「疲れたか?」
心配していた往路では何事もなく、私たちはクールークの港町からフィンガーフート伯が用意しておいてくれた船に乗り、海に乗り出していた。その船の上で、父が私にやさしく尋ねた。
「大丈夫です。」
「だが、こんなに長距離を移動するのは初めてだろう。遠慮せず、船室で休んでいていいんだぞ。」
「はい…もう少し景色を見たら、そうします。」
「そうか。海を見るのも、初めてか…。」
そう言って父は、水平線に顔を向けた。その横顔はりりしく、穏やかで、堂々としていた。
この人は…Tの主人公のご先祖様。主人公の父の、父の父の父…くらいだろうか?いや、私もマクドール家の娘なのだから、同じ先祖ということになるのか…。実感はわかないけど。
「ずっと父親らしいことをあまりしてやれなくて、すまない。」
「…父上?」
「この旅行を、お前がどう思っているかはわかっているつもりだ。だが、それは間違っていると言わせてくれ。」
「……。」
「私はまだ、大事なたった一人の娘を手放すつもりはないよ。」
停戦協定のこと…クールークのこと…人間狩り事件のこと。
私がフィンガーフート家との、そしてガイエン公国との懸け橋になることで、平和への一歩になる。父もそれを望んでいると思っていた。だけど、私が勝手に思い詰めていただけのようだ。
「はい。」
その愛が私に向けられたものではなくとも、私は自然と、うれしくて笑みがこぼれた。
***
「マクドール殿!ようこそいらっしゃいました!」
「お招きいただき感謝する、フィンガーフート伯。」
ラズリルの港で市民たちの好奇な目に囲まれながら下船すると、その素朴で和やかな街並みにあまり似つかわしくない、きらびやかな装いのふくよかな男が私たちを出迎えてくれた。
「おおっ!そちらがお嬢さんですかな?」
「ええ。娘のティナです。」
「初めまして、フィンガーフート様。」
礼儀正しく挨拶をすると、フィンガーフート伯は満面の笑みを浮かべた。
「これはお美しいお嬢さんだ。私の息子と歳も近いようですな。」
その言葉で、フィンガーフート伯の隣に控えていた青年が恭しく進み出た。
「初めましてマクドール様、ティナお嬢様。スノウ・フィンガーフートです。」
「これは凛々しい息子さんだ。」
「わっはっは、謙遜したいところですが、自慢の息子でして。」
確かにスノウは容姿端麗で、ふるまいも堂々としたものだった。彼の人となりを知っていながら、私もドキッとしてしまったほどに。
「ひとまず私の屋敷へ案内しましょう。長い旅でお疲れでしょう。」
「ありがとうございます。」
フィンガーフート伯の言葉で、私たちは彼の屋敷で休むことになった。
***
昨日はそのまま客室へ通され、夕食をともにし、疲れて眠った。
朝になってメイドたちに身支度を整えてもらった後、スノウが私の部屋までやってきた。
「ティナお嬢様。よろしければ街を案内させていただけますか?」
その言葉に私はうなずき、護衛のアーサーもついてくることになった。
「ティナお嬢様は、群島諸国へ来るのは初めてですか?」
「はい。恥ずかしながら、国を出たのも初めてで。」
「そうなんですか!まあ、僕も訓練で、クールークの港に寄ったことがあるくらいですけどね。はは…」
そこまで言って、スノウははっとした。赤月とクールークは停戦状態とはいえ、まだ緊張状態が続いている。不用意にクールークの名を出すんじゃなかった、と彼の目に焦りの色がにじんだ。
「あの。ティナでいいですよ。」
「え?」
その場を流すために行った私の言葉に、スノウは目を丸くした。
「お嬢様って呼ばなくても…そんなにかしこまらないでください。」
「そ、そうですか?じゃあ…。ティナ。」
スノウが頬を赤らめて恥ずかしそうにそう言ったので、可愛らしいと感じて私は微笑んだ。
「ぼ、僕のことも呼び捨てで呼んでくれよ。」
「あ…。」
「あ、ご…すまない、口調が」
「ううん。その話し方の方がいいわ。」
「そ…そうかい?ありがとう…」
「……。」
背後をついてくるアーサーが面白くない顔をしているのがわかる。彼はティナに好意を抱いているからだ。
私は少しおかしくて、笑みをこぼした。
「そうだ、僕の親友を紹介するよ。」
「親友?」
突然思いついたように言ったスノウに、私は不思議そうに返しながらも、すぐに一人の人物が思い浮かんだ。Wの主人公だ。
「うん。この時間だと…あそこにいるかな。ついてきて!」
スノウに連れられて、私は街の大通りにやってきた。
「あっ!スノウ様だ〜!」
「ぼっちゃん、いらっしゃい!お元気ですか?」
「綺麗なお嬢さんを連れてるじゃないですか!ぼっちゃんの恋人ですか?」
「ああ、こんにちは!いや、違うよ、父上の知り合いのお嬢さんなんだ。」
スノウは街の人たちから慕われているようだった。本当に、事件さえなければ…戦争さえなければ、彼はこのまま父親の地位を継ぎ、騎士団長の座について、平和に暮らしていたのかもしれない。彼は愚かかもしれないが、根はやさしい人間だから。
「あっ、いたいた。おーい、カイ!」
「!」
すぐそこの市場で買い物をしていたらしき青年に、スノウは手を振った。
赤いハチマキを額に巻いた、青い瞳の青年。彼はこちらを振り向き、スノウと私とアーサーを不思議そうに眺めて、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「おつかいの途中かい?」
「フンギの手伝い。終わったところだよ」
「ならちょうどよかった。君を紹介したいんだ。ティナ、彼はカイ。僕の親友で、騎士団でも同期なんだ。カイ、この子はティナ。僕の父上の知り合いの方の娘さんで、数日うちに滞在してるんだ。」
スノウの紹介を受けて、私はカイに微笑んだ。
「はじめましてティナです。こちらはアーサー。よろしくね。」
「カイです。」
ぺこ、とカイは小さくお辞儀をした。彼はイメージ通り、寡黙な人物のようだ。
「アーサーはティナの弟?」
「ふふっ…」
「お、弟!?失礼な奴だな!!俺はお嬢様の護衛だ!!」
しかし直後に純粋な瞳で投下された質問に、私は吹き出し、アーサーは憤った。
「お嬢様…?…ああ、そうか」
カイはマイペースに首を傾げ、しかしすぐに自己完結した様子でうなずいた。
スノウの父親の知り合いの娘、そして護衛ということで、私がどこかの貴族だと察しがついたのだろう。しかし細かく尋ねてこないあたりが、彼らしいと思った。
「そうだ、今ティナたちに街を案内してるんだけど、お使いが終わったならカイも一緒に行こうよ。」
スノウの誘いに、カイは静かにうなずいた。