013
月曜日、朝練を終えて教室へ行って、俺は驚きのあまりぽかんと口をあけて言葉を失った。
「…何?」
目が合った玉城は居心地悪そうに肩を竦め、ぎこちなく笑う。
その華奢な首筋が、今日は露わになっていた。というか、胸くらいまであった長い髪が、顎ほどの長さまでばっさりと切られていた。
「…髪切ったの!?」
「う、うん」
ちょっと恥ずかしそうにはにかんで、玉城は短くなった髪を撫でた。
「皆にすごい驚かれるんだけど…。変かな…」
「え!…ううん!」
自信がなさそうに玉城が呟くものだから、俺は力いっぱい首を横に振った。
「似合ってるよ!…っ」
「…?」
思わず勢いのまま、可愛い、と言ってしまいそうになって思い留まると、妙な間に気付いたように、玉城が不安そうに俺を見た。
「…これから暑くなるし!さっぱりしていいんじゃない?」
「うん。すごく軽くなったよ」
玉城は笑いながら少し頭を振った。よかったー、誤魔化せた。
「でも思い切ったな、結構ばっさり切ったよね。」
「うん、20センチくらい。」
「気分転換?」
荷物を片付けながら何気なく尋ねると、玉城は曖昧に頷いた。
「うーん…暑くなるから。」
***
玉城を見つけた御幸先輩が、目を点にして口をぽかんと開けて、ぴたりと固まった。そのまましばらく動かないものだから、玉城は耐えかねたように御幸先輩を睨んだ。
「…なんですか」
「…たま、玉城、な、なんで…」
驚きのあまりなのか、ショックを受けているのか、わなわなとたどたどしい言葉をこぼしながら動揺している御幸先輩に、隣で驚いていた倉持先輩は我に返ったように噴き出した。
「…うるさい…」
髪を撫でて恥ずかしそうに視線を背ける玉城。
「えっ…俺のせい?」
「切りたかっただけです。」
「俺がポニテ好きって言ったから!?」
「どうでもいいです。」
「俺に当てつけるために!?」
「関係ないです。」
「俺の為に!?」
「なんでですか!もーしつこい!」
ぱたぱた逃げ回る玉城と、おもしろがって大股歩きで追いかける御幸先輩。何で俺はこんなもん見せられてんだ…、と倉持先輩が遠い目で呟いた。
「でも残念だったな〜俺ほんとはショートの方が好き♪」
「え…」
嫌そうに顔をゆがめた玉城の、その頬はじわりと赤くなった。
「…じゃあ伸ばそ」
「やっぱ俺への当てつけじゃん(笑)」
ふん、とそっぽを向く玉城。面白がるように笑いながらからかう御幸先輩。
「かわいいなぁ〜玉城ちゃんは!」
「むかつく…」
「はっはっはっは!」
***
「あの先輩ぜったい光のこと好きだよね、御幸先輩」
「いつも 玉城ちゃ〜ん って来る人でしょ?」
「ほんとに付き合ってないの?」
「ない!ありえない」
大きく首を横に振る玉城に、ええ〜?と納得がいかないように声を上げる女子たち。
「でもイケメンじゃん?」
「野球部の有名な人なんでしょ?」
「将来はプロ野球選手かもよ〜?しかもイケメン!」
「もーやめてよ!本当に違うから!」
声を上げた玉城に、女子たちはちょっと目を丸くした。
クラスでの玉城はいつも大人しくて物静かで、女子たちの中では静かにニコニコしているタイプで、こんなふうに取り乱すことなんてなかったからだ。
玉城も思わず声が大きくなったことに気づいて、恥ずかしそうに顔を赤くした。
「え〜光もしかして御幸先輩のこと…」
「な、なに?やめてってば!」
「わかったわかった!ごめんごめん」
からかう友達に顔を赤くして怒る玉城。
まんざらでもないのかも…。さっきもまるでイチャついてるみたいだったし、御幸先輩、カッコいいし…。
あ…どうしよう、すげーモヤモヤする…
「…付き合ってんのかなマジで」
「いやどっちにしろ…」
「あぁ…勝ち目ないよな」
男子たちは引きつった笑みを浮かべて顔を見合わせ、落ち込むように俯く。
「俺も野球やっときゃよかったー」
「そういう問題か?」
***
「いらっしゃ…」
