010


いよいよ夏の選手権大会が迫り、野球部内にも緊迫した空気が流れ始める。
夏合宿を終えたころから1年たちの顔つきも変わり、夜の自主練組も増えてきた。
期末試験も終わって夏休みも目前だし、やっと野球に集中できる。

「よお、最近大人しいじゃねーか」

休み時間、倉持がそう言って絡んできて、俺は目を丸くした。

「何のこと?」
「花ちゃんはもういいのかよ?」
「おい、花ちゃんて呼んでいいのは俺だけだから」
「知らねーよめんどくせぇ奴だな…」

うへぇと舌を出して目を逸らす倉持。

「それに今はやるべきことがある。」
「……。」

試合を控えてるし、投手陣の調整に自分の調子も…やることは山積み。かといって、休息もおろそかにはできない。まずは体の調子を整えて、その上で頭をフル回転させないと。対戦相手の情報収集も怠れないし。
倉持はふうんと低く呟いて、教科書を取り出した。

「そろそろ移動しよーぜ」
「あぁ…」

次の授業は視聴覚室だ。ビデオを見せられるらしいけど、眠いしスコアブックでも見ていたい。
倉持と渡り廊下を渡って、特別校舎の方へ向かっていると、渡り廊下の窓辺に天使を見つけた。

「あーっ!花ちゃんだ!」
「おいやるべきことはどうした」

倉持を無視して花ちゃんに駆け寄ると、鬱陶しそうに眉を顰められた。隣の友達は笑い出した。

「ちょっと…今友達と話してるんで邪魔しないでください」
「俺も友達じゃ〜ん(笑)」
「違います。」
「え〜じゃあ花ちゃんにとっての俺って何なの?」
「御幸お前すげえめんどくせえぞ」

はっはっは〜、と笑って流して隣に並ぶと、花ちゃんはうざそうにしながらもフンと俺を放置した。窓から暖かい風が流れてきて、甘いにおいがする。花ちゃんすげーいいにおいだな、とこっそり思いながら、これは言わないでおく。言ったらどつかれるか、逃げられるか、最悪また無視され続けるし。
花ちゃんは風になびく亜麻色のさらさらふわふわした長い髪を指で梳かし、耳にかけた。

「髪切ろうかなー。」
「どのくらい?」
「ばっさり。鬱陶しい。」
「キレーな髪なのに〜。」

「えっ、切るなんてもったいないって。」

思ったことを正直にこぼすと、花ちゃんは髪を抑えながら俺を見上げた。綺麗な空色の瞳に雲の影が映っている。

「綺麗だし、似合ってる。」
「……。」

ほんのり、花ちゃんの顔が桃色に染まった…、と思ったら、胸元を押し返された。

「…ほんと、うざい。」

花ちゃんはそう呟いて、うつむいたまま友達を連れて去ってしまった。…カワイ〜。
…と、ぼんやりしていたら倉持に蹴り飛ばされ、「死ね」との暴言をぶつけられたのだった。



***



夏休みに入り、俺たちは夏の選手権大会を勝ち進んでいた。
次の試合を明日に控え、軽く体を動かすために学校の周りを走っていると、校門のそばで制服姿の生徒をちらほら見かけた。今日登校日…じゃないし、他の部活の生徒かな。などと考えながら走っていくと、前方から歩いてきた女子生徒に目が留まった。

「……。」

女子生徒も俺に気が付いて顔を上げた。空色の瞳が俺を見つめた。その小さな顎のあたりですっきりと切りそろえられた亜麻色の綺麗な髪…

「……えっ……」

俺は言葉も失って花城を凝視した。

「…えええ髪どうしたの花ちゃん!!」
「切りました。」
「なんで!?」
「別に…」

関係ないでしょ、と短くなった髪を耳にかけてそっぽを向く花ちゃん。

「お、俺のせい?」
「なんですかそれ。」
「俺が切るなって言ったからかな〜と…」
「そんなのどーでもいいです。」
「え〜でもさ…もったいない…」
「うるさいな…もうほっといてください。」

フンとそっぽを向いて校門に向かう花城。あ、そーか、夏休みは補習って言ってたっけ。
でも…俺が好きって言ったから髪を切ったんだとしたら…そうまでして俺に当てつけをしたんだとしたら…。
…う〜〜〜ん…女子に髪を切らせてしまった…。しかもあんな、キレーな髪を…。

「…花ちゃん!」

校門に入りかけていた花城が俺を振り向いた。

「ショートも死ぬほど可愛い!」
「……。」

花城は一瞬面食らったように顔を顰めて、プイと無視して校門をくぐって行った。



***



明日は準決勝。勝てば翌日には決勝。多分決勝は稲実と当たる…。
居ても立っても居られない気持ちに、少しくらい体を動かしたほうがよく眠れる、と言い訳をつけて、夕暮れの土手道を走っていると、帰宅中の青道生を何人か見かけた。
そういや花城、もう帰ったのかな…。
…って、何気ィ散らしてんだ俺。今はそれどころじゃないって…
そう思ったのに、ふと視界に入った土手のそばのベンチに座っている女子生徒に、俺は考えるよりも先に足が向かってしまった。

「花ちゃんみーっけ。」

ま、ちょっとくらい花城にちょっかい出してもいいだろう。癒し癒し…
そう思いながら隣に座って、無視するように前を見つめ続ける花城の横顔を見て――ぎょっとした。

「えっ、ど、どした!?」
「……。」

花城は横目で――涙でぬれてキラキラした目で俺を睨み、ぐすんとうつむいて涙をぬぐった。

「どしたんだよ?なんかあったの?」

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