翌朝、まだ不機嫌を引きずっているイルスと共に港へ行くと、スノウたちは哨戒船を準備して待っていてくれた。スノウに案内されて哨戒船の船室に通される。間もなく出航するとの事で、甲板には魔物が入り込んでくるからここにいてくれと言われたのだった。
ラズリルには半日ほどで着くらしい。船室には乗組員たちが忙しそうに出たり入ったりしていたが、やがて合図が聞こえ、船は出港したようだった。
「イルスさんって〜、どこの出身なんですかぁ?」
ジュエルがイルスを気に入ったらしく、出向してから魔物の相手をしているとき以外はずっとイルスの隣にくっついていて、戸惑っているイルスが可笑しくてたまらない。笑いをこらえながら様子を見ていたら、助けを求めるように私を見たイルスに気づかれて、非難がましく睨まれた。
「え、えっと…ファレナ女王国…です」
「え〜!めっずらしい!」
「アハハ…」
旅に出るときに決めたことで、紋章によってこの世界に迷い込んだ私とイルスはいくつか口裏合わせをしていた。
まず出身は容姿に違和感のない場所。金髪碧眼ではっきりした顔立ちのイルスはファレナ女王国。肌の色が白く髪が黒っぽく童顔な私はデュナン地方。お互いに紋章師を目指して修行中の身で、クールークのシメオンに弟子入りしたことで出会い、今は修行のための旅の途中。ここらの政治的問題には興味なし、といったところ。
「ファレナ女王国ってどんなところなんですか〜!?」
「い、いいところですよ。あったかいし…」
「あははは!群島諸国より?」
「え、あ、そ、そっか。群島諸国よりはちょっと涼しい…かな」
「あはははは!イルスさんってもしかして天然?かわいい〜!」
「ははは…」
馬鹿だなぁ…という念を込めて目を細めてイルスを見ると、ばつが悪そうに目をそらされた。まあ、仕方ないのだ。本当はファレナ女王国に行ったことなんてないのだから。
「キナさんもファレナの出身なんですか?」
「いえ、私はデュナン地方です。」
「へえ…」
私に尋ねてきたのはスノウで、雑談が苦手な私は短く答えるとすぐに前を向き、ジュエルに質問攻めにされるイルスを眺めた。
「デュナン地方って、どんなところなんですか?僕、行ったことがなくて。」
「え?ああ…こっちに来るまでずっと田舎の村に住んでたので、私も詳しくないんですよ。」
「へえ、じゃあ、どうしてこっちに?」
「…紋章の修行を受けるためです。」
「へえー、すごいな。じゃあ、誰かに師事しているんですか?」
「……。ええ、まあ。クールークのシメオンという紋章使いに…。」
「そうなんですか。僕は知らないけど…カイ、聞いたことあるかい?」
赤いはちまきの少年は静かに首を横に振った。
「すみません。僕たち紋章には明るくなくて。きっと高名な方なんでしょうね。」
「ええ、まあ、そうですね…」
「では、どうしてそのシメオンさんのところへ?」
「……。」
先日のこともあるため、スノウたちにはにこやかに話すようにしているが、どうしてかスノウに気に入られてしまったらしく、うかつにも質問攻めにあう私を、イルスはさっきの仕返しとばかりに、面白そうににやにやと見てきた。
「えぇっと…。すばらしい紋章使いだという噂を聞いたものですから。」
へえー、そうなんですか、とうなずくスノウの向こうで、イルスは小さく噴き出していた。
そんな反応をしたら怪しまれるでしょう、という怒りを込めて、私はイルスをひと睨みした。
「それじゃあ、キナさんもきっとすごい紋章使いなんだろうなぁ。ぜひ、ご教示願えませんか?騎士団の決まりで紋章をひとつ宿すことになっていて、僕は水の紋章を宿したんですよ。皆を助けるためには、回復術も使えた方がいいかなと思って…相性がいいと、紋章士の方にも言われたので。でも、どうもしっくりこないというか…。」
「え…」
めんどくさい…………。
添いう思いが頭をよぎった瞬間、イルスの咎めるような視線に気が付いて、私はとっさに笑顔を作った。
「え、ええ。機会があったら。」
その機会が訪れることはないのだが。
クールークにいた頃も、男からの誘いをこうしてのらりくらりかわしていた。そうすれば大抵の男は脈がないことを悟って身を引くものだ。いつものやつか、と言いたげに、イルスはあきれた様子で目を細めた。
「機会は作るものですよ、キナさん。」
「えっ…。」
しかしスノウはその「大抵」の中にはとどまらない男だったらしい。
思ったよりも食い下がるスノウに、私はつい笑顔を忘れてゲッと顔をひきつらせた。
「ラズリルについたら、領主の屋敷へお越しください。思う存分紋章を使っても問題ない、広い庭がありますから。」
「あ、あ、あはは…。」
「あ!迎えをよこしましょう。宿に馬車を向かわせますよ。」
「え、えっと、まだ予定がわからないので……。」
たすけなさいよ!!!
私はイルスを渾身の怒りを込めて睨んだ。
イルスはぎくりと肩をすくめて、しどろもどろ口を開いた。
「だ、だめですよ。キナも俺もまだまだひよっこで、師匠にも認められてないんです。人に教えるなんてとんでもない…未熟者の修行の旅の途中ですから。」
「え?またまた。高名な紋章士に師事しているくらいなんですから謙遜なんて…」
「いえ、本当に!!キナなんてひどいんです、まともに術が発動できればまだいい方で、失敗ばかり!何度俺をずぶぬれにしたか。平気で人を実験台にするし、容赦ないんですよ。師匠もいつも手を焼いて…」
「やだぁイルス、誰の話をしているの???」
「あっ…。」
わざとらしく満面の笑みで話を遮ると、イルスは蒼白した。
もっと別の言い方があっただろうが、という念を送ると、ごめんなさい、とイルスの真っ青な顔が物語っていた。