流れるような柔らかい声が途切れ、玉城は目を丸くして俺を見て、ふっと笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
恥ずかしそうにはにかんでそう言って、玉城はトレーを取りにカウンターへ入って行く。
俺と信二は窓際の席に座って、お互いに照れくささを紛らわすように顔を見合わせた。
「…どうする?」
「あ…俺アイスコーヒー」
「俺も」
メニューを手に取る信二と短く会話を交わしたところへ、ちょうど玉城がやってきて水とおしぼりを置いた。
「決まった?」
メニューを畳む信二を見て、俺たちを見渡す玉城。
「うん。アイスコーヒーふたつ。」
「はい。アイスコーヒーふたつね」
さらさらと伝票に書き入れて、玉城はちらりと俺を見て、はにかむように口角を上げた。
「なんだよ?」
「だって…恥ずかしいから来ないでって言ったのに。」
「行くに決まってるじゃん。」
ふふ、と少し笑って、玉城はペンをポケットに仕舞う。
「いじわる。」
そう笑いながら俺にはにかんで、カウンターへ戻っていく玉城。
アイスコーヒーふたつ、と店長さんに伝える彼女の姿を見ながら、顔が熱くなるのを感じた。
「お前顔真っ赤。」
「…うるさいな」
信二にからかわれながら、窓の外に顔を背けた。いじわる、って言った時の破壊力…やばい。わざと?わざとなの?
「いやでもわかるぜ、今のはヤバイ。」
「…だよね」
「つーかいつの間に仲良くなってんだよ!?」
「ふ、普通だよ」
「はぁ!?」
俺なんて目も合わなかったのに…、とぼやく信二に苦笑を返して平静を装った。
「…青道生多いな」
頬杖をついた信二が気を取り直すように呟いた。
「うん…」
…っていうか、男客。玉城目当ての客ばっか、って噂では聞いたけど、平日のこの時間でも席はほぼ満席…。これほどとは。
「おまたせしました。」
「あ、ありがとう。」
「あざす…」
ふっと爽やかな風と共に玉城がやってきて、緊張する俺と信二の前にそれぞれアイスコーヒーを置いた。
そして俺をはにかみ混じりの笑みでちょっと睨んで、ごゆっくりどうぞ、と言い残して踵を返した。
黙々と仕事をする玉城の姿を眺めながら、そうか、話す暇なんてないんだよな、と少しさびしく思う。あっちは仕事中なんだから…。でもふと目が合うと、玉城はちょっと口元に笑みを浮かべる。それだけで心臓がドクンと跳ねる。
俺、玉城にとって、結構仲良いと思ってもらえてるのかな…。
「光ちゃん、僕奥で仕込みしてるから、あとよろしくね。もう外閉めちゃって。」
「はい。」
店長らしき人が奥の部屋へ行って、ひとり店に残った玉城は、店の外へ出て、営業中の札を下げた。時計を見上げると、閉店20分前を過ぎていた。今いるお客さんで最後、ということなのだろう。
玉城が店内に戻ってきて、一組の高校生グループが席を立った。玉城は気付いてレジに向かい、会計を済ませる。お金の支払がされ、玉城がおつりとレシートを渡す。
「ありがとうございました。」
「あ、あの!」
するとグループの中の一人が思い切ったように身を乗り出して、小さな紙切れを玉城の手に握らせた。
「よかったら連絡してください!」
「え…」
「待ってます!」
その男子は深くお辞儀をして、友達に「頑張ったじゃん」と激励されながら店を出て行った。
「……。」
玉城は紙をエプロンのポケットに仕舞って、気を紛らわせるように席の片づけを始めた。
「なんかすげぇな…やっぱモテるんだな」
信二が口元をちょっと引きつらせて呟いた。俺は胸の奥に焦りに似たもやもやを感じていて、うん、と短く頷く事しかできなかった。
その後も店を出る時に「また来ます」と声をかけていく人や、「明日もいますか?」と尋ねる人、何かを言いかけて諦め、友達にからかわれながら帰っていく人…。や、やっぱりほとんどのお客さんは玉城目当てなんだ…。
俺も最近ようやく玉城と自然に話すようになってきたし、そろそろメアドとか…聞きたいなーと思ってたけど…。やばい。誰かに先を越されそう…いや、もう越されてるかも?
