスがリルを訝しんでいた時のことを思い出した。絶対に何か隠している……と。確かに、今の歌と言い、普通に生きてきた何の変哲もない人間とは思えない。それに、どこか壁を感じるのも事実だった。なんというか、リルは誰にも本音を話していないような気がしたし、僕らと必要以上に親しくならないよう気を付けているように思えた。
リルは僕らから離れた後、酒場の端の一人席に座っている男の元へ近づいて行った。
「ん!?なんだ、あいつ!」
タルが鼻息荒く男を睨みつける。まあまあ、とジュエルが慌ててなだめる。
「まさか、リルちゃんの彼氏じゃ……」
「うーん、あたしは違うと思うけどなあ。」
「どうしてわかるんだよ?」
「女の勘よ。でも……あの人、すっごいイケメンねー!きゃー!紹介してもらおうかな!」
「おいおい……」
今度はジュエルが鼻息荒く身を乗り出し、タルが呆れてなだめた。
リルはその男の所で何かを話し、笑い、驚いている。他のテーブルの客には、挨拶とお礼だけで、すぐに立ち去ったのに……。
僕は胸にもやもやとした居心地の悪さを感じて、ついに彼らから視線を外した。