001

生臭い、湿ったにおいが鼻を突いた。

目を開けると薄暗くて手元もよく見えず、硬い床を感じて起き上がった。目を凝らしてよく見ると、ここはそこかしこがギシギシと軋む古ぼけた部屋の中だった。いや、それだけじゃない。私は檻の中にいた。太い鉄格子でできた四角い箱だ。実際に見たのは初めてだが、これはまさに「檻」だった。

「あ…気が付いた?」

優しい少女の声がした。振り返ると、そこには私と同じように降りに入れられて膝を抱えて座っている少女たちがいた。私に声をかけたのはその中の一人、赤髪でそばかすのある、素朴な少女だった。

「大丈夫?ずっと気絶してたみたいだけど…。」

少女の言葉は初めて聞く響きで、何を言っているのかはわからなかったが、自分を心配してくれているらしいことはわかった。

『ごめんなさい。』

私が口を開くと、少女は目を丸くした。

『言葉がわからない。』

きっと相手も同じだっただろうが、少女は言葉が通じないことを理解した様子だった。

「あなた、赤月帝国の人?」
『…?』
「それとも、デュナン?」

「やめなよ。」

熱心に私に語りかけようとする赤髪の少女の肩を、隣に座っていた三つ編みの少女が咎めるように叩いた。

「何言ったってどうせわかんないよ。」
「でも…」

ふたりがひそひそと話し始めたのを見て、私に何か言うのは諦めたのだろうかと思い、私は立ち上がった。檻の中を見渡す。一部の隙もなく閉まっている扉。扉の鍵だけじゃなく、鎖がぐるぐる巻きになり、南京錠まで嵌めてある。
その南京錠に触れ、鎖を軽く引っ張ってみたが、私にはどうにもできなさそうだ。

そのとき部屋が揺れ、天井がみしみしと音を立てた。ドスンドスン、と大きな足音が頭上を動き回る。その度に、砂埃が頭の上に降り注いだ。それを払い落として、鉄格子の扉に触れる。辺りが騒がしくなってきて、誰かがここに来る気配がした。その予想は当たり、鉄格子の向こうの壁の、簡素な木の扉が乱暴に開いた。

「それで、そのオタカラはどれのことなんだ?」

先頭を切って部屋に入ってきたのは、樽を飲みこんだのではないかと思うほど大きな腹の持ち主の男で、立派にたくわえた髭と、太い首や腕にジャラジャラと巻きつけた大きな宝石たちが揺れ、一目でぎょっとするほど下品な男だった。

「そいつです。」

男の横に従うようについて来ていたひょろりとした顔色の悪い男が私を指さした。

「白い肌、黒い髪、小柄な体型。こいつはおそらくデュナン地方の人間だ。あの地方の人種は童顔で、老いるのが遅い。しかも顔も上玉でしょう、きっと高く売れますよ。」
「ほぉ…」

男が近づいて来て私を見下ろしてにやりと笑い、手を伸ばしてきた。鉄格子を掴んでいる手を撫でられ、私は咄嗟に振り払って退く。背中を悪寒が駆け巡った。

「こりゃあいい!吸い付くような肌だ」
「でしょう、でしょう」
「だが…ソレは外しとけ。」

男が何やら私の顔を指さした。何が何だかわからず、私は鉄格子に背をつけて立ち尽くす。

「売りに出すのに紋章なんぞつけていて抵抗されたら面倒だ。商品は丸腰にしろといつも言っているだろう。」
「で、ですが、俺らの仲間で紋章を外せる奴なんていませんよ。」
「ここからはナ・ナルが近いな…。そこで外させてこい。」
「商品を外に連れ出すんですか!?」
「仕方ねえだろ!いいか、絶対に逃がすんじゃねえぞ。」

男は怒鳴りつけると、ふたりで連れ立って部屋を出て行った。会話は何もわからなかったが、きっと私はあの男たちに捕まってここにいるんだろうという事はわかった。私だけじゃなく、この少女たちも…。
…どこへ連れて行かれるのか。何をされるのか。怖い…震えが込み上げる。

「ねえ…聞いた?ナ・ナルであの子を降ろすって…」

隣の檻に入れられている少女の一人が何かを呟いた。

「…私、聞いたことある。ナ・ナルの男たちは皆屈強で、とくに島長は何者にも屈しない強い男だって。」
「私たちの事を知ったら、助けてくれるかも…。」

ひそひそと何かを相談するように真剣な顔で何かを話しあう少女たち。けれど私には会話の内容はわからないから、部屋の中を観察して時間をつぶすことにした。窓が一切なく、光も届かない部屋。頭上には何人もの騒がしい足音が響いている。ここは地下なのか…それともどこかの倉庫?ただ、この生臭いにおいは、海の磯の香りに似ている。

「…ねえ!」

ふと、少女が私を呼んだ。私が振り向くと、何かを言おうとして、思いとどまったように口を閉じた。言葉が通じないことを思い出したのだ。すると少女はスカートのすそを破り、木片に指を擦りつけて傷を作った。いったいどうしたのか驚いて見守っていると、少女は破いた布に血で何かを書き、それを鉄格子の間から差し出してきた。

