001

春。

渡り廊下を歩いていると、中庭の桜の木から散り始めた白い小さな花弁が、ひらひらと目の前を踊っていった。
何の気なしに手を伸ばし、その中の一つを見定め、ぎゅっとつかむ。

…と、そのこぶしの向こうに、渡り廊下を歩いてきた女子生徒が見えて、目が合った。


とてもきれいな子だった。


甘い香りの春風が舞い、彼女の亜麻色の髪をなびかせる。
真っ白な肌。透き通った琥珀色の瞳。すらりと長い華奢な手足。
俺は一瞬で目を奪われ、すれ違う瞬間、瞬きとともに逸らされた彼女の目線で我に返った。

やべ…見入っちまった。

しかし…歩いていく後ろ姿までもがキレイだ。
上靴の色は…1年か。


…なんか、恥ずかしいとこ見られたな、俺。




***



「えっ、東条同じクラス!?」
「う、うん。」
「え〜!いいなぁ〜!!」
「コイツ、席も前後だぜ。」
「えっ!!喋った?」
「いやいや!男子と話さないし…」
「あ〜…そっか〜〜」
「でもチャンスあるじゃん!話しかけて仲良くなって、俺のことも紹介してくれよ〜!」

「1年にかわいい女子がいるんだってよ」

寮での夕食後。何やら盛り上がる1年を見やると、倉持が気付いて教えてくれた。

「へー。それであんなに盛り上がってんの」
「呑気だよな〜、これから地獄のシゴキが待ってるっつーのによォ…」

ヒャハハ、と笑いながら倉持は立ち上がり、ゆらりと1年の背後に近づいた。

「オラッ、東条!!俺にも可愛い女子を紹介しやがれ!!」
「うわっ!!倉持先輩!?」

シゴキはどーしたよ。…平和だなぁ。

しかし…かわいい1年、か。
俺は昼間渡り廊下で見かけたキレーな女子のことを思い出した。
あの子よりかわいい子なんているかね…?つーか、噂の女子ってあの子のことだったりして。

「そのかわいい女子の写真はねーのか?」
「ありませんよ…」
「つまんね〜!じゃ、明日教室まで見に行くかな〜。ヒャハハ」
「え…!!?」

倉持が加わったことで騒ぎが大きくなり、周りの2年3年も何だ何だと輪に集まってきた。

「あ〜、あの噂の1Aの子?」
「お前同じクラスなのかよ!早く言えよ〜!」

先輩たちに絡まれて苦笑いをする東条。確か松方シニアの元エース。まさか入寮して最初にこんな注目を浴びるのが、同じクラスの女子の話題だとは思ってもいなかっただろう。かわいそうに。

「ホントにカワイイのか?」
「俺この前廊下で見たけど、めちゃくちゃ可愛いぜ」
「マジ?芸能人だと誰似?」
「誰って言われるとな〜〜〜。つーか、その辺の芸能人よりレベル高いぜ」
「ホントかぁ〜?」
「マジマジ!明日見に行ってみろよ」

あーあ…話が大きくなってきた。明日の1Aには野球部員が殺到することだろう。ナム。

「その子名前なんて言うの?」
「確か〜…花城光。」

花城光…ね。
俺はなんとなく、心の中で名前をつぶやいた。



***



翌朝。

「それで沢村の奴がよ〜」

朝練後、倉持の話を聞き流しながら登校すると、靴箱を開けた瞬間に何かがひらりと足元に落ちた。そのまま目で追って、パサリ、と足元に墜落した淡いピンクの便せんを見て、俺は素早く拾い上げた。