お客さんがほとんど帰って、店の中は静かになった。
「…俺らもそろそろ帰るか。」
「そうだな。」
信二の言葉にうなずいて、俺は席を立った。玉城が気付いて、微笑みながらレジに立つ。
「ごちそうさまでした。」
「はい。アイスコーヒーふたつで、800円です。」
支払いをしながら、ほんの軽い調子で思い切った話を振ってみた。
「さっき、すごかったな。」
「なにが?」
「連絡先渡されてたじゃん。」
玉城はちょっと頬を赤くして、恥ずかしそうにはにかんだ。
「よくあるの?」
「…たまに。…はい、200円のおつりです。」
たまにって、どのくらいなんだろう。…すごいモテてる気がする。学校でも、玉城を一目見ようと教室の外に野次馬が来るレベルだし…。
「連絡…するの?」
おつりを受け取りながら尋ねると、玉城は俺をちょっと見上げて、苦笑しながら言った。
「私携帯持ってないから。」
あはは、と小さく笑って、玉城はレジを閉めた。
携帯持ってない…持ってない!?今時珍しい…。っていうか、それじゃあ、俺も連絡先聞いても無駄ってことか…。
「へ…、あ、そうなんだ、そっか…。」
「…なに〜?その反応。」
「え!?いや、びっくりしただけだよ。」
「失礼な。」
玉城がからかうように笑って、俺もつられて笑った。信二はちょっと居心地悪そうにそわそわし始めて、ちょっと悪いなぁと気が咎めて、俺は話を切り上げた。
「じゃあ…また明日!」
「うん、また明日。ありがとうございました。」
最後は俺と信二にお辞儀をして、玉城は俺たちを見送った。
勇気を振り絞って来てみてよかった。学校で会うより仲良くなれた気がするし…。やっぱりモテるんだと再確認して焦燥感も増したけど。
俺と信二が店を出たところで、こちらに向かって歩いてくる人物がいた。俺はその人物に気をとられてつい目で追った。なぜならその人物は、この辺りでは珍しい、真っ白の詰襟制服を着ていたからだ。白い詰襟制服と言えば、都内ナンバーワンの偏差値を誇る私立の進学校…凱聖高校。しかもその青年は、男の俺でも一瞬ハッとしてしまうほど端正な容姿で、もしかして芸能人かな、なんて考えてしまうほど洗練された雰囲気も持っていた。
彼はまっすぐに背筋を伸ばして、慣れた様子で喫茶店に入っていった。もう営業中の札は裏返されているというのに、だ。俺は信二と顔を見合わせ、店の中を覗いた。
店の中では玉城が、その男と何かを話していた。その様子はお互いに知り合いか、友達か…それ以上かもしれない、と思うほど、落ち着いた様子で…お似合いで。
俺はそっと窓から離れた。
「…もしかして…あの噂の彼氏じゃね?」
考えないようにしていたことを信二が言う。
玉城には凱聖の彼氏がいるって、一部で噂になっている。
「…どう…だろうね」
俺は認めたくなくて、強引にはぐらかした。