名前を呼ばせて

どうやったって勝てない。
そんな気がしていた。
たった一個の年齢差は、飛び越えることはできない。





「だから、岡田先輩の名前で呼びたいんですよ」
「だめ」
「なんでですか」


部活も終わり、活動報告をまとめる岡田先輩を待つため、俺は着替えたあとも部室に残っていた。
既に日は落ちて、窓の外は夕闇に包まれ始めている。
部室にはもう二人しかいない。レギュラー陣も部長も、鍵をマネージャーである岡田先輩に託し、さっさと帰路についてしまった。

この一個上の先輩は、俺が彼氏だというのに名前で呼ぶ権利を与えてはくれない。それを何故かと問うと、大体は「あたしが先輩だから」と言って明確な理由が返ってはこないのだ。

たった一個上というだけで、なにを年上ぶってるんだクソが。と思うが、それを口に出すとすごく怒るだろうから言わないに越したことはない。
ただ。そんなことで俺の納得がいくはずもなく、さっきからこの不毛な押し問答をずっと続けている。


「だって日吉君。あたしのこと名前で呼びはじめたら、もう先輩って言わなくなるでしょ?」
「……はぁ……」


アホか、アンタは。

俺がそんな常識知らずだと思っているのか。この二年なにを見てきたんだ、アンタは。第三者がいれば、この俺が分をわきまえるのは当たり前だろうが。

実はこの岡田先輩。顔にそぐわず、かなり頑固な一面がある。なんでも言うことを聞きそうな、柔らかそうな雰囲気があるにも関わらず、自分が納得できなければ意地でも了承しない。
まったく、俺と違って融通のきかない先輩だ。

それに先輩は俺のことを未だに「日吉君」と呼ぶ。二人きりでも絶対にそれを曲げない。俺から特段指摘したことはないが、気になってはいたことだ。
まだ付き合って日が浅いのを気にしてるのか?はたまたなにも考えてないのか。

……へっ!おそらく後者だな。

だから仕方ない。作戦変更だ。先輩の名前を呼べないのなら、俺の名前を呼んでもらえればいい。


「わかりました。じゃあもういいです」
「わかってくれた?あたし、日吉君から名前で呼ばれたら、先輩としての威厳なくなっちゃうからさ」
「……それが理由かよ」
「え?」
「いや、いいです。じゃあその代わり、俺のこと名前で呼んでください」
「…………はい?!」
「それくらいいいだろ。俺がアンタのこと名前で呼べないなら、アンタが俺のこと名前で呼べよ」


少し睨むように先輩へと視線を送ってやった。言葉遣いだって、本当なら岡田先輩は嫌がるだろう。でもやる。それくらいやってやらないと、俺の気が済まないからだ。
いつまで経っても埋まらない歳の差は、先輩にとっては大したことないのだろうが。

俺にとっては大問題なんだ。


「……ねぇ、敬語」
「二人きりなんだからいいだろ」
「じゃあ名前で呼んであげない」
「……くっ、……岡田先輩、呼んでくれるんですか?」
「ふふ、いいよ。……若みたいな可愛い後輩が彼氏だなんて、あたし本当は嬉しいんだよ?」


それはそれは今にも溶けてしまいそうな笑顔で、椅子に座る俺の頭を小さい子を宥めるように撫でやがる。
俺の名前を呼んでも、それが当たり前かのように俺を年下扱いする。実際年下なのは当たり前なのだが、この態度が本当に気に入らない。

まるで、男として見てもらえてないようだ。

それはそれで腹が立つというものだろう。
どんなに俺の名前を呼んだとしても。


「いい加減にしてくれませんかね」
「ん?」


先輩が、書き終わった活動報告書をファイリングして棚にしまい振り向いたところだった。俺はその姿を捕らえるため、背後から近付きその棚へ両肘をついた。

すっぽりと俺の腕の中に収まる先輩。その距離は数センチ。気は大きいくせに体は小さい。


「ちょ、と……若……?」
「俺を後輩扱いしすぎやしませんか?」
「え……えぇ?」
「頭撫でたり、子どもを宥めるような言い方したり。俺のこと男だと思ってないだろ」
「そんなことは……ない、けど」
「態度がそうなんだよ。自覚ないのか?」
「ね、離れて……ここ部室……」
「そんなの知るかよ」


唇を合わせられる距離。おそらく先輩もわかっているだろう。見つめる先はその瞳。頬を薄紅に染め、滲むその瞳に俺が見える。

ゆっくり距離が縮まり唇から体温が伝わると、俺は気持ちの抑えがきかない子どものように……先輩の口内に舌を滑り込ませる。

途端に、今まで聞いたことがないような先輩の甘い吐息が、俺の耳を捕らえて離さない。ますます気持ちに余裕がなくなってしまう。こんなはずじゃないだろ、と脳内では警鐘を叩くが、気持ちはセーブなんてできなかった。


「ん、……ッ、わか、し……」


俺の名を吐息に混じらせ呟くと、今までだらりと垂れていた腕が俺の首元に回された。すると、されるがままだった先輩の舌が、急に艶めいて逆に俺の中へと簡単に侵入する。
まるで生き物かのように、歯列をゆっくりなぞって焦らしたあと、ようやく舌が絡みあう。

短く息をもらすことしかできないでいる俺は、さっきまでの抑えがきかない気持ちとは裏腹に、このままではまた主導権を握られてしまう焦りが出てきた。

その焦りからか、無意識に顔がのけ反る。不意に離れた唇から先輩の吐息も漏れ、その顔と瞳は明らかに俺を卑しめるものだった。


「……ふふ、若。いい顔してるね」
「……ッ、アンタ……ワザとだろ……」
「そんなことないってば。ただ、可愛いなぁって思ってただけだよ?」
「……クソ……ッ」


なんだかんだ言っても、結局この人の掌で踊らされてるのは俺なのかもしれない。
いつか振り回してやる、そう心に強く留めることしか今はできないのが悔しい。


「いつか先輩から、名前で呼んでって言わせてやるからな」
「楽しみにしてるよ、若」










名前を呼ばせて
(おーい!誰かいんのかー?)(?!)(あれ?岡田ジャーマネとひよっこじゃん。なにやってんの、お前ら)(向日君、どうしたの?)(忘れ物したんだよっ!って、日吉?ずいぶん顔真っ赤だなー!どうしたってーんだよ!)(うるさいですね、向日先輩。なんでもありませんよ)
- 25 -

さいととっぷしょうせつとっぷ