「あっ!!お前それ…!」

…見られてたか。
内心舌打ちをして、俺は便せんをすぐにカバンにしまう。
あー、よりによって倉持に見られるとは。からかってきてうざくなりそう。

「ラブレターか!?」
「知らねぇよ…ほっといてくんない?」
「見せろコラ!貰ったの何度目だクソ眼鏡!!」
「あーうっさいうっさい」

教室に逃げ込んですぐに担任が来て、席につけー、と声をかけられる。
倉持が渋々席へと戻っていったのを確認し、俺はこっそり机の下で便箋を広げた。

…名前はない。
伝えたいことがあるので昼休みに裏庭に来てください。…という一言だけ。

女子らしい丸っこい字だ。誰だろう…?イタズラではないと思いたいが。
こういう手紙での呼び出しは何度か経験があるが、一度だけ、亮さんたちにニセの手紙でからかわれたことがあるからな…。まあ倉持の反応からして、仕掛けである可能性は低いか。

俺はまた便箋をたたみ、カバンの中にしまい込んだ。



***



昼休み、倉持と購買のパンを食べ、トイレへ行くふりをして教室を出た。倉持はもしかしたら察したかもしれないが、さすがに相手の女子もいることだし、現場までついてきて野次馬する気はないらしい。あっさりと俺から離れてどっかへ行った倉持に安堵し、俺は裏庭へと向かった。

この時期の裏庭は桜が満開でとてもきれいな雰囲気だ。そうでなくとも花壇が多く、裏庭という言葉とは裏腹に日当たりもよくて景観のいいこの場所は、告白がうまくいきやすいというジンクスまである。…らしい。
おそらく告白が目的のあの手紙の主の、そんな思惑をなんとなく感じて、俺は複雑な気持ちになりながら校舎の角を曲がり、裏庭に出た。

…そこには、女の子が一人、ベンチに座っていた。

すっと背筋の伸びた姿勢で、白くて細い足がスッと伸びていて、まるで、そこに置かれたきれいなお人形のような…驚いたのは、それは昨日渡り廊下で見かけたきれいな1年の女子だったことだ。

女の子は、桜の花びらが舞う空を見上げた。真っ白な肌に赤く色づいた頬と唇がきれいだ。特に、琥珀色に透き通った瞳がキラキラと春の光を反射しているさまなんて、息をのむほど幻想的だ。

そして、その子が、そっと手のひらを上に向けて何かを掬うようにかざし、きゅっと握りこんだのを見て、ドキリとした。昨日俺がやったように、花びらをつかまえたのだろう。
手のひらを開いてそれを見つめる動作は、どこか憂いがあって、途方もなく特別な感じがした。

まさかあの子がこの手紙を…?
なぜか早まる鼓動を感じながら、俺はつばを飲み込み、その子に近づいていく。

その子は、俺に気が付くと顔を上げ、ゆっくりと立ちあがった。
反射的に会釈をすると、その子も小さく会釈を返してきた。

向かい合って立つと、ますますキレイで見とれてしまう。
こんな美人に告白されるとなると、さすがの俺も、迷ってしまう…。

…しかしその子はいつまでたっても口を開かず、しばらく沈黙が流れた。

「…あの、手紙のことだけど」

しびれを切らして俺から切り出すと、その子は俺を見上げた。

「はい。」

…声もかわいい。

「えーと…」
「……。」
「…話って、何?」

たぶん、きっと、告白だろうけど…
と、期待に似た感情を抱きつつ尋ねると、彼女はきょとんとして、胸元に白魚のような手を添えた。

「…何の話ですか?」

てん、てん、てん。
優しい風が俺たちの沈黙をかき混ぜていく。

「いや、手紙…」

言いかけて、待てよ、と思う。
俺への手紙には、差出人の名前がなかった。この子がここにいたから、てっきりこの子が差出人かと思ってしまったが、その確証はないのだった。

「あの…お名前は?」

この子も何かを察したように、俺の顔を伺いながら尋ねてきた。上目遣いが可愛すぎる。

「…御幸だけど」
「あ…」

彼女は少し顔を赤らめた。

「…人違いです」
「え!…あ〜…ゴメン」

つまり…
俺もこの子も知らない奴から手紙でここに呼び出されて、偶然出会ってしまい、お互いに相手が呼び出した人物だと勘違いしたということらしい。
で、この子への手紙にはどうやら、差出人の名前が書いてあったようで。そのおかげで誤解だと気づけたのだが…こんな偶然があるのか。
まあ、この子モテそうだし…呼び出されるのなんてしょっちゅうだろうしな。

