001

「……ほら、もう泣かないの。大丈夫よ。」

今日は入学式。今頃体育館では式の準備が進んでいるけど、在校生である俺にとっては休日…、とはならず、野球部の練習がある。とはいっても監督は式に出席するため不在で、今日は軽い練習日だ。
俺はしばらく体を動かしていたけど、今度の練習試合の相手の資料を見ようと思いついて、礼ちゃんを探して部長室を訪れた。すると珍しくドアは閉まっていて、しかも中からはぼそぼそと話し声が聞こえる。
誰か泣いてる?気の弱い新入部員が早くも音を上げたのか?まだ本格的な練習は始まっていないというのに、ヘタレな奴…。ホームシックにでもなったか?どんな奴か見てやろうか、そして、今晩あたり2年の皆で、ホームシックになんてなっている暇などないくらいいじくりまわしてやろうか…
ニヤリ、と口元が緩んで、その計画は決まった。

「少し落ち着いたかしら?お茶でも飲んでいく?」
「……。」
「式には出られそう?」

やっぱり新入生か。男のくせに入学式の前にべそをかいて女教師に泣き付くなんて情けない…。

「礼ちゃ〜ん!何して…」
「! 御幸君?」

勢いよくドアを開けて、驚いて振り向いた礼ちゃんの向こう。パイプ椅子に座ってハンカチを握りしめ、うるんだ大きな瞳できょとんと自分を見上げたのは――野球部員でも、男でもなく、か弱そうな女子生徒だった。

「…あれ?」
「コラ、御幸君!ノックもせずに…」
「その子誰?」
「いいからアナタは外に出てなさい!」

礼ちゃんに部屋を追い出されてしまい、俺は閉められたドアの前で頭を掻いた。まだ着馴れていない、真新しい制服…新入生には違いないようだけど。どうしてこんなところで泣いてるんだろう?
それに驚いたのは…。…今の子、すげぇ可愛かった。

「まだ無理そうなら、しばらくここで休んでいてもいいわよ。」
「……。」
「それか、保健室に行く?ここは野球部の子がちょっと騒がしいかもしれないし…」
「……。」
「それと、今日の帰りは誰かと一緒に帰った方が良いわね。できれば、親御さんが迎えに来られればいいと思うけど…連絡する?」
「……。」
「…そう、じゃあ、誰か同じ方向の子と一緒に帰りなさい。いなくても私が送るから、心配しないで。ね?」
「……。」
「警察の方は何て言ってたの?」

…なんだか思っていたより深刻そうだ。あの子に一体何があったのだろう?この、入学式という晴れの日に…。
あの子の声は小さすぎて聞き取れないが、礼ちゃんの返答を聞きとった限りでは、彼女は今日学校に来るまでの間に何か大変な目に遭って、そのためにまだ落ち着きを取り戻せず、泣いているらしかった。

「そう…。いいのよ、落ち着いてからで。担任の先生には私から話しておくから。」
「……。」
「じゃあ、ちょっと職員室に行ってくるわね。ここで休んでて。」

礼ちゃんはそう言って、部長室から出てきた。そこでドアの横で壁を背にしゃがみ込んでいた俺を見つけ、呆れたように「まぁ」と言った。

「御幸君まだいたの?」
「礼ちゃんひど〜い(笑)明日の練習試合のトコの資料見せてほしいんだけど〜…」
「それなら昨日小湊君が持ってったわよ。」
「亮さんが?」
「ええ。ホラ、あなたも練習に戻りなさい。」

そう言うと礼ちゃんは校舎の方へ歩いて行った。「入るんじゃないわよ」と俺に釘を刺すことも忘れなかった。
俺は一度は素直に練習に戻ろうと思ったけど、今日はなんとなく気持ちが浮ついていて、今練習に戻っても身が入らない気がして、俺は少し迷った末に、ゆっくりと部長室のドアを開けた。

「……。」

ハンカチで涙を拭いていた女子生徒がちらりと俺を見上げ、目が合った。
長い亜麻色の髪に隠れる小さな顔には、ぱっちりとした大きな青い瞳と、つんと鼻筋の通った小さな鼻と、ぷっくりとした小さな赤い唇がきれいに配置されていて、肌は透き通るように白く、頬はバラ色で、手足は華奢という言葉がぴったりに当てはまる細さで、頭の先からつま先まで可憐で清廉に整っている彼女は、まるで飾り付けられたお人形か、間違えて人間界に迷い込んだ妖精のようだった。こんな表現、自分でも恥ずかしいと思ったけど、彼女を目の前にするとそれは決して大げさではなかった。しかも泣いているために鼻の頭と目尻がほのかに赤くなり、宝石みたいな瞳もうるうると揺れている今は、つい言葉を失って見惚れてしまうくらいの愛くるしさで、ちょっと胸が苦しくなってしまうほどだった。

「……。」

つい口を開けたまま立ち尽くしている自分に気づいた時、もうどれくらい沈黙が流れていたんだろう、とにわかに恥ずかしくなって、俺は咳払いをして、平静を装って部屋に入った。

「どーしたの?」
「……。」

傍の棚に歩み寄り、適当にスコアブックを手に取って、それをぱらぱらとめくったりして、あたかもこの部屋に用事があるように見せかけて、俺は彼女に声をかけた。

「新入生だろ?」
「……。」
「名前は?」

パイプ椅子を持って来て、跨るように座って背もたれに肘をついて彼女の顔をじっと見つめると、俯いた彼女は困った末に、根負けしたようにぽそりと口を開いた。

「…玉城…です」

うわ。声も可愛い。

「玉城…下の名前は?」
「……光……」
「玉城光ちゃん?」
「……。」
「あ、俺は2年の御幸一也。見ての通り野球部。」
「……。」
「玉城ちゃん、野球部のマネやらない?」
「…え?」
「部活どこ入るか決まってる?」
「……いえ」
「じゃあマネやってよマネ!な?たのしいぞ〜」
「……どうしてですか?」
「え?可愛いから!」
「……。」

ぽかん、と目を瞬いた玉城ちゃんは、ちょっと閉口して身を引いて、俯いた。

「…いやです」
「え〜〜そこをなんとか…」
「……。」
「だめっすか(笑)」

うーん、手ごわい。にこりともしない。大人しい子なのかもしれない。

「つーか何で泣いてるの?」
「……。」
「玉城さんおまたせ…、…あっ!コラ、御幸君!」
「あっ」

ちょうど礼ちゃんが帰ってきて、俺は悪戯がバレた時のように慌てた。

「入っちゃダメって言ったでしょう!練習に戻りなさい!」
「ゴメンゴメン、スコアブック借りたかったからさ…失礼しました〜」
「もう…!」

玉城ちゃんを気遣うように覗きこむ礼ちゃんを尻目に、俺は部長室を出た。

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