「ナ・ナルの港に降りたら、島の人にこれを渡して。誰でもいいから。額に模様がある人にこれを渡して!」

鬼気迫る顔で自身の額を指さしながら布を差し出す少女から、おそるおそる布を受け取る。そこには血で何か文字のようなものが書いてあったが、私には読めなかった。
ドスンドスンとまた足音が近づいて来て、少女たちは慌てふためいたように私に向かって何かをわめいた。

「あいつらが来た!それ、隠して!」
「早く!」

少女たちが何かを服の中に入れる仕草を繰り返すから、この布を男たちに見せるなという意味だと思い、慌ててポケットに突っ込む。その直後、ドアが開いた。入ってきたのは先ほどのひょろりとした男で、私たちをじろじろと睨みつけた。

「オラァ!なに騒いでやがる!!大人しくしやがれ!!」

檻を木の棒でガンガンと叩き、少女たちを黙らせると、男は檻の中をじっと眺めてから鍵に手をかけた。そして鍵を開けると、中の少女をひとり引っ張り出した。少女は抵抗も虚しく悲鳴を上げ、腕を掴まれ引きずられる。男はまた檻を乱暴に閉めると、堅く施錠して、少女を引きずるようにして部屋を出て行った。
のこされた檻の中の少女たちは絶望したように涙を流して俯く。…あの子はいったいどこへ連れていかれたんだろう。このままここにいたら、私もああしてどこかへ連れて行かれるの?この少女たちも…?

部屋の中にはすすり泣くような声が響いた。時間もわからないまま長い時間が過ぎていき、時々男が水や乾いたパンを持って来て、少女たちと私はそれを義務のように食した。
何日か過ぎたのかもしれない。家族はきっと私を探してる。今頃警察も動いてる。その希望を胸に床に座り込んで過ごしていると、また部屋のドアが開いた。食事にしては早い時間だった。怯える少女たちの視線の中、男がやって来たのは私の檻の前だった。男は鍵を開け、鉄格子のドアを開けると、私を見下ろした。

「立て!」

突然何を怒鳴りつけられたのかわからず、男を見上げたまま固まっていると、男はまた怒鳴った。

「何をしてる!?早く立て!!殴られてぇのか!?」
「…その子、言葉がわからないのよ。」
「あぁ!?」

隣の檻の少女が何か言うと、男は苛立ったように檻を殴りつけて少女を黙らせた。そして私をまた見下ろすと、手を伸ばしてきて私の腕を掴んだ。驚いている私の腕を引っ張り、立ち上がらせて、私は連れて行かれる。…どこへ行くんだろう。抵抗してもきっと無駄。私はこれから死ぬのかもしれない。
振り返って少女たちを見ると、彼女たちは皆すがるような顔で、連れて行かれる私を見上げていた。
どうしてそんな顔をしているのか、私はこれから殺されるかもしれないというのに…私にはわからなかった。

階段を上がり、ドアを開けると、ミャアミャアと鳴く鳥の声が聞こえた。塩辛い風が喉の奥を通った。…ここは船だった。どうやら、どこかの港に着いたところのようで、男たちが積み荷を前に何やら喋っている。

「こっちだ、騒ぐなよ。」

男は私の腕を引っ張って船を下り、港を抜けて町の中へ入った。町と言っても民家らしき小さな建物が点々としているだけで、あとは木々が生い茂る広場が続いているだけの田舎町だった。電柱ひとつ、信号機ひとつ建っていない。それどころか周りの男たちは剣や槍を持ち歩き、額にはどこぞの民族のように青や赤で印をつけていた。
見るからに日本に比べてかなり文明の発達が遅い所のようだ。一体どこの国に連れてこられたのか…見当もつかない。

「おい、お前!」

私を連れている男が、目の前を横切った男を呼び止めた。その男の額にも青い三角形の印がついていた。そこで私は、船の中の少女たちが私にあの布を託したときに、必死に額を指さしていたことを思い出した。もしかして、額に印がある人にあの布を渡せということなの…?だけど…この島の人たちは、見たところ、皆額に印がある。

「なんですか?」

男は立ち止まると、怪しむように私と私を連れている男を眺めた。

「この島の紋章師はどこにいる?」
「それなら、そこの道をのぼって行ったところだけど…」

男は道を指さして言い、また私を見た。隣の男と見比べるように眺めて、腕を組む。

「それより…あんたたち、どんな関係なんだ?親子にしちゃ似てねーけど…」
「あぁ?テメーに関係ねぇだろうが!」
「おいおい、道を尋ねた相手にその言い方はないだろ?」

何やら揉めだした男達。私の腕を掴んでいる男の手に力が籠り、私は顔を顰める。

「おい…、その子、痛がってるぜ。とにかく手を離してやったらどうだ?なぁ、お嬢ちゃん、大丈夫か?」
「勝手に話しかけるな!」

怒鳴る男をあしらい、私に何か声をかける男。この男は、優しい人間かもしれない…。私はポケットにそっと手を入れる。

「とにかくお前には関係ない!放っておいてくれ!」
「あ…、おい!」

男に引きずられるように歩きながら、私は彼を振り返った。窺うような目で私を見ている彼に必死に目で訴えながら、こっそりと布を落とす。男は驚いたように何か言おうとしたが、私が首を横に振ると、口を噤んで布を拾い上げた。
これで…きっと大丈夫なはず。きっと…。
私は願いにも似たその言葉を自分に言い聞かせながら歩いた。



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