…だけど。じゃあ、俺たちを呼び出した人物が、これからここへ来るわけで。

「……。」
「……。」

何だか、気まずい。どうすんだこれ。
あ〜、面倒くさい…。

沈黙がおり、気まずい気持ちで彼女を見る。…やっぱずげー美人だな。モデルとか、女優みたいな…。
でも、俺は長澤ちゃんの笑顔が一番!…だけど、でも、なんだろう…この子は誰とも比べ物にならない、この特別な感じ…

「!」

ふっと、その子も俺を見て、目が合った。
どきっと心臓が跳ね、数秒見つめあって、どちらからともなくほほを緩めた。
可愛すぎる。さすが、入学からさほどたってもいないのに、知らない先輩から呼び出されるほどのことはある。

「そっちも手紙…貰ってここに呼ばれたんだろ?」
「…はい。先輩も…ですよね?」
「まあ…。」
「どうしよう…。」

困ったように笑い、足元を見て、ちら、と上目遣いで俺を見上げ、少しはにかむ女の子。おいおい、こんな子に軽率にこんなことされたら、勘違いする男が出てくるぞ…。

少し強めの風が吹き、彼女の髪を梳かしていく。彼女は白いほっそりとした手で髪を耳にかけ、まぶしそうに目を細めた。
彼女のそんな些細な動作さえ、つい目で追ってしまう。

「ま、来たら経緯を説明するしかないな。相手もわからないし…。」

彼女は小さくうなずいて、少し寒そうに手をこすった。

「昨日、西棟の渡り廊下で会ったよな?」

すれ違っただけだけど。覚えてくれてたら嬉しいと思い、尋ねると、彼女は俺を見上げて、じわりと頬を赤くした。

「…よ、よく覚えてますね」
「お互い様な。」

あの時すれ違った俺のことを覚えてくれていたらしい。うれしさと同時に、こんな美人忘れるわけがない…とこっそり思った。

「名前、聞いてもいい?」
「……。」

赤い顔で少しうつむいた彼女。

「花城光です…」
「…あ、やっぱり」
「え?」

予想していた名前。やっぱりこの子が、噂のかわいい1年生だったのだ。そりゃそうだ、この子を差し置いて噂になる女子なんて、いるはずがない。

「やっぱりって…?」
「花城っていうすげー可愛い子がいるって、後輩が騒いでたからさ。」
「…え??」

驚いてまた顔を赤くする花城。こんなに美人だとこの手の話にも慣れそうなもんなのに、耐性がないらしい。

「何かの間違いでは…。」
「間違えねーよ。実際、こうやってよく呼び出されんだろ?」
「いや、初めてです、こういうの」
「…初めて!?」

驚いた俺に、はい、とうなずく花城。嘘だろ。こんな美人を中学までの周りの男たちは放っておいたというのか。

「中学とかでモテなかった?」
「全く。」
「何度か告られたりはしただろ?」
「いえ、一度も。」
「…中学、女子高?」
「共学です。」
「…ええぇ?」

とうとう頭を抱えた俺に、花城はクスクス笑いだした。

「ちょっと失礼じゃないですか?」
「ごめん。」

だってあまりにも信じがたくて。こんな美女が、なぜ!?

「…実はめちゃくちゃ性格が悪いとか?」
「ひどくないですか?」

二人で笑い出し、なんだか楽しくなっちゃっている自分に気が付いたところで、予冷が鳴り響いた。うっかり時間を忘れていた。女子とこんな風に話したの、初めてかもしれない。…結局、呼び出した人物はどちらも来なかったけど。

「…しょーがねえ。戻るか。」
「はい。」

俺たちはまだ楽しさの余韻を残しながら、一緒に校舎へと戻